第五話 実は学費を払いながら只働きをしていた?
聖女科学生は只働き必須。ということはない……筈。
「ルーシュ様、つかぬ事をお伺いしますが、魔法科は小麦など畑で作っていましたか?」
「……何故魔法科が小麦? 畑すらなかったが」
「そうですよね?」
「そうだろ」
魔法科はもちろん、教養科だって野良仕事などはない。だが、魔法科は六年生の時に魔法省で実習が入る可能性がある。聖女科六年も教会で実習だ。この辺りは学びの性質によるものかも。
「最終学年の時は、魔法省に実習に行かれたのですか?」
「行ったな。一週間」
「え? 一週間!?」
短い。見学のようなレベルの短さだ。聖女科は三ヶ月だ。しかも何故か長期休暇中に入る。つまり夏期休暇や春期休暇や土日に予定が組まれる。聖教会って日曜日は安息日じゃないのかしら? 祈りを捧げる日じゃないのかしら? まあ、聖女は毎日祈ってますけども。
私たちの光が東の果てまで届きますように。私たちの祈りが西の果てまで届きますように。太陽の光が、全てのものに等しく降り注ぐように、私たちの光も世界を照らすものであり続けますように。神なる父の右手の代理者でありますように。神なる父の左手の代理者でありますように。聖女は右手に光を宿し、左手に糧を宿す者。私たちの腕が貧しい人の、困難な者の、病で苦しむ者の、全ての人を包む広きものでありますように。
侍女になった今も、毎日起きたらベッドの上に手を組み祈っている。聖魔法を持った者の祈りは特別と言われている。祈りの文言を呟くと、小さな聖魔法が発動して空気中に溶けるように広がっていく。その効果は、浄化とも守護とも言われているが、はっきり目に見える形では現れない。けれど私は毎日欠かさず祈りを捧げている。魔法展開ではないはずなのに、微量の魔法が発動しているということは、何かしらの効果があるということだ。祈りの言葉の中にあるように、東の果ての果て。病で苦しむ者がいるのなら、どうか風に乗って運んで欲しい。
そして、聖女は右手に聖魔法を宿し、左手に日々の糧を握ると言われている。故にやっぱり、小麦はとても大切で、畑の一部でこっそり小麦を作って、左手にクッキーを抱えて孤児院を訪れる事は重要なのではないかと本気で思っている。しかし……小麦は野草? という訳にはいかない。いや、元の元、やはり小麦もこの大地に根付いた植物であるのだから、野草も夢ではない気がする。それが植物の真理というものではないだろうか?
「時にルーシュ様」
「どうした?」
「王都観光に行った帰りに種屋に行きませんか」
「………まさかとは思うが、小麦の種を選びに行くんじゃないだろうな?」
「流石! ルーシュ様! 名推理です」
「いや、そのまんまだ」
「まんまですか?」
「見紛うことなきまんまだ」
「原種の小麦の種が欲しいのです」
「一応聞くが………薬草畑に潜り込ませるのに原種の方が違和感がないからとか言うんじゃないだろうな?」
「流石ルーシュ様! よくお分かりになりますね!」
「いや……だから…」
「楽しみですね!」
「…………」








