351【035】『領域への道』
「シリル様? 甘いとか塩っぱいとか酸っぱいとか苦いは置いておいてですね」
「……塩っぱいと苦いは言ってないし……」
シリル様は首を捻りながら、そもそも塩っぱいは全然意味が違うし……それって出来の問題とか? などとブツブツ呟いている。
「一分の一スケールがいつも目の前にあるじゃないですか」
「…………」
「一緒に暮らしていますし」
「羨ましいよね?」
「え?」
「いやいや。でも一年半後には僕が羨ましがられる立場なのかな?」
それって偽装婚約からの偽装結婚の話をしている?
なんでそんな前向き?
どうしてこうしてそうなった?
「何を言っちゃっているのですかシリル様。全力回避ですよ?」
「え、あ、うん?」
なんですかそのやる気のなさそうな曖昧な返事。
「全力回避ですよね?」
大切なことなので二度目。
「………………………………………………………………うん」
間ながっ。
凄い長かった。
どんだけ? というくらい長かった。
もう少し、こう、喰い気味に来られませんか? 前のめりに?
しかし、いくら間が長くても、三度聞くのはな……憚られるという……。
「確かに一分の一スケールが目の前にいるのは、とてつもない幸福だと思う」
シリル様が語り出した言葉に、私は心の中で待ったを入れる。
私の言葉とは少し違うよ? とてつもない幸福とか言ってないよ?
一分の一スケールが目の前にいるから四十分の一スケールはいらないのでは? という話だ。
「もしもさ、七大賢者専門店にさ」
「七大賢者専門店!?」
「………………」
「あるんですかっ」
「……………………………………………………………………ある? かな?」
「どこにあるんですか?」
「まあ、それはおいおい」
なぜ、おいおい?
「もし、あったとする。そこに七大賢者のフィギュアが売っていたらどう思う」
「買いたいですっ。欲しいですっ。七体全部」
「それは目の前に紅の血統継承魔術師がいても、金の血統継承魔術師がいても、蒼の血統継承魔術師がいても思う?」
「思います!!! それはそれ。これはこれです」
そもそも今期の蒼の血統継承魔術師とは父ではないか。そんなっ。父が目の前にいれば初代七大賢者のフィギュアがいらないなんて……そんなこと起こるはずがない。だって建国七大賢者は七大賢者。各属性の血統継承者は血統継承者だ。別人だという話。
「そういうことだよ?」
「?」
いや待て待て。少し例え話が違くないかな?
「つまりは聖女専門店で買う四十分の一スケールの聖女フィギュアは古の大聖女がいいということですか?」
「ん?」
「だから初代国王妃である大聖女様のフィギュア。品揃えも一番ありそうですよね?」
「え?」
「それが男の子心なのではないでしょうか?」
「…………」
「アリスターが何でエトノアール第一期聖女フィギュアを欲しているのか皆目分からないのですが、弟三であるミシェルはですね、どうやら魔法オタクで行く行くは聖女の助手になりたいとのことらしいので、聖女といえば、ルーツは大聖女が始まりですからね? そこがど真ん中なのではないでしょうか?」
「……………………そうかな?」
「きっとそうです」
「………………」
「アリスターはその七大賢者専門店でブラックスライムのフィギュアとかどうでしょうか?」
「エトノアール第一期聖女のフィギュアのリクエストがブラックスライムのフィギュアにすり替わってるっ」
「私、自信あります。古の大聖女が男心に詳しくなかったとして、それには同情しますが、私は男の子心に詳くありたいと思いますから」
「そうなの?」
「そうですよ? シリル様。だって弟が四人もいるのですから?」
「…………四人? まさか僕の末の弟が追加された?」
「もちろんです」
「もちろんなんだ」
「一年半後にセイヤーズに臣籍降下予定です」
「………………」
私はうんうんと頷く。クロマルファーストのアリスターのことだから、絶対大喜びに違いない。だって今朝食堂で黒曜石の指輪を見て歓喜していたもの。絶対絶対大喜び確定。
「ブラックスライムのフィギュアか……………………」
「売ってますよね?」
「売ってるね。しかも安価。人に比べれば恐ろしく形がシンプルだから」
「確かに。木っぽいですね?」
「木でも硝子でも青銅でもいけるね」
「……硝子」
透き通った硝子のスライム。
私は今日持ってきたお財布の中身を頭の中で思い浮かべる。
自分の分も欲しい。お金、足りるかな?
透き通っていて、冷たくて、クロマルにぴったりではないだろうか……。
ああ、でも闇の賢者の肩にいたスライムに耳はない。つるりんとした形だ。
気持ちよさそう。
枕元に置きたい。
抱いて寝たいけど、硝子は抱くのには不向きだ。
視覚で愛でる専用だろうか?
スケールはいくつなのだろう?
やっぱり十分の一くらいかな?
どうかな? 少し小さい? でも賢者とのバランスが……。
単体なら七分の一くらいでどうだろう?
程よいサイズ感ではないだろうか。
私はそこまで考えて、急速に領域に達した。
「シリル様、私、今、領域に至りました」
「え?」
「フィギュアの領域です。初級の入り口くらいでしょうか? 私は一分の一実物クロマルと一緒に暮らしていますが、二十四時間一緒にいる訳ではありませんから」
「うん?」
「朝起きて、クロマルににっこり微笑みたくてもいませんよね? だから、そういう時に硝子のクロマルの出番です」
「出番?」
「おはようクロマル良い朝だねって」
「話しかけるの?」
「話しかけます」
「…………それは」
領域に至ったね……と、シリル様がどこか遠い場所を見ながら呟いた。








