402【四章③終話】『彼の中のProgram』
敵の敵は味方。
私はそんな言葉を思い浮かべていた。
アシュリ・エルズバーグは敵? では今はない。
けど、ソフィリアの街で会った時は敵だった。
過去は敵。
間違いなく。
私は自分自身が真珠色の魔蟲に囲まれた感触をリアルに思い出して、肌が粟立つ。
あれは怖かった。
何もない空間から、数え切れない程の魔の蟲が転移して来たのだから。
空間と空間が繋がって、空間の切れ目から万という蟲が……。
彼が本気で戦っていたら負けていた。
聖女なんて敵わない。
もしも聖女が本気で人と戦う日が来たら――
それは人体内での戦いになる。
そうそれは例えば王妃陛下のような……。
そこまで考えて、ああそうなのか……とストンと納得してしまった。
学園や教会では決して習わない。
聖女は癒やしの魔導師で、人を傷付ける戦闘魔法を使えない。
でも――
王妃陛下。
彼女は戦う魔術を会得しているのだ。
きっとそう。
聖女にしては大変珍しいことだけど。
というのも、そういうことは考えないのが聖女だ。
治すことしか考えない。壊すことなんて考えない。
――だけど
治せる人間は、イコール壊せる人間なんだ。
だって今回の執行魔術を考えてみればいい。
私は執行の全権を握るようなもので、執行される側は抵抗が出来ない状態なのだ。
人間の最大のウィークポイントである脳へアクセスを許しているのに。
少し手元が狂えば、少し悪意を持っていれば、小さな少しが最悪の結果を生むこともある。もちろん誰にも分からないように。
私は自分の両手の平を見た。
――聖女って。
自分の手に握られたものの重さを思う。
王妃陛下は?
もしかして、動く者を?
いや、そんな筈はない。
そうであったなら、聖女は聖女でいられない。
はず?
若干の恐怖で手が震えそうになった時、いよいよ外が騒がしくなり、廊下をパタパタと駆ける使用人の足音が聞こえた。使用人といってもシトリー領は今、五人くらいしかいないけども? それでも一番の貧乏期よりは増えたね? 執事とメイド長とメイドが二人に庭師兼御者兼のマルチな男性使用人ベテランみたいな。いや、伯爵家らしくなった。しみじみと思いながら、私は廊下への扉を開ける。
私、闇の賢者様のお部屋で寝落ちしてしまったから、誰も居る場所を知らないんだよね? 朝から。もしかしなくともメイドに心配を掛けてしまったかな?
そう思いながら、声を掛けると、若いメイドは私が闇の賢者の居室から出て来たことに驚いて腰を抜かしそうになって戦く。
「……お嬢様が………そんなあられもないお姿で、客室から、男性の部屋から…………あぁぁぁぁぁぁ」
と言って泣き崩れてしまった。
え? そこ?
この騒ぎは伏兵じゃなくて、私が行方不明になっていたからの騒ぎだったの?
あられもない姿って、就寝着だけどリフレッシュしたてだよ?
ちょっと薄着だけどもさ。
「第二王子殿下に振られ、自暴自棄になったお嬢様がっ」
メイドが目に涙を溜めて、私に可哀想な者を見るような目を向けて来る。
酷い。新人メイドだからって、なにか忌憚がなさ過ぎて酷い。
振られたって……。
振られたけども。
自暴自棄にはなってないし。
「紫の魔導師様は妻のいる身ですよっ!」
「…………」
メイドに誤解で怒られた。
ちょっと思い込みが激しいメイドね?
シトリー領出身?
それともセイヤーズ領出身?
まあ、見るからに貴族とは縁遠そうだが。
ちなみにシトリー領に侍女はいない。
よね?
今も昔もこれからも。
雇うお金がないというシンプル過ぎる理由だが。
「メイド長に知らせてきますっ」
そう言って、私を置いてメイドは走って行ってしまった。
私はその後ろ姿を茫然と見送った。
いや、上着が欲しかった。
いや、その前に誤解を解かなくては。
言い訳の一言もさせて貰えなかった。
これは不味くない?
