回折:失われた星座・2
誰もいない小径を歩く。遠いかなたに陽は去り行き、赤い光線が、おれのもとへ届けられて一日の終わり。
不安をかきたてるいつもの木も勢いをなくして、その葉は季節にもがれ、露わになったのは貧相な幹。
夕刻の風は冷涼さを含み、それを快いと感じる。
車庫の前を通りかかると内側が見えた。
ホワイトボードには、運転手の名と車両ナンバーが記されている。おれは、ある一人の名がそこから消えているのに気づいた。
あれは休み明けの、ちょっとした会の催されたときのことだ。その場で購入しなくてはならないものがあったので、大半の子は、親が一緒に車で連れて帰る、そうした流れになっていた。
殊に運転の上手くない者が、日頃乗らない車を動かしたりもしているわけで、あたりはひどく渋滞していた。
おれの親は当然ながらやって来ない。後から使用人に持参させる、と言って、請求書を送らせたりするのが常だった。
なかには家庭の都合で、一人重い荷物を抱えて帰ることもあるらしいが、おれが見たところ、あたりにはそうした同級生はいなかった。
放課後ではあるし、習い事も控えている。
自宅から回された車で、教室へ向かう予定だ。
思ったよりも多い台数が、おれの前に列を作っていた。時折、ふざけて車道に出る者と、クラクション。
先がつかえて、とどまるしかない一台には、同じクラスの人間。学校では見せない顔で、その母親と話しているのがわかった。
おれを取り囲む無数の幸福たち。母親も父親も、子どもとの距離がとても近い。当たり前のごとくに、その当人は兄弟を可愛がり、皆して育み合っている。謀りごと、企みの気配はどこにもない。
近隣の家から流れてくる夕食の匂い。早くも夜へ向かいはじめた、天体の運行。おれから伸びる影は、読む人もない日時計。
風が一陣、砂を巻きあげてどこかへ連れて行く。建ち並ぶ家。柴垣めいた囲いの中へ入る見知らぬ人。いつも見ていながら、すれ違うこともなかった間近の人、無縁の人のうしろ姿。
待ち続けていると、おれによく回ってくる一台の姿が認められた。
ただ、運転手は新人らしく、乗せるべきおれを探し出せずにいる。
手を挙げる。なるべくすぐにわかるよう振ってみる。ところが過ぎていってしまった。
小走りに追いかける。
もしこのまま、習い事のある場所へ行けなかったら、叱責はひどいものになるとわかっていたからだ。
かなたの山のあいだに、まるい光が落ちていく前に、たどり着かなくてはならないというのに。
ふと何を思ったか、前の車が止まった。
そしてそこに、おれの迎えのものが突っ込んだ。二台、三台、と玉突きが発生する。
おれは頭を抱えた。
案の定、その夜、猛の説教はひどかった。おれをなじり、運転手をかばったのだ。
まるで理屈が通っていない。いつものことだ。ただうんざりするだけだ。毎日の疲れは限界だったし、とにかく猛に嫌気がさした。
どうせ馬鹿げたことで責められるなら、思いきり反抗してみればいい。
「なぜぼくに落ち度があるんですか。むしろ困ったのはぼくのほうだ。怪我は大半が同じクラスの者とその身内で、明日からどの顔を下げて学校へ行けばいいんです。そもそも先頭で突然に止まった者は何をしていたんですか。ぼくを責めるのは、あまりにもお門違いだ」
猛は黙っておれの腕をまくり、目を皿のようにして見た。
「言動がおかしい! 誰か! 良の部屋から何か妙な薬物などないか探して来い!」
おれはあきれはてた。まだ中学生にもならないのに、どうしてそういった物などと縁があると思うのか。そして、手に入れる時間と機会はどこにある?
使用人たちはしばらくして戻り、何もなかった、と告げた。
後からわかったことだが、時間だけ潰し、頃合いをみて部屋を往き来しただけだったのだ。
一人の使用人の冷たい目は、自分に注意を向けていない角度の猛をとらえていた。
その後、石倉家の使用人たちは、じわりじわりと退職していった。表向きの理由はさまざまであったが、とかく半数ほどになったのだ。
おれは、人もまばらになった車庫の控え室のそばから離れた。




