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372【11】『円環の轍の中』

視点が移ります。

ユリシーズ(ロレッタパパ)になります。



「見損なってもらっては困る」



 領館の一室で、ユリシーズ・シトリーがぼそりと呟くと、その声に反応して二人の人間が視線を上げた。


 一人は紫色の長い髪と感情の読めないアメジスト色の瞳をしている。歳の頃はまだ青年だが、持っている雰囲気は青年のそれではない。紫紺のローブを羽織り、そのローブの裾は足下まできている。


 その紫紺のローブを着ている青年の左隣には、異様な雰囲気を持った男がいた。それは人間ではない。凡百の者とは明らかに一線を画する。白皙の肌に長躯、髪は冬の寒空のような透き通るブロンド。瞳はここではない千里先を見通すようなエメラルド。


 彼は魔術を発動していた。風の魔術。傍聴の魔術。もっと言えば、ここではない場所でしている会話を聞くための盗聴魔術。隣室にいる者の声を拾う風魔法。風は隠密行動に適した魔術だ。その魔術が拾う声に二人の者が耳を傾けていた。一人は氷の血統継承者であるユリシーズ・シトリー。そしてもう一人は闇の侯爵家次期当主であるアシュリ・エルズバーグ。


 三人はテーブルを囲うように座り、肘を突いたり、茶を飲みながら、ひたすらに聞き耳を立てていた。



「僕だってロレッタの父親だからね、紅の魔術師に遅れをとる存在じゃない。必要とあらば嘘の一つや二つや百くらい全然平気。心も痛まない。娘の幸せを願う嘘なんて親心として常道じゃないか? 迷う隙もないさ」


 ユリシーズは飄々と言ってのける。宣言通り悪びれる様子は微塵もない。

 実際、嘘も顔色一つ変えずにつけそうな雰囲気がする。


「それを口に出してしまったら、何の意味もないのだがな…………」


 ユリシーズに向けて放たれた声は意外なほど深い。千年を生きる者。国の創世から今日まで、彼は代替わりすることなくその瞳で全てを見て来た。


「……翠の君の意見は? 大聖女だと断言するの?」


 ユリシーズの瞳の先には、風の領地の大侯爵、領主当人が魔法展開をしながら様子を窺っている。


「どちらが最良かで決める。建国時と同じ轍を踏んでは、王があまりにも哀れだからな…………」

「…………哀れか。君が大聖女を陵墓に御納めしたのだったか」

「そうとも。約束したからな。死んだ後くらい、揃いで並ばせてやりたかった」

「翠の領主は優しいね」

「残ったものの哀悼だ」

「……哀悼。随分と人間くさい言葉を使うようになった?」

「ずっと、お前達が平和に死んでいる頃、人間をしていたからな」

「別に平和に死んでた訳じゃないけど。人間の寿命って恐ろしく短いから……」

「……本当にな。それだけ高等な頭脳を持ちながら爬虫類より短いとは……」

「爬虫類って? いったい何と比べてるの? ドラゴン?」

「いやドラゴンと比ぶべくもない。亀にも劣る」

「…………亀」

「亀は種によるが二百年近く生きるぞ」

「……すごいね。僕ら亀にも遠く及ばない」

「そうなるな」

「……だから永遠の轍を生きる者になる」

「まるきり同じじゃないぞ」

「それはそうだろうけどさ」

「こんな揺る温い氷は初めて見た」

「……へー……。揺る温いって。そんなに」

「歴代の氷はもう少しキビっとしていたものだ」

「へぇ。それはきっと無理をしていたんだね?」

「そうなのか?」

「そうだと思うよ? 内心では氷の賢者はきっと緩かったに違いないよ?」

「……そうだろうか?」

「きっとね」



 翠の君はどこか遠くを見るように思いを馳せている。

 初代を思い出しているのかな?

 千年経っても、どこか真っ直ぐな種族だなとユリシーズは思う。



「アシュリはロレッタが大聖女だと断言するのだろ?」


 ユリシーズの言葉に彼は頷きもせず、首を横に振る訳でもなく、気怠げに口を開く。


「まあ断言するだろうが、少し気になることがあると言えばある」

「気になることは沢山あるけどね?」

「まあ、そうだが。特に気になるのが魔力量だな」

「……魔力量ね」

多重魔法使い(マルチキャスター)であり、あの色素配合。王太子の執着からみても当然彼女が大聖女な訳だが……魔力量が合致しない。大聖女はもっと、それこそ、多重魔法近い(マルチキャスター)と言えるほどの魔力を持っていた。だが第二聖女は違う。少し大聖女にしてはコンパクトな嫌いがある」 


 アシュリの言葉を受けて翠の領主が口を開く。


「それは自明の理。君らが円環の轍を生きる、それこそが彼女の大魔法。大聖女の魔力の半分はこの円環に使われ続けている。時を超えて、死すらも越えて、永遠に魔法は朽ちない。通常の魔法は術者の死と共に朽ちるのだが、彼女の寿命を使った禁術なのだろう。この世で大聖女にしか使えない。五百年経った今でも解き明かせない、明かしようがない。大聖女の命そのものみたいな魔法だから」



 翠の君はそこで一端言葉を切ってから続けた。



「――今も変わらない。彼女の寿命が二十歳で終わる。それこそが禁術が繋がっている証なのだ。人間の寿命は端から短いものだが、ドラゴンにも、亀にも、遠く及ばない。彼女の寿命は猫くらいなものだ。大陸を渡る鳥にも劣る。あと三年で彼女の寿命は尽きるのだから。証と言えば、それこそが大聖女が大聖女である証」





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