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回折:BROTHER(s)・2

 父の猛と叔父の律、こうして並んでみると、まったく似ていない。


 あふれこぼれる気品は隠しようがなく、何も知らない者ならば、律を当主と思うだろう。


 ふと律は、ワインボトルをつかみ、自分のグラスに無造作に注いだ。


 給仕の係の顔色が変わったが、軽く手を挙げ、微笑んでみせた。


 不調法のはずなのに、あまりに自然で、使用人をねぎらう度量の大きさまでうかがわせる動きであった。


 猛なりの矜持が、沈みこんだ様子を落ち着きと見せかけるために、かれ自身に席を立たせないでいる。


 相変わらず剛の世話ばかりして、優しさに満ちあふれた人であろうと必死な母。剛だけが、いつものように、使用人へ、きわめて不遜な物言いをしていた。


 一切合切を無視して、料理とだけ向き合う頼子。


 祖父母はすでに亡く、この兄弟がどのように過ごしてきたか、おれに知らせる者はない。過去はどこかへ流されていって、もう、確かめることさえできなくなっている。


 猛は、家の内でも外でも、石倉汽船の社長として、または石倉家の当主として、権威ばかりを表に出しながら生きてきた。


 ところが、律が一緒に過ごすときばかりは、肩書きなど、かれの輝きの前では無力になってしまうのだった。


「お仕事が順調かどうかは、うかがうまでもないでしょう」


 うつむき加減の微笑。律は、面倒な日本語がすんなりと出てこなくなっている。


 もう、かれのなかには、ここ以外の居場所があるのだ。


「芸術家というのは、いっけん怠惰なふりをしながら、やけにこつこつと努力する類の者が多いようだ」


 猛はわざとらしくワイングラスを回して、赤い液体を内側で暴れさせた。


「おれは勘定が下手なのですよ。およそビジネス向きではありません」


「利を度外視しなけりゃ、レッスンなどできないさ」


 猛は知っている。むかし、律がどうであったかを。


「明日から数日、車であちこち、好きなように出かけてきますよ」


「誰か運転手と一台をつけさせようか」


「いえいえ。ひとりでないと。おれを口説きたいひとがいたらいけませんから。レンタカーが明日の朝から一台、入ってきます。それだけお知らせしておきます」


 頼子は、年頃の娘というのに、そうした会話に何の反応も示さなかった。


「あまり素敵なひとがいたなら、わたしにも紹介してもらいたいね」


 猛から、いつもの尊大さが感じられない。とかく必死に自分を守ろうとした、嘘の冗談。明るい人物だと思わせなくてはならない、焦りの表れ。


「らしくありませんね。生真面目なにいさんに、そういう冗談はしっくりきませんよ」


 律の、笑い顔をそっと引っ込めるときの、さみしげな動きはなんなのだろう。


「ときに頼子さん。きみの縁談はどうなりそうなの」


 猛から歩み寄るような物言いだ。


 傾いた陽が、一日の終わりを、光にのせて知らせにくる。それをけて、星の瞬きより一足早く輝く頼子の双眸そうぼう


「申しぶんない。行夫ゆきおくんならば」


 猛はそう言ってうなずく。


 どうやら、頼子には決まったひとがあるらしかった。おそらく、行夫というのは、森という老舗の海運業の御曹司であろう。時折別棟をおとない、おれにも声をかけてくれることがある。さわやかな青年だ。


 ふと母が手を止めて、頼子のほうを見やった。剛がぼろぼろと料理をこぼすのに気がつかない。かれの首元にかけたナプキンが汚れていく。


 わざとらしく、母は笑みを浮かべてうなずいた。表情の下から、本当の安堵の色が滲みだしてくるのがあきらかだ。


 頼子がここからいなくなるのを喜んでいる。

 そのとき、おれには理由がわからなかった。


 庭の草むらの間から奏でられる、早々とした秋の音色。風の吹きかたは、遠い潮のたよりではなく、暑さの去り行く兆し。


 おれたちのいる大広間の明かりが、暗く沈んだ芝生の上に、もう一つのスクリーンを作り出している。ひとりひとりの意味合いの消えた、石倉邸の晩夏の夕暮れのワンシーンだけを時に留める。


 当主はその弟と歓談し、一族の祝いごとを間近に控えて団欒の光景。


 いつまでも沈まぬかのように思えた夏の太陽は、もうどこにも名残ひとつない。


 知らぬ間に過ぎてしまった黄昏の時。二度とおとずれるはずのない日。

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