【035】『大事な話』
「想像以上に長居をしてしまった……」
「いや、長くはないだろう。予定通りだ。長いと感じるのは濃密だった所為と、一睡もしていないからじゃないか?」
「そうだな。夢のナイトウエアまでは辿り着けなかったが、成果は充分。むしろ……今後の楽しみとして取って置こう。ただ……僕ら三人が集まると魔法談義になってしまいそうな予感がひしひしとする」
「……確かに。魔法談義で徹夜しそうだ。ナイトウエアは永遠に見られないんじゃないか?」
「………有意義と欲望は紙一重だな……」
「………欲望の先に有意義があるから紙一重じゃないぞ。一直線上だ」
「………推し活とは距離感が重要なのだ」
「ほう」
「大切に愛でるという『大切』というところが重要なんだ」
「へー……」
「分かるか?」
「全然」
目の下に隈を作ったままシリル様は笑いながら馬車に乗り込み帰って行った。微妙な感じのナチュラルハイだった。大丈夫でしょうか?
私は見えなくなるまでお見送りをすると、ルーシュ様の仕事部屋に呼ばれる。
大事な話があるそうだ。終身雇用のお話だったら良いな?
部屋をノックすると、入室を許す声が返って来る。ルーシュ様も寝不足だろうに休まないのだろうか?
「そこに掛けて」
「? ソファーにですか?」
「そう。まあ長くなると思うから気楽に。二、三メモを取りたいし。俺が疲れるから着席して」
「……はい」
「明日、シトリー伯爵と夫人が王都に見える。本館に泊まってもらう予定でいるが色々と分からぬ事もあるだろうから、侍女としてまた娘として伯爵を迎えるように」
「え?」
父と母が王都に来る? 何しに? 旅費は?
「忘れていると思うが、まだ第二王子殿下とは正式に婚約破棄が成立していない。陛下は御出席されるか分からないが、王家からも必ず代表者が出る。そして上級神官の前で正式な破棄証にサインをして受理となる流れだ」
ロレッタはルーシュ様の口から流れ出る言葉を遠くに聞いていた。あの王子とは会いたくない。二度と顔を見たくない。ダンスパーティーでの事は思い出したくもない。
「……私は不参加ではいけませんか?」
口から出た言葉は少し震えていた。家と家の事だから、サインは私ではなく父と母がするのだろう。ならば私は家で待っていても良い筈だ。
「もう学生ではないからな。ロレッタ本人がサインする所もあるし、王家もロレッタの出席を希望している」
「王家が?」
「ああ。一応付随するもろもろも手続きがあってな。一回で済ませる為にも、参加必須だ」
私はルーシュ様の整ったお顔をぼんやりと見ていた。その顔が微かに滲む。
涙? 私、泣く?
一流の侍女はご主人様の前で泣いたりなんかしない。
私は瞳の奥で魔法展開をし、魔法で涙を拭った。
「大丈夫です。ルーシュ様。私はしっかり参加して自分の婚約にけりをつけて来ます。私も働いている人間ですから。嫌な事から逃げると、ずっと嫌な事が纏わり付いて離れなくなってしまう。あれは影です。だから、勇気を出して行ってきます。そしてあのかつての婚約者にさよならを言ってきます。あなたの人生の邪魔をしてすみません。あなたの時間を取らせてすみません。役に立てずにすみません。ココ・ミドルトン男爵令嬢とお幸せに。そして二度とお互いがお互いに関わる事がないよう。永久にさよならと伝えます」
「君は被害者だ。謝る必要はない。最後の『永久にさよなら』だけ伝えれば良いんじゃないか?」
「そうですか?」
「そうだろう。もう顔も見たくない。声も聞きたくない。と内心では思っているだろうが、その部分は声に出さずに、後半の『永久にさよなら』だけならギリギリ不敬にならない。言えば?」
「はい。じゃあその部分だけ力を込めて伝えて参ります」
「健闘を祈る」
「はい」
その後、いくつかの確認事項を済ませると、ルーシュ様は、夜中まで働かせてしまったから、今日はもう休むように。何か暖かい飲み物を飲んでゆっくり寝て明日に備えてくれと。侍女の身に余るお言葉を頂きました。神ですか!?
自室に戻ると頭から毛布を被る。指先が冷たい。明日が怖い。私は第二王子殿下の前に出ると、スラスラと言葉が出なくなってしまうのだ。先程水魔法で止めた涙が溢れ出した。魔法って便利だなと思う。ルーシュ様にはどうか気付かれていませんように。
私は彼の頭抜けた魔法感知能力を失念していた。








