回折:BROTHER(s)・3
窓から飛んでいっているものが鳥ならいいのに。
本は宙で開いて風に乗るかと思いきや、すぐさまに墜落する。
真下の植え込みに引っかかって、汚れるといっても、大したことにはならない。
猛は唐突におれの部屋へやってきて、難癖をつけ、あたりのものをみな、投げ捨てたのだ。
「きてみたら眠りこけている。やはり、思ったとおりだった」
どこか嬉々としているのはなぜだろう。
「勉強しているとみせかけて、すきなように眠るために、一晩中電気をつけっぱなしにして、わたしを欺こうとした」
またか、とうんざりした。学生の本分は勉強であるから、寝むことなく行え、というのだ。
眠気が限界だった。耐えられず床に入っているとこうなった。
不思議でならないのは、猛の睡眠時間である。ランダムに起き出しておれの様子をうかがう。
あまりに細切れだ。まとまった眠りは取れず、肉体も精神も正常ではなくなるはずだ。
そこまでして、動向を把握しなくてはならないものだろうか。
ひとしきり猛はおれの部屋を荒らすと、説教を始めた。内容は、どこに本筋があるかまったくわからず、単に人を責める楽しみを抱いているとしか思えないものだった。
「努力が足りない」
この言葉をいつもいつも浴びせかけられる。努力をしたかしないかは結果としてどうでもいい。どのみち同じなのだ。ひたすら誰かをサンドバックにして憂さ晴らしをしている。
おれは決して猛の機嫌などうかがわないので、特に標的にされやすい。かといって、合わせるつもりもない。
いつかは死ぬ。この猛き人も年老いて、自分のことひとつできなくなる時がくる。それまでの辛抱だ。
かれはとんだ思い違いをしている。誰もがへつらうのは、懐の中身だ。
万一、面倒だからと従うふりをしたなら最後、以前はいうことをきいただろう、と過去の言質をとって、絶対服従を求めてくる。
「わたしを馬鹿にしているのか」
まったくその通りである。
しかしながら、自身の口からそんなひとことが出るというのは、得体の知れない劣等感のなせるわざだ、とおれはふと思った。
いま、この構図をしてみれば、有利なのは猛のはずなのに、かれを焦らせるものは何であろう。
時計は真夜中を指している。丑三つ時に繰り広げられる馬鹿げた光景。
こういうとき、母は寝たふりをしているのか、関わり合わない。都合の良い弾除けにされている。おれにはわかっていた。
別室では、剛がかれ専用のテレビを観て、夜遅くまで笑い転げている。それは許されているようだ。
目の前にいる猛は、ナイトガウンを身にまとい、はるかに非力で弱い立場の子をなじる、狭量な男にしか過ぎない。
かれからいわせてみれば、それは愛情らしい。努力し、素晴らしい成績を収め、人に誇れる者になれ、と励ましてやっているのだそうだ。
そして猛の去ったあと、中庭に捨てられたものを拾わなくてはならない。湿ってしまっては扱いづらい。
きっとそうした様子をどこかからうかがい、ようやく猛は安心するのだろう。ここまでがひと揃いだ。
漏れる明かりで物の場所はわかる。植え込みのあたりで黙々と拾う。
散乱した本のなかには、小さいながらも、幸せな我が家、といった描写があった。さっぱり理解できない。
ないものねだりとはこのことだと思った。
大きな屋敷に生まれ育ち、何を望むべきだろう。
ここにいる者が見るべき夢など限られている。
だから、おれは夜へ向けて心を開いた。太陽は目を背け、全てに知らん顔をしている。見なかったことにしてくれる優しさが、あたりじゅうを包んでいる。できるなら、いつまでも朝がこないでほしい。
眠り損ねた蝉が鳴いている。何かを求めても、応える相手もいないだろうに。
世の中には山ほど普通の幸せがある。それを自分にくれとまではいわない。せめて、もう今回は、おしまいにしてほしい。
おれは、誰もいないまっただなかで、しずかに涙を流した。
声もあげず、ただうつむいて、この人生の終わりの早くおとずれんことばかりを神に祈った。