その上、その誤解をメイド長に報告って。
走って行った後ろ姿といい、あれはメイドじゃない、領地の若い娘だ。結婚前の。若いと言っても私よりは年上だけど。ちょっと行き遅れて奉公に出ましたくらいの下働きメイドなんだろうけども、シトリー領館には下働きとか給仕メイドとか侍女とかそういった細やかな括りはない。洗濯も料理も掃除もこなすし貴族の前に出て口も利く。
ああ……。
何か脱力。
私は脱力したままとぼとぼと廊下を歩いていたのだが、エントランスの方がやはりどよどよとざわめいている。どうしよう? 私の行方不明騒ぎかな? もしそうならば、さっと顔だけ出して部屋に戻ろうか? 部屋の外を歩く姿ではないのだが、上着はないし、着替えもないし、みんなが心配をしていたら申し訳ないし、実家だし、使用人少ないし、いるのは、えっと、風の領主様と、ああそう言えば風の領主様は端から開けていった客室には居なかったな? どこにいたのかな? 父の部屋で美酒で乾杯中だったのかな? きっとそうなのかな? それも素敵だな? 美味しかったのかな?
そんな他愛もないことを考えながら、就寝着のままどよめくエントランスホールに向かったら、エントランスに二人の人間が倒れていた。
ああ、あれは?
軽い旅装の青年が二人。
呻きながら「……水を一杯」と掠れた声で言っている。
大変!? 旅の御方でしたか?
私は水魔法師なので、「水をいっぱい」は得意中の得意ですから。むしろよくぞその言葉を言ってくれたと思うくらいのベストタイミングだ。
私は旅の御方に向かって走り出す。
水魔法を展開しながら走ったが、走りながらコップがないことに至って慌てた。
水を出したはいいが、入れ物がないよ? ああなんかとっても不便。
でも一端出した水を引っ込める訳にもいかないし、私は水球を出したまま、走って旅の御方の前で膝を着く。
「どうぞお水です」
どうぞと言いながら水球を口元に持っていくと、旅の御方が少し体を起こした弾みで私に倒れ込んでくる。
「!?っ」
旅の御方は私に倒れ込んで来て、私もそのまま倒れて、水球は私達の間で弾けて私達はびしょ濡れになった。ああ水が、ああ服が、ああそんな事よりも体力回復の聖魔法だった?
私は仰向けになりながら、空中で聖魔法を展開していると、その聖魔法の展開を感じたのか旅の御方は一瞬後ろを振り向き、そして私をじっと見つめる。私はその時になって初めてこの旅の御方が誰だか分かった。ああなんだ、ルーシュ様? じゃあ、あちらに倒れているのはシリル様ですね? そう思うと懐かしさからか笑いかけようとしたのだが、ルーシュ様が私の耳元に口元を近づけて囁くように言ったのだ。
「魔力回復の聖魔法を展開して?」
と。
ああ、魔力がないのですね?
了解です。
私は二つ返事で了承すると、体力回復の魔法陣とは別に、魔力回復の魔法陣の展開に入った。
二つを一緒に組み込んだ魔法陣でも良かったのだが、旅の御方がルーシュ様だとは知らなかったというか、魔導師だとは思ってもみなかったので、先に体力回復の魔法陣を展開させてしまっていたので、別起動で追加魔法陣を練ったのだ。別でも組み込み型でも効果は同じなので、なんの問題もない。
「……昔みたいにして?」
「え?」
ルーシュ様の掠れた声が耳元に響く。
昔みたいって?
どうやって?
何か、特殊起動があるのかな?
私は彼に尋ねようと思って口を開いたのだが、その口に彼の唇が――
「!?!」
彼の唇が私の唇に触れた瞬間、私が起動していた魔法陣は全て弾け飛んだ。
私はそのまま茫然自失。
倒れ込んだまま、髪も服もびしょ濡れで、私は薄着の就寝着で、ああもう一度魔法展開をしなきゃとか、服から水を分離しなきゃとか、そんなことを考えながらも、柔らかい感触で頭が真っ白。
声にならない声を上げたかったけれど、私は唇を塞がれていて、上げることが出来なかった。
柔らかくて、温かい。
その温もりだけで頭がいっぱい――
私はそのまま過集中魔力の状態に入り、魔術も体力も限界値にある旅の御方より先に、目を回して気を失った。
いつもお読み頂きましてありがとうございます。
この話をもちまして四章③終話になります。
書籍形式では8巻になります。
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