【007】『手が温かいです(ステキ)』
来たる衝撃に備えて目を瞑るという、何の解決策にもならない行動を起こして、私は空に投げ出された。
衝撃が……来ない。
それどころか、ふわりと温かい何かに包み込まれた。
「え?」
「………」
恐る恐る目を開けて見ると、私はぶつかった青年に抱き留められていた。
なんて温かい体なんだろう?
服越しに彼の体温が伝わってくる。身に染みた。
人の温かさに飢えていたのだ。婚約破棄されてから、人間不信になりそうなんだよね? 信じるに足る人と、信じられない人と、どこで区別すればいいのだろう? 切実だ。経験則でしか生まれないのだろうか? それとも人は何年経っても、痛い目に合いながら、目の前の人の人となりを判断して行かなければならないのだろうか?
第二王子の手痛い裏切りにあってから、本気でそういう技術はないのかと思ってしまう。魔法に嘘発見魔術のようなカテゴリーが有ったら良いのにな? ……開発出来ないかしら? うーん。物理魔法より精神魔法は百倍難しい? けどさ、媚薬とかあるよね? あれは精神に作用しているのか、もしくはホルモンに作用しているのか? ホルモンだろうなと思う。その方が大変手っ取り早い。
媚薬なら開発は意外に行けるんじゃないかな? でも法に触れるかな? どうだろう? 精神魔法の領域は黒魔法だ。媚薬もそこに含まれる。そして黒魔法術師と言えば、古の六侯爵家つまり闇魔法術師を輩出する彼の家が専門だ。伝は全くないが、第二王子に媚薬を飲ませたらどうなるのだろう? 結構良い意趣返しになるんじゃないかしら?
ウフフ……。私が悪そうに微笑むと、抱いていた青年は引いた。御免なさい。ちょっと思考の海に漕ぎ出していただけで、決して変態とかではありません。ホントだよ?
「あ、あの。申し訳ありませんっ」
「………いま、悪そうに笑わなかった?」
「………」
「………」
助けて貰ったのに、悪そうに笑っちゃってゴメンなさい。
だって、昨日までめそめそ泣いているだけだったのに、名案? が思い付いてしまったというか……。
だってそもそも私悪くないし! 悪いのは浮気した王子だし! なのに私が路頭に迷ってるって納得いかないし! なんでわたしが卒業記念パーティーから逃げ出さなきゃいけないんだって話だし! ちょっと三日経って、悲しみが怒りに変換され始めた。
「あなた様も職探しですか? いや大変ですよね? 時期を逃したせいかめぼしい物は殆ど有りませんね? 私はこの侯爵家三食付き侍女。魔法素養の有る者優遇にしようと思っている所です。でもこれ面接と履歴書提出と書いてあるんです。私、三日前に婚約破棄されたばかりで履歴が最悪なんですけどどう思います? やっぱり当たって砕けろですかね? でも私砕けて立ち直れる程、心に余裕が無いんですよね」
「………」
私は突然堰を切ったように喋りだした。死人に口なしだ。死んでないけども。でも言わなかったら言った人の言葉に負けてしまう。私は私の真実に従って喋ろう。
仮令王族という立場でも、やっちゃいけない事はあると思う。王族は何しても許される傾向にあるのは確かだけど、私には魔法がある。六年間魔法訓練に明け暮れた矜持がある。負けるものか。魔法は力だ。七賢者は魔術師だったではないか。王とて、魔術師の力が必要なのだ。身分を盾にされたのだから、私は魔法を盾にしよう。あの第二王子は自分が王子だから、あんな不遜な行動を起こしたのだ。わざわざ嫌がらせをしたのだ。真実の愛を貫きたいのなら、穏便に婚約解消すればいい。
なのにわざわざ弱い立場の人間に恥をかかせた。私は一生結婚出来なくなった。傷ものだ。なんと悪質なんだろう。第二王子が病に倒れても回復魔法を使わない。ここに誓う。怒りが炎のように心の底から湧いてくる。聖女ですが清廉とは程遠く生きよう。今決めた。悪には悪で。善には善で。後悔するがいいわ第二王子め!
べらべら捲し立ててから、初めて青年の顔を見た。そして私はひゅっと息を呑む。魔術師だ。緋色の瞳をしている。赤は紅の魔術師。灼熱の炎を司る者。これ程の純色をしている瞳にはそうそうお目にかかれない。学園に紅の魔術師はいただろうか? 何個か上にいたかもしれない。けれどS級クラスとは実技で重なる事はない。先輩な上に、Sクラスとなれば接点皆無。
分厚いローブを着ていて、フードを頭からすっぽり被った上に黒いマスクをしている。瞳しか見えない。大変な厚着です。春ですよ? 暑そうですね?
しかし何故こんな所に? 紅の魔術師はその魔術の質から引く手数多だ。何と言っても攻撃魔法が段違いなのだ。職安で掲示板なんて見なくても、魔法省でも魔法師団でもいくらでも就職口がある。