第二十話 スラム街の夜明け4
感じ悪い話になります。
あの方の妾になると決めました。
少女の視線がシリル様から動きません。
じーっと熱い視線を注いでいます。
決めましたって。
一目惚れというか、そういう事?
シリル様が魔法省の官吏で貴族だという事を前提として落ちた一目惚れという事で合っていますか?
「少女の夢を壊すようで申し訳ありませんが、魔法省官吏が全員貴族とは限りませんよ?」
ほぼ貴族ですが。
例えばアリスターを例に上げてみると、彼がこのまま王立学園魔法科に通い、卒業と同時に魔法省に入省したとして、魔法省の官吏にはなるが、平民である。貴族ではない。魔法省入省資格に貴族という項目はない。
そして貴族が裕福だとは限らない。それはロレッタを見れば分かる事。
伯爵家の長女に生まれましたが、裕福どころか借金まみれだ。
貴族=裕福だなんて思わないで下さいねっ。
「そして貴族であったとしても、貧乏な者は五万といますよ? どうするんですか、彼が貧乏男爵の五男坊だったら」
少女はシリル様から視線を外さずに、口を開く。
「そうなのですか? 彼は貧乏男爵の五男坊には見えませんけど。私は裕福には鼻が利くのです。あの人は身分の高い貴族です。私の鼻がそう言っている。これでもこの街で、貴族というものを十年以上観察して来たのです。来る日も来る日もです。頭の天辺から靴の先まで。何度も何度もです。自分の人生の時間を全てそこに注ぎ込んで来ました。その私の直感が言っている。アレは上物だ。この機会を逃すな。一世一代の賭けに出ろと」
上物って。
王太子殿下相手に何かそぐわない言葉だ。
上物と言えば極上ですからね。
「あの赤髪の魔導師様も相当なご身分だとお見受けしますね。三人の中では、あなたが一番貧乏そうです」
少女はロレッタに視線を移して、まじまじと検分するように見る。
「あなたこそが、魔導師の中で平民なのはないですか? その痩せた身体、手入れの行き届いていない髪、実戦部隊で先頭に立たされている立場、そして財布への執念。あなたが庶民なんですね? 魔法の才を認められて、国からの奨学金を得ながら卒業した苦学生でしょうか?」
「…………」
聖女です。
そして一応貴族です。
しかも、六大侯爵家序列二位のセイヤーズ家の養女です。
養女ですが、魔法の才を買われて平民から養女に迎えられたパターンではなく、伯爵家の娘です。
生粋の貴族の娘です。
貧乏ですが……。
ロレッタはこの少女をまじまじと見返す。
自分で言うだけあって、観察眼は鋭いようだ。
ロレッタは生粋の貴族だが、ロレッタだけがこの中で貧乏なのは真実だ。
そこを行動とルックスで見破るとは恐れ入った。
そもそもが自分の人生の時間の多くを貴族観察に使うなんて只事ではない。
少なくともロレッタは、貴族観察に自分の時間を割いた記憶はない。
けどさ――
「確かに、あなたは相当貴族に関心を寄せているという事は理解しました。私が平民か貴族かは、財布の件に直接関わってこない事なので答えは省きます。あなたの考えと、将来の希望も理解しました。そしてその夢を叶えるためにお金を必要としているというあなたの言い分も聞きました。けれども、お金を返すから、そこにいる私の仲間の魔導師の妾にしろという言い分には応じられません。その交換条件は無効です。何故ならお財布は本来私の物です。あなたの物ではありません。あなたが私の同僚の前で転ぶのは止めませんが、取引には応じません。そしてもう一つ、重要な事なので聞きますが、なぜあなたとお母様はふっくらしていて、弟さんは痩せているのですか? 是非聞きたい」
そこを聞かなければ、納得できない