引き潮・3
「さあ、メインディッシュですよ。いっそう、味わいましょう!」
ひとことに続くようにして、次の料理が運ばれてきた。
出来は大変なものであった。今までに味わったなにものより、桁違いに美味といえた。ひと口ひと口、消えていくのが、惜しくてたまらない。
量としては結構にあったはずだが、かなりのスピードでたいらげてしまった。
「もう、素晴らしいとしか……」
ため息のかわりに伝える。頷いて、方俊が返す。
「会長にそうまで言っていただければ、きっと、料理人も喜びますよ」
デザートが運ばれる。エスプレッソを給仕するのが、シェフだとすぐにわかった。相当な年配であったが、眼光は鋭く、腕は冴えていることが、それだけで明らかだった。そのシェフは波留の顔をじっと見つめ、感慨深げにしている。その目にはみるみるうちに涙が溜まってきた。しきりにまばたきをしているが、あふれるものをとどめきれない。
「すぐにわかったかい。やはりね」
「お屋敷に、戻ったようで、ございます」
途切れ途切れに絞り出すような声。シェフは目頭を押さえた。
「良ぼっちゃまの面差しに瓜ふたつ。律さまのお姿も、すぐに、思い浮かびましてございます」
方俊がここでようやく口を開く。
「むかし、森家から石倉家へ、シェフとして行った人物です。会長。あなたのご存知ない石倉のことをわかっている、ただ一人の証人ですよ」
波留はシェフに向き直り、告げる。
「わたしは五百旗頭の者です。けれども、石倉の特徴が、それほまでに出ているのですか」
一瞬、驚いた表情を見せたあと、シェフは口を開いた。
「てっきり石倉家のおかただと。そうです。まさしく石倉さまそのものでございます」
声が震えている。
「良ぼっちゃま。あれから、どれほどの、ご苦労があったのでしょう。他所にいたわたしを、森の先代さまが、ついこの間見つけてくださり、ようやく今ここで……」
「先日、良くんに、かれの料理と知らせず食べさせたら、それはもう、旨い旨いといって。あれだけ口ぎれいな男が、ね」
シェフは口もとをおさえて、肩を震わせていた。
「近いうちにここへ招ぶ。そのときは、とくに、腕によりをかけて良くんのために作ってくれないか。ぼくからの頼みだ」
「お願いがございます」
「何か」
「最後のサンドイッチは、余りでつくったものでございましたから、料理人として納得がいきません。もう一度作り直させていただきたいと、お伝えくださいませ」
方俊は目を見開き、ひと呼吸おいて、しっかりと首を縦に振った。
「わかった」
深々と頭を下げ、部屋を出ていくシェフの頬には、光るものがあった。




