405【03】『王太子殿下と私の長い語り合い』
『泣かしたら意味ないって話』
その言葉を言った時のシリル様は、優しそうで、でもどこか寂しそう……。
泣かしたら意味がない、か。
これもまた沢山の言葉が抜けている。
主語がまず抜けている。
目的語もやっぱり抜けている。
手元にある情報だけで類推するとこんな感じだろうか?
シリル様は段取るのが上手いと。
相手の意見とかそういったものは一先ず置いておいて、さくさくさくと決めるのがお上手。
でも、それはしないと決めていると。
外堀を埋めるのも、根回しするのも、アンフェアも、先手先手も上手だということ。
王太子は立場上そういったことに長けているのだと。
それはそうだろうと思う。そもそも貴族というものはそういう部分に長けている。長けているから貴族だともいう。王族なんて最たるものだ。その部分がなければ出し抜かれるし、付け込まれるしで、困ったことになる。
でも、彼はしないと宣言している。
理由は相手の方を泣かしたら意味がないから。
泣かしたくない相手ということ。
つまり大切に思う相手。
その相手の方が目的語で、ご自分が主語かな?
そういうことなんだろうな?
ハイコンテクストだと思うよ?
状況と、前後で抜けている語句を推測する分けだから。
『僕が相手を泣かしたら意味がないという話』
全文を綺麗に穴埋めするとこんな感じかな?
答え合わせなんて野暮過ぎて出来ないけれど。
シリル様が言おうとしたのは、そういった文章だったんだと思う。
「シリル様はお優しい方ですね」
私は彼に向かって微笑みながら言った。
相手を思い遣るという宣言をしたようなものだから。
自分の心ではなく相手の方の心を優先するということだ。
王太子という立場では、あまり必要としない心持ちの一つ。
「そう?」
「そうですよ?」
私は力いっぱい返事をする。
それ以外なんだって言うのですか?
何でも手に入るお立場なのに、その立場を利用しないという事だ。
思いやり深いということではないか。
「じゃあ、安心して嫁いでくる?」
シリル様は小首を傾げて問うてくる。
ん?
「嫁ぎません」
「なんで?」
「侍女だからです」
「侍女だからは理由になる?」
「なりますよ? 侍女をしながら結婚なんて出来ないじゃないですか」
それで合っているよね?
私の価値観正常だよね?
「別に婚姻をしながら、通いの侍女をしている者もいる」
「は?」
「貴族の未亡人が家庭教師や侍女をやる例だってあるじゃないか?」
「え? 未亡人?」
「貴族夫人が侍女をやることは枚挙に暇がない」
シリル様?
何をそんな自信満々?
「結婚しても侍女を続けることは出来るから、侍女だから結婚しないは通らないよ?」
「?」
「言い訳として通りませんっ!」
シリル様は何故か手を挙げてキッパリと宣言した。
……。
「職業夫人を目指すべき? と言いましたか?」
「いや、そこまでは言っていないけどさ、本人がしたいならどうぞという話」
「本人がしたいならどうぞと言われましても……」
私はそこで黙り込む。
今までエース家の侍女でいたいと思っていた。
だから結婚なんて考えられない、と。
――でも
侍女が全員未婚かというとそうではない。
よくよく考えて見れば、既婚者もいる? あれ?
今は住み込みだけれど、通いでお勤めをするということだよね?
「……でもシリル様、それって未亡人ですとか、離縁された方ですとか、色々なご事情がある方が多くないですか?」
多いよね? そうだよね?
「諸事情がある場合も、諸事情がない場合もある」
……諸事情て。
私の諸事情って?
何?
みたいな。
「ただのバリキャリもいる」
「……――」
えー……。
そうとも言うんですね?
エース家の侍女をしながら結婚???
「……いや、シリル様? 無理ありませんか?」
無理あるよ?
あるよね?
「無理などない。今日から選択肢の一つに入れるといい」
「…………」
相手が庶民ならまま有りなのかな?
いや、それだと貴族じゃなくなっちゃうから侍女は難しいかな?
でも、元貴族ならありかな?
いや待って、私は魔導師だから必然的にお相手は貴族に絞られる。
魔導師は魔導師と婚姻をするのが義務だから。
そうなってくると、未亡人か出戻りか……――いや、仕事が大好きというバリキャリもありか……。
色々あるのだな? うん?
しかし王太子妃が侍女なんてないだろう。
それだけは自信がある。間違いない。
王太子妃とは行く行くは王妃だ。
王の妃だよ?
何度も言うけども。
偽装結婚の後に離縁して侍女ってのはありだけども。
それは元王太子妃だしね?
身分も元に戻るし、所謂一つの諸事情だ。
……諸事情。
私はシリル様に向かって、にっこりと微笑む。
シリル様もにこにこと笑い返してくれた。
「僕は心が広いから、自分の妻がエース家の侍女でも構わない」
「…………」
いや、構うだろ。
周りが。
シリル様以外はみんな構う。
漏れなく全員構います。
身分崩壊ですから。
立場上、あり得ません。
私とシリル様の笑顔の交差。
別名、思惑の交差。
貴族あるあるですね!