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面影

 黄金の雨を降らせた木も、淋しく枝と幹ばかりになり、遠いイルミネーションの陰にひっそりとたたずんでいた。


 寒風はいい酔いざましで、おれに歩く理由をくれる。通りの向こうのバルに寄ろうとしてやめたとき、靴底がすり減った気がした。


 行く先に楽しみを探すこともできなくなったむなしさが、懐に、冬の温度で入りこんでくる。


 結局あれから、眞波は、会合へ顔を出すといって、どこかへ行った。おれはひとり、呼んだハイヤーでいつものマンションへ戻ることにした。


 どこか決められた場所にいなければならない、そうした義務もない。


 おれの財力があれば、それなりの女性を一夜の相手にすることだって、簡単な話だ。ただ、性分からして、そういったものは好まない。すくなくとも、愛のような何かが、肌の触れ合うより前にほしい。


 最上階のドアを開けると、暖かさと、人の気配があった。始末を終えた台所。ついたままの明かり。そして、ソファーでうたた寝をしている由花子。音をたてるまい、としたのに、起こしてしまった。


「いい、いい、かまうな」


 おれは、体を起こす由花子に、手をかざすようにした。


 その姿が、棚のガラスに映る。ディティールを失った、ぼんやりとした影が、記憶のなかのものと重なる。


 テーブルの上のカラフェからグラスに注ぐとき、あの日の、上品な不調法が、おれでここに再現されている。


「律おじさまに瓜二つよ」


 眞波の、当然だといわんばかりの表情を思い返す。


 おれ自身でも、驚くほど似ている。年齢を重ねるほどに、ますます近づいてきているのは間違いない。


 並みいるライバルたちをおいて、選ばれた理由。そこにおれはいない。眞波は律が欲しかったのだ。


 時折聞こえる、激しい風の音。どこかにいる眞波と、おれのあいだに、冬の冷たい一陣が吹き抜けていく。


「良ちゃん、ごはん食べてきたんでしょう」


「まあね。どうした、今日は」


「アパートに戻るのも面倒になって」


 由花子には、金曜から日曜は何もしなくていい、と話していた。週末は互いに、どこかに出かけているのが常なのだが、たまにこうしてマンションで好きなように過ごしていることもある。


 リビングに置いたままの暖色のエプロン。洗練とはほど遠い、どこにでもある田舎臭さ。おれは、由花子がいつまでもこのようであってくれれば、と願っていた。


 ままごとにしか過ぎないここでの時間が、二人のなぐさめ。憧れ続けた、ささやかな幸福に似たものが、少しではあるが確かに含まれている。選べなかった、もう一つの人生の影をとらまえて、未練がましく……。


「二人で風呂に入ろう。背中流すよ」


 バスルームのなかには、由花子の好みのものが増えていた。違った角度からの良さを改めて知る。おれはそれを新鮮だと思った。もう一つの、決まりきった選択があるのだ。


 二人でゆっくり湯船につかり、温まる。広いバスタブはどう使ったっていいのだ。疲れのせいで、体を清潔にする用いかたしかしていない。


 もし、おれに本当の意味で家族があったなら、こうした機会も持てたろう。


 ……詮ないことばかり今日は考えてしまう。


 由花子とおれは、互いに本人そのものを好ましく思っているのだろうか。


 損得勘定と、形代(かたしろ)。どこにも心の入る余地がない、身勝手なエゴイズム。それをまっすぐに相手に向けるほど、ひどい行いはできそうにもない。おれなりに由花子は大切にしたいと願うのだった。


 髪を乾かして、ふと、こぼす。


「パーマでも、かけてみようかな」


 整えていないところに、手ぐしを入れる。


「えっ? あれ?」


 近づいてきた由花子は、ためつすがめつ、おれを眺める。


「もしかして、波留という女の子……」


 体からほんのり湯気をたちのぼらせる由花子を、驚きの目でとらえる。やわらかなはずのバスローブが、おれの心にごわつく。浴室の換気扇の音がやけに大きく聞こえる。はけていく洗面台の水。泡が居残っている。


「どうして……まさか、はじめから……」


 壁にもたれかかる。床に二人の影が落ちている。


「わたしの婚約者が、同じ学部、同じサークルの何人かと一緒に島へ来たことがあって。そのなかの一人に波留って子がいた。良ちゃんに初めて会ったとき、知らない感じがしなかったの。どうしてかな、引っかかっていた。その子にそっくりなのね」


「親しいのか」


「全然。サークルの皆と一緒だっていって、かれが、今日の昼、写真を送ってきたから気づいたようなものよ」


「そうだったのか。まあ、当然だが、おれたちのことは……」


「他人にしゃべるわけないよ」


 おれは胸を撫で下ろした。


「娘さん?」


「こんな、若々しいおにいさんに何をいう。年齢的にありえない。親戚だ。はとこだ」


 部屋へ行くと、サーバーの水を立て続けに二杯飲みほした。追いかけるようについてきた由花子も、同じようにする。


「良ちゃん、子どもはいないの」


「ほしいけどね。いないよ」


 ソファーに体を埋め、テレビのスイッチを入れた。


「わかるの。なんとなく」


 由花子のほうへ向き直る。


「たぶん、かれ、波留って子のこと、気になっているの……」


 おれは思い出す。あの日のひとこと。


「お相手は……X県のかたよ。ピンとこない?」


 眞波の勝ち誇ったような笑みが、由花子の後ろに見えた気がした。


 そういうことだったのか。


 大鳥(おおとり)哲人(てつんど)の息子の意向がはたらき、結果として由花子とは破談になる。


 おれはほくそ笑んだ。


「それならそれで、いいじゃないか」


 立ち上がって由花子の手を引く。


「もう何も心配するな、由花子。面倒みるぞ。子どもができたなら、できたで、なおいい。家の一軒ぐらいすぐにプレゼントするさ。おれとずっと一緒にいろよ」


 おれはそのままベッドのところまで行き、由花子の唇をふさぐと、柔らかなその場所で押し倒した。

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