回折:失われた星座・1
黄土色の砂の背景に立つ白い社のようなもの。長い脚の下を風が抜けていく。
簡素な囲いの中のものは百葉箱。気象観測の任も解かれ、壊されもせず放置され続けていた。
校舎の落とす影に季節を見る。
自分自身の席の後ろでは年相応の賑わい。どのように煩くともおれは素知らぬ顔をしている。何も聞いていない、としておかなければ、かれらだってやりにくいのだ。
「石倉くん、前の教室の始末は済ませたから」
今日、おれは日直だった。誰かとペアでやらされる当番ではあるが、組んだ相手が良かった。
「ありがとう」
はにかんだ笑顔で応えたかれは、またどこかへ行った。
おれは皆の輪には積極的には入らない。招かれてはじめて加わる程度だ。
時折背中で聞こえる、いつか遊んだ日の感想などは、おれのあずかり知らぬこと。
誘いもしなかった、というのを心苦しく思わせるのも気の毒だし、実際声をかけられても、学校の外で会う時間もないのだから。
例えば、もし、同級生の一人でも家に招くとする。そうなると、相手の名前や連絡先、はたまた家族構成以上のものを両親がチェックして、出入りの可不可を決めるだろう。
不快な思いを、他の者にまでさせる必要があるものか。
協調性がないとか、同じクラスの者と打ち解けないとか、評価したければ勝手にするがいい。
校庭で遊ぶ皆の姿を眺める。
真似事のような野球。ピッチャーが投げてバットは空を切る。大きな空振りでも、当たっても、笑っている。
四球という駆け引きはそこにはない。しかしおれには、バッターボックスに立つ機会さえ与えられず……。
じき、休み時間も終わる。次は理科だ。
まただ。教科書がなくなった。
机の中の引き出しを隅から隅まで探っても、ない。
鞄にもサブバッグにも見当たらない。
そうこうしているうちに、理科の教員が来て授業が始まった。この教員は忘れ物をすると、必ず屈辱的な扱いをしてくる。要は晒し者にされる。おれはその常習だった。今日もそうだ。
なぜこうも理科の教科書だけなくなるのだ。本当になくしたと思って、もう何度買ったろう。
おれは全員の前で顔をぐにゃぐにゃにつままれて、馬鹿のような姿をさらされた。
皆笑っている。この時は笑っていいのだ。それを許されているのだ。
ひとしきりその時間を取った後、授業は始まった。
星についての話だ。昼間にも空に星はあるが、太陽がそれを明るさで見えなくしていることなどを説明している。星の早見表で当たると、いま、まぶしさのかなたにあるものもすぐにわかった。
「暗いばかりが、見えない理由じゃないんだな。あと、そこには載っていない星座もある。昔はあったんだが、星座はこのくらいにしておこう、という話で、今の数に落ち着いた」
「先生! なくなった星座って何があるんですか」
「そうだな。わかりやすいのが、四分儀座だ」
教員は、星の早見表で、その星座の位置するあたりをざっくりと示し出した。
「四分儀とは、ある星が、空のどの高さにあるのか、それか、船乗りさんが今どこにいるのか知ったりするのにも使った、古い道具だ」
星を知るための道具が星座から外される。皮肉だった。
「ただ妙なもので、四分儀座はないのに、四分儀座流星群というのがあるんだな。ちょうど、この星座があったとされるあたりから、星が流れるのが見えるので、こういう名前の残りかたをしている」
運動場の角の倉庫にしまわれたラケットには、いくつか、聞いたことのない名前が書いてある。誰のものなのか、ここの卒業生なのか、はたまた同好会か何かのお下がりか。
古い靴箱は、廊下の隅で埃をたくわえ、行き場もなく錆を増やしている。剥がれかけた音楽室のポスターは日に焼けて甚だしい色むら。
時間は昔へ遡ることができない。手がかりがどこかで途切れるのは、伝えるさきがないのと、忘れるという現象のせいだ。
一昨年転校してきた生徒の、以前いた学校の同級生は、よほどのことがない限り、去ったその人をはっきりと覚えてはいないだろう。そうしていくうち、いた、という事実そのものも記憶からなくなってしまう。
理科の教科書には名前を書いていた。家で隅から隅まで探しても出てこない。
確かに入れた引き出しの中。
おれはクラスメイトたちの顔をしっかり認識するのをやめた。
そしてまた戻り道。この砂の上をさまよう人になる。




