第26話 黒ずくめの少年。
私はこのいかにも貴族という少年を見て一瞬固まる。
他人のそら似?
蹲っているので確実とは言えないが………。
私はこの品の良い少年を見たことがある気がした。
実物ではなく、肖像画の類いで。
私の目の前に虹色の魔法陣が組上がり始める。
少し砕けていたが、体外に骨が出ているということはないので、欠片は全部体内だ。
体内にあるものは拾いつくせるので、ある意味安心ではあるが……。
それにしても――
再度、少年を見る。
骨折した痛みによる恐怖で少し震えている。聖魔法の執行が終われば痛みは取り除ける。
黒髪に白く透き通る肌。
一瞬しか見えなかったが、第五王子殿下ではないだろうか?
第五王子に似ている気がする。
王子だとして、なんでこんな所に?
従者が一人もいないなんてことある?
第五王子とは、正直誰も注目していない王子というか……。
誰からも忘れられた王子だと言われている。
公式の場には殆ど出てこないし、魔法も発現していないしで、時間の問題で降下するのではないかとの噂だ。しかも噂では風の侯爵家に出すとか出さないとか……。
なぜ風の侯爵家なのか?
それは彼の耳が少しだけ尖っているのではないかと言われているから……。
私は黒髪に隠れた耳を見る。
確かに……少し尖っている気がする。
けれど肩まで伸ばされた髪に包み込むように隠されていて見えにくい。
彼は不義の子と言われているのだ。
母親は貴族ではない。
舞姫。いわゆる王の前で舞を舞う旅の一座の者だと言われている。
しかし――
その僅かに尖っている耳と、樹脂のような黒髪が、あまりにも陛下に似ていないと。
そんな風に真しやかに噂された。
そうは言っても。
腐っても王の子。
放り出す訳にもいかない。
母親は産褥の苦しみで死んだとも、殺されたとも言われている。
そう――
後見人もいない、母親もいない、そんな王子は王宮では生きてはいけない。
そんな孤独な王子に手を差し伸べたのは、王妃だと言われている。
現国王妃でありシルヴェスター王太子殿下の産みの親――
そこまで思いが至った時、自分の手元が一瞬暗くなったのが分かった。
影?
そう思った瞬間、頭部に火花が散るような衝撃を受ける。
!?
瞬間的な痛みが襲い、前に倒れる。
音も無く近づかれ殴られた。
――しかも
硬い何かで思い切り。
殺す気で殴った?
それとも気を失わせる気?
骨折を治す為の緻密な魔法展開に入っていた所為で、背後の警戒を怠ったといえばそれまでだけれど、でも――
私が構築していた魔法陣が崩れ、魔力が流れ出す。
あと少しで、完成して流し込むだけだったのに……。
ロレッタの頭頂部から真っ赤な血が流れる。
頭部は鮮烈な血が出やすい。
止血して治したいけれど、意識が――
魔力が紡げない。
普通に死ぬかも………。
私は悔しさで拳を握り締める。
怪我人を治している聖女を殴る……?
それはつまり目の前の少年も治らないということで、そして治せる人間も使い物にならなくしたのだ。
私は這うようにして少年に近付くと、庇うように彼を覆ったまま、意識を手放した。
手放した瞬間、手首に何か冷たい物が嵌められたが抵抗出来なかった。
これはきっと魔力封じの魔道具だろうと。
頭の芯で考えていた。
◇◇◇
次に目を開けた時は、頭が恐ろしく重く、寒くて寒くてしかたがなかった。
私は歯の根を震わせながら、辺りを確認する。
牢屋のような所。
地下牢ではなく、塔のような所だ。
近くにはあの少年がいて、私の側で泣いていた。
左腕が痛い痛いといって泣き続けている。
私は彼に手を伸ばす。
「………おいで」
彼の無事な方の手をとって、近くに来るように促す。
「…………」
彼はだらんと垂れた左手を庇うように、私に近付く。
「………痛いね」
少年は泣き腫らした瞳でこくんと頷いた。
「………お姉ちゃんが治してあげる」
私がそう言うと、少年は私の腕に嵌められた腕輪を見た。
施錠されている。鍵がなければ開かない。
「魔力封じの腕輪でしょ? 大丈夫だよ。魔道具なんて構造が分かっていて、制作者よりも魔力が強ければ贖うことが出来る」
「でも」
「………大丈夫。おいで」
私は少年を腕の中に抱き留めると、その温もりで少しほっとする。
頭が割れるように痛い。
あと数分で治さなければ嘔吐しそうな気がした。
こんな状態で魔力を練り上げられるかな……。
でも、しないと。
腕に枷のように嵌められた、腕輪を凝視する。
既製品だ。
ご丁寧に両手両足に付けられていた。
既製品といえども両手両足を封じられると、魔法はかなり集中しにくくなる。
この状態で、魔道具の魔法陣を解析してディスペルを行う。回路の一部を壊せばいいのだが、魔法を封じられた状態で回路を解析するというのが難しい。ちなみに魔法が封じられていない状態なら一発で分かる。
でも――
要は魔素を練り上げる時に、体内を循環させなければいいのだ。両手両足を拘束されているのだから、胸の部分や腹部、胴体で循環させて練り上げる。私はそういうのが得意だから充分いけるはず。怪我さえしていなければ。
子供を治すか、自分を治すか、どちらが先かと考えれば、骨折は七日くらいは本来猶予がある。ということは自分を治した方が、他者の治療に入りやすい、だが――
私はそこまで考えて、唇を噛んだ。
目を強く瞑って体内魔力に集中する。
聖女は呪いを解くこともあるから、実はどの魔術師よりも解析と解除が得意。
そして私は魔道具作りも得意。
脳内で魔力構築を開始すると、いつもなら一分も掛からないで出来る魔法陣が、十分も掛かった。その間嘔吐を抑え込みながらで、ディスペルに集中出来なかった。
これは……苦しい。
怪我をしていなければ、
もしくは枷を嵌められていなければ、
目の前に病人がいなければ、
どれか一つだったなら、
こんなにギリギリにはならなかったのに。
歯痒くて苦しい。
頭痛で集中できない。
倒れそう。
私は意識を保つ為に舌を噛む。
自分の油断が悔しかった。
魔導師というのは一騎当千で。
それは水の魔導師も例外ではない。
あれだけソフィリアの街でアシュリに強く言われていたのに。
強くなれと、油断するなと、そう言われていたのに。
絶え間なく続く頭痛と吐き気で、心が折れそうになっていると、胸の中に抱いた少年が私を見上げているのが分かった。
「………お姉ちゃん、苦しい?」
私は無言で頷く。
「僕も苦しい」
そう言って、少年は私の目をじっと見る。
彼は蒼い瞳をしていた。
真っ青な瞳。
青い海のようなコバルトブルー。
その泣き腫らした瞳が一瞬蕩けるように微笑んだ。
「ねえ、一緒に死のう? 僕はもういらない。命はいらない」
そう言って七歳の子が笑ったのだ。








