FATHER(s)・1
どれだけの賑やかさがあっても、おれには関わり合いがない。
ステージの上で、ピアノと弦楽器がここにいる人々に愉しみを与えようとしているが、果たしてどれだけ受け取ることができているだろう。
かれらのまとう服、素晴らしい生地はきらびやかなシャンデリアの下でその特性を明らかにされている。着ている人物だって、まるで自分がこの世に二人といない紳士のように振る舞っているが……本当のところ、腹の中では、目まぐるしい損得勘定でもって、外に接しているだけなのだ。
ここにはそうした人間しかいない。
おれ自身も似たようなものだろう。ただ、かれらほど器用ではないから、とりすましていると思われる。
奥まったところにある特別室で、濃いサングラスをかけ、食事の彩りもわからずにいる。
「何を気取っているのよ。外したら?」
「まぶしくていけない、きみが」
眞波はあきれながら笑う。
ここの料理は、どれでも熱すぎず、猫舌でもつらくない。
おれは、ナイフやフォークであれば、あまり気にせず使えた。どうしたわけか、箸のほうが苦手で、不調法なのである。
人嫌い、顔を出さない、ひきこもり社長……そうなった理由は、案外、くだらないことだったりする。
「どういう風のふきまわし? 秘書室まで使って、わたしを食事に誘うって」
「美人の口説きかたを知らないもので。秘書室長に相談した」
おれは皿の上のものを口へ運ぶのに集中した。
「気が利いているよ。さすがかれだよ。きみをして、この、お義父さまがおつくりになったサロンの予約まで取らせるのだから」
サロン「ぶどうの葉」は、イオホテルグループの創始者、五百旗頭欣二の肝煎で作られた社交場である。
「わたしでは、到底、ここをおさえるなどということはできないからね」
いまおれのいるコーナーは、特別会員でなければ使えないのだ。
少し高くなっているここから、室内の一切を見下ろすかたちであり、ひとを偉くなった気分にさせる。そうした造りだ。
天蓋は薄暗く、眞波の美しさに妖艶な翳を与える。
「きみは、ヴァイオリンは好きかい」
「嫌いではないけれど、子どもの頃聴いて、驚いた覚えがあって」
銀のカトラリーに、気取りすぎた男の姿が歪んで映る。
「叔父が、ヴァイオリン弾きだった。年に数えるほどしか会わなかったけれど、屋敷の大広間で聴かせてくれていた」
眞波の手が止まる。
「どういうこと? 律おじさまでしょう、それ。良、あなたのお父さま、の間違いでしょう?」
「いや、まって。わたしの父は、石倉汽船の猛だよ。兄のほう。きみ、戸籍見なかったの」
言ったあと、それもそうだ、届を出したのは自分だったと思い出す。
「冗談でしょう。あなた、律おじさまに瓜二つよ。いえ、もう少し、おじさまのほうがいい男だったけれど」
「そんなくだらない嘘はつかないよ。ねえ、では、律おじさまのところの、頼子さん、知っている? 今、どうしているのかとか」
「わたし、おじさましか知らないの。父とは仲が良かったみたいだから。ちょっと待ってよ。良のこと、ずっと、律おじさまの息子さんとばかり」
見るものの彩りが、すべて青鈍がかっていて、憂鬱な心の理由をそこに求めた。
……眞波が、おれを選んだ。
そのときの、不意打ちのような喜びを思い出そうとしてみても、うまくいかない。
給仕はタイミングを読んで、最適のものを運び、二人とも淡々と食事という作業に取り掛かる。
読ませたくない視線の先に、探し続ける人の影。席を移動する人の流れをたどる。ステージ上の演者以外をつぶさに眺めるのには目的がある。
唐突。おれ自身ギリギリまで思いつかなかった。
眞波との急な外出。お互いが気に入る店で、すぐに予約が取れるところといったら、この、ぶどうの葉をおいて他にない。
そして、もし五百旗頭欣二に会えるとしたら……。
おれはワインを飲み、眞波に見とれる仕草をとる。少しわざとらしかったとしても、きっとアルコールのせいにしてしまうだろう。
こんなふうに、仮面も素顔もない芝居を打って、いったい何を本心としたらいいのだ。
行動のひとつひとつに、説得力のある理由をこじつけて、おれ自身の願いを見失っている。
いくつもの光源が、おれを通してさまざまの影を描く。どれも全くの嘘ではない。好きなものを選び、それに合わせてしまうのも、できない話ではない。
何が正しいか、考えたところでどうなるというのだろう。義父とさえすぐに連絡は取れず、引き立てにあずかるなど夢のまた夢。
おれには、家族というものが何なのか、まだわからない。
向かい合う眞波は、慰留の話が出るものと思っている。どこか構えたところがある。だからこそ、今日は、その話はすまい。
あたりは、食事よりも、挨拶など交流を目当てにしているものばかりだ。
時間が過ぎ、テーブルからテーブルに移る流れが速くなり始めた。
おれはいったん席を立った。




