432【30】『水底の揺らぎ』
水の揺らぎの向こう。
紫色の魔法陣が――
私はその魔法陣に目が釘つげになる。
これは魔術師達が集うお茶会の庭で見た魔法陣と同じもの。
でも――
大きさが――
大きさが違う。
あの時も大質量魔法だったが……。
…………。
桁が。
桁が違うのだ……。
何故?
という疑問で頭の中がいっぱいになる。
多分、運ぶ質量が違う?
もしくは……距離?
質量は水?
でも、彼は私達が水の中にいることを知らないはず。
いや――
知っているんだ。
だって、そもそもがここにいることを知っているのだから。
クロマルがいる所、全て把握出来るという。
そうでなければ、こんなにあっさりと、私達は魔法陣に捕らえられるわけがない。
ルーシュ様、シリル様、そして私。
三人の質量を転移させるためにこの大きさ?
私は水の揺らぎの中に見える魔法陣に目を凝らす。
魔法式が揺れる。
水と水の波で読み切れない。
魔導師達が集うお茶会の庭というカフェで魔法陣に囚われたとき。
あの魔法陣の詳細を読み込んだ。
それは脳裏に焼き付いている。
同じ魔法陣だが、極一部に差異がある。
転移質量の部分と。
それだけじゃなくて、やっぱり座標が違うのだ。
そこの部分はもちろん毎回変わる部分だから、魔法式を差し替える必要がある。
終点は?
そう考えた瞬間、私は魔法陣から展開された魔術によって、水の中に引きずり込まれる。
口から水が大量に入ってくる。
水の魔導師として、こんなことは初めてかもしれない。
水を動かす事が出来ない。
より正確には、水を掌握してよいのか分からない。
息が……。
息が……出来ない。
水ごと強制転移させられる。
私を引きずり込もうとする水底の魔法陣を見ながら、先程まで練っていた魔力を別の魔術に変えるべきだという警鐘が鳴る。
私と、そうルーシュ様、そしてシリル様の息が確保出来るように空気の膜のようなものを口元に作るべきではないのかと?
でもどうやって作ればいいの?
結界内の水は転移の対象として指定されてしまっている。
つまり紫の魔術師に空間を掌握されてしまっているのだ。
私が上書き出来るとは思えない。弾き飛ばされてしまいそうな気がする。
水底の魔法陣は顕現も速く、大きさも以前のものとは桁違い。
まるで魔術師達が集うお茶会の庭で発動させた転移の魔術は練習とでも言いたげではないか?
ちょっとした小手調べだよ? と紫の魔術師が口角を上げて笑っていそう。
魔術師のくせに油断しやがって。
一度あることは二度ある。二度あることは三度あると。
彼が声を殺して笑っていそうで、私は目の前が一瞬真っ赤になる。
あなたは敵なんですか? と問いたくなる。
なんで一度ならずも二度までも、こんな仕打ちをするのだと。
何も出先で引きずり込まなくてもよいではないか?
口で言えば済むことだ。
ちょっと用があるから転移の魔法陣に乗ってくれとか。
それで良いではないか。穏健にいこうよ。
私は口から空気をボコボコと吐きながら、紫の魔術師に悪態を付きながらも我に返る。
ここで範囲指定されている水を私が命令者として取り返して良いのか悪いのか?
取り返そうとしても、取り返せないだろうが、試みるのはありだろうか?
それが分からなければ、魔法は紡げない。
間違えましたでは済まされない場面だ。
じゃあ、どうすれば最善?
考えながらも、ああこれは思考を巡らせば答えに辿り着ける種の問題じゃない。
考えたところで分からないのだから、切り替えなければ。
選りリスクのない魔法を。
それは掌握された水の権限を取り返すことではなく、身の回りに光の結界を紡ぐことではないだろうか?
そこまで考えて、私は実行に移す。
再度言うが、迷っている暇はないのだ。
私は実験的に自分に聖魔法を展開する。
成功するかしないか分からないから。
光の聖魔法が発動し、私は光に包まれたのだが、瞬間で解除した。
苦しいわっ!
むしろ色々と苦しかった。
水を一緒に囲んでしまって、身動きが取れなくなった。
水を排出してから囲まなければ役に立たない。
当たり前といえば、当たり前の行為に自分でも驚く。
ルーシュ様とシリル様に掛けなくてよかった。
私、何がしたいんだ。
危ないわっ。
流石にしゅんと落ち込む。
いや、落ちている暇はないのだが。
このまま身を任せて引きずり込まれても、転移の刻は一瞬。
息がどうこうなるような刻ではない。
ただ苦しいというだけなのだが。
じゃあ、私が水の掌握に失敗したらどうなる?
水が誰の命令を聞いて良いか混乱するかもしれない。
そうすると魔術暴発に……。
どうしよう……。
どうしようと迷っている瞬間そのものが、もう勝機を逸している。
いや、初動の光魔法の選択をミスした時点で八割方終わった。
もう私に残された時間はない。
魔法は迷ったら終わりだ。
そもそもこの短時間に、私はどう対処したらいいか分からないでいるのだ。
水を掌握し直し、顔の周りに空間を作れば良いだけなのだけど。
それだと転移魔法の質量自体がずれてしまう可能性がある。
再度堂々巡りの再開だ。
私は唇を噛む。
これは魔術師が集うお茶会の庭で転移魔法が発動した時分と同じ悩みではないか?
つまり私は一度受けた魔法の対処方法を明らかにせず、放置しておいたことになる。
それは――
それは魔術師としてあまりにも怠慢という結果に。
己の命が掛かっているというのに。
危機管理意識が低い。
同じ魔術に掠め取られるなんて。
そんなのは国の魔法最高機関である魔法省の官吏とはいえない。
………………準官吏だけども。
なにかアルバイトのようなものだけど。
しかも、なし崩し的な入省で。
…………。
そうは言っても腐っても魔法省の準官吏だ。
同じ魔術に絡め取られては、その名に恥す行為であることには違いない。
そんなことを考えていたのだが、近くでぼこぼこぼこと音がする。
シリル様とルーシュ様が水の流れに逆らって、私に近づいて来てくれたのだ。
そして――
何故かシリル様が笑っていた。
ぼこぼこぼこぼこと息を吐きながら。
その体勢でそんなに爆笑。
今、この場面で?
なぜ――
そんな疑問に飲み込まれた状態で、私達三人は水底の魔法陣に飲み込まれた。