【250話】マジックバッグ
お茶は精神に作用するなと思う。
胸の辺りから温かさが広がっていって。
その植物が持つ特有の匂いに包まれて。
シリル様は優雅にお茶を飲みながら、ルーシュ様は静かにお茶を飲みながら私達はそれぞれに堪能した。
薄くてパリパリに焼いたパンはとても美味しいし、トマトの酸味も仄かに香る。
昼下がりの午後は想像以上に穏やかに過ぎて行く。
「ロレッタ」
「何でしょうか? ルーシュ様」
「このパンはポーチに入れないのか?」
テーブルに載せられた、余剰分のパンを見ながらルーシュ様が聞いてくる。
「……トマトの赤が綺麗な雪玉草に着いてしまいそうで怖いんです」
「……確かにそれはあるが」
「もう一重、包む紙を追加して入れてみたらどうかな?」
シリル様が助言をしてくれる。
「そうしますか? 勇気がいりますが三人分の勇気を掻き集めてやってみましょうか? 何事も挑戦ですし」
「……お茶はやめておけよ?」
「……はい。お茶は止めておきます……」
ルーシュ様の言葉にもちろん頷く。
それは勇気と更に度胸も必要になってきますよ?
液体ですから。
染みますから。
漏れますから。
シリル様が追加分の紙を二枚用意してくれて、トマトとチーズ入りのピタパンを包んでいく。この紙は特殊な製法で作られた紙。なんせ油が染み込まない。乾性の油を引いた紙。一級品の紙は翠の領地の特産品だ。油紙もまた翠の領地で作られるもの。品質が段違いなのだ。頑丈、破れない、寄りが無いなど。雪玉草もそうだけど、植物の加工品は翠の君の領地が一線を画している。紙は需要が大きい。あの地は紙で最大の財をなした領地だ。そもそも紙の色が白いのだ。あの白を出せるのは翠の領地だけ。そしてその製法は当然秘匿。作っている実働の人も知らされていないのではないかな? 知っている人間が増えれば、その分漏れる。この工程でこの液体を入れますと説明しても、その液体はこうこうこういったものです。などとわざわざ正体を明かす必要はない。故に他領の人間である私は知るよしもない。
シリル様が器用にパンを包んでくれたのだが……。王太子殿下……なんでも出来るんですね? しかも結構慣れていらっしゃる。
「シリル様は、そういったことをするのがお上手ですね?」
「慣れている。むしろ全部自分で出来る。去年まで騎士団にいたし、騎士団の者は誰でも出来る。大分むさ苦しい男所帯だったが……」
女性の騎士もいますけども……。絶対的な数が……。魔法省は男女比が6:4くらいではありますが、騎士団はどれくらいだろう。9:1かな? 8:2いるかな? いないだろうな?
