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回折:失われた星座・3

 近くの芝生では剛が遊んでいた。その姿を一瞥いちべつし、通り過ぎようとすると、ボールを投げつけてきた。


「おい落伍者、跡取りのなり損ない」


 そうした言葉ばかり覚えた剛の、底意地の悪い笑顔。


「拾え」


 おれは微動だにせず、剛の姿を眺めつづける。


「拾わないと、どうなっても知らないぞ。ぼくは石倉汽船の跡取りだ。おまえなんか、何にもできないようにしてやる。いうことをきけ!」


 ボールは塀に当たって止まった。


 倒れてしまった草のうえに、傾いた陽が条をつくる。その直線の先におれは立っている。


 山の端に残る赤い帯。奇妙な色合いの空にとどまる雲は、黄金色のタペストリー。


 風が吹く。長く伸びる影。どこにいても一人きり。黄昏と向かい合う。


 すでに輝きはじめた大禍時おおまがときの星。おれはそれを認めた、その光が届けられる、受けとる、おれの双眸そうぼうに宿る。


 剛はわめき続ける。おれはかれに背を向け、きょうという日から去り行く、遠い日輪の姿をかなたに思い描いた。


 正面玄関に至ると、車寄のところに猛がいた。車から降りて間もないのだろう。


「ふむ坊主。勉強の帰りか」


「はい」


「なおよろしい」


 高らかに笑う猛のあとを、取り巻きらしき数名がいていく。


 ここ最近、猛は機嫌良くおれへ愛情めいたものを示すことがあった。それはいつ、どうした時に表れるのかはわからない。


 突発的な、癇癪かんしゃくめいたものも同じような頻度でぶつけられていたから、ひどく情緒不安定なのだともいえた。


 賑やかな様子が夜の中に浮かび上がる。大広間でかれらは皆して、ワインなどをあけているのだ。


 おれは表玄関に置きっぱなしにしていたものを取りに来るとき、その声を聞いた。


 この間だけは、理解不能な八つ当たりをされることはない。


 安心して自室に戻ろうとすると、客の一人と出くわした。


「ごきげんよう。あなたが長男のかた?」


「はい、そうです」


 男は名乗り、いつでも頼りにしてください、わたしはあなたの味方ですと言った。


「お気持ちありがたく。それではごきげんよう」


 踵を返すときには、もう聞かされた名も忘れていた。ありとあらゆる向きに自分自身を売り込んでいく類だとすぐにわかったからだ。


 剛が後継者とされるなかで、わざわざおれに近づいたのは、いつかの投資と保身のため。不測の事態が剛を引きずり降ろしたとき、自分の、ありもしない功をひけらかそうという魂胆なのだ。


 よその家の、子どもにまで媚びるのが世渡りか。


 こうしたことが最近多くなった。


 律がこの世を去って以来、人を複数招いて、酒や会話を楽しむ集いをよく開くので、機会も増えるというわけだ。


 窓の向こうに見ただけで、あれだけ張り詰めていた、猛のなかの緊張の糸はすっかりたゆんでいるのがわかる。


 敷地の隅の別棟は暗く沈み、喪の彩り。


 両親を亡くした頼子の縁談がどうなっているのか、おれには知る由もない。


 あの日、教えられた封のやり方は、もう癖になって、忘れるほうが難しい。


 結んでは解き、解いては結び。


 頼子のささやく声。


「あなたを跡取りにしてあげる」


 一体どうやって、そして、いつのことかと思い悩む心も、封を結び解く自分自身の姿も、おれにはすべてが少し離れて見える気がしている……。


 どこからも聞こえてくるはずのないヴァイオリンの音色が、聴覚とは違うかなたで響く。


 いつか律がびたがっていた古城がどこなのか、そこでの暮らしを未来に持とうとする望みも、みんな消えてしまった。


 おれには思い描く夢もないものだから、輝きと輝きを結ぶ見えない線が、物語をつくっていくのがわからない。


 今はもうない、失われた星座。


 ひとりきり立ちつくして、さんざめく星と向き合う。

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