「出来なきゃ純粋に不便だしね」
シリル様の言葉に成る程と頷く。
確かに不便ではある。王城にいる時は、毎日のタスクは使用人に任せて、旅に出ている時は、自分でこなすように使い分けているのかな。それは確かに便利かもしれない。
「バーランドは出来ないと思うな」
元第二王子殿下ですね。
「生まれも育ちも王宮だし、去年まで学生。使用人を連れての外出しかしていない筈」
……へー……。
としか答えようがありません、王太子殿下。
私の精神的外傷が……。
「結婚しなくて本当に良かったね」
「…………」
……確かに。今となっては良かったかも? と思えます………
……が、あの大々的な婚約破棄は一体? 今も王都中どころか国中に席捲している。私の名前はきっと第二王子にフラれた第二聖女という冠が付いて有名になっただろう。
『フラれる』
フラれるという行為は、出来れば誰にも知られずにそっとしておいて欲しい案件ではないだろうか? 大々的に「私は××に振られました」なんて……。魅力がないですと言っているようなもので………。ああ……恥ずかしいです。どうすれば? 世間からこっそりフェードアウトすればよい? そうすればよい? でも侍女ならまだしも聖女の仕事は結構目立つ。人の前に立ってなんぼみたいな。
「危なかった」
「…………」
「あのまま婚姻していたら、僕の妹になっていたという所はちょっとわくわくするが、バーランドの嫁というのは許せない」
「……許せないのですね……」
「きっと君は彼に虐められて、メイドのように扱き使われて、後宮の片隅で泣いていたに違いない」
「…………」
私本当に危なかった………。
「……今頃、彼は自分の身の回りのことをする練習をしていることだろう。庶民の訓練。身分はとっくに庶民だが………」
あの『真実の愛』事件は私に精神的外傷を第二王子様に庶民という身分をもたらした。ちなみに浮気相手のココ・ミドルトンは罪状をもたらした。
だれも得をしていない事件。
何だったのだろうと薄ら思う。
私怨による事件とはそういうものなのだろうか。
「シリル、面白くもなんともない第二王子の話はやめて、そろそろポーチを開けてみろ」
「……ルーシュが開けるといいと思うよ?」
二人がニコニコ笑いながら牽制し合っているので、失礼して私が開けましょうか?
あの深淵への扉。
星々の煌めきの世界へ。
ロレッタはポーチを取り恐る恐る入り口を開ける。
真っ暗。
星々の煌めきではなく、真実深淵。
底が見えないよね?
朝入れた筈のフルーツサンドはどこにも見えない。
これは真実マジックバッグなのだろうか?
それとも別次元に繋がる扉?
基本マジックバッグで、必要な時は次元も繋がる??
どっちなんだろう?
一回一回空間を繋ぐ魔法陣を描かずに、底の方に固定で描いてあってもおかしくない気がするのだが……。闇の魔法陣だから、紫紺のような濃度で見えないのかもしれない。起動すれば光が明滅するので確実に見えそうだが。
「入れましょうか?」
怖々なのだが三人でバッグの中を覗き込む。
何故か無意識に三人ともサークルを描くようにして手を繋ぐ。
なんだろう? これ。儀式?
もしも吸い込まれた時のために、無意識で繋いでしまうのだろうか?
無意識手強い。
普通に考えれば、私がこのポーチに吸い込まれるのなら、一人の方がよいに決まっている。しかし、もしルーシュ様が吸い込まれてしまった場合、手を繋いでいた方が賢明だ。だってルーシュ様一人で吸い込まれるよりは二人で吸い込まれた方がまし。そしてシリル様の場合も同様。そんなこんなで三人で手を繋ぐ結果になっているのだろうか? これ一蓮托生です。
「じゃあ入れるよ」
シリル様は一旦手を離し、パンを手に取る。
ちなみに離した方の手はルーシュ様側。
私とシリル様は手を繋いだまま。
これでも一蓮托生ポジではある。
シリル様が私達二人に最後の確認をし、私もルーシュ様も頷く。
入れて直ぐに固定魔法陣の起動があるか知りたいのだ。
シリル様の手からパンが離れて暗闇に吸い込まれる。
幾分か経ってから、大分遠くで、本当に遠くで、思っていたよりもずっと遠くで紫色の魔法陣が起動した。忘れもしない初日に屋台飯を空間移動させた魔法陣と同様のものだ。繋がっているんだ。マジックバッグ的な効果だけではなく、やはり固定の転移魔法陣が定着している印。つまりクロマルはこちらとアリスターのいる場所を安定して移動出来る? そういうこと?
それにしても広い。小さな遊び場くらいあった。一部屋分以上は余裕であった。いやそんなものじゃなかった。だって魔法陣がとても遠くで明滅したのだから。広場ですか? な広さだったよね? 馬も馬車も余裕で入る。荷物なんかももちろん入る。全部もれなく入ってもまだまだ空間に余裕がある。でも入り口が小さい。それはいったい? どうすれば??
 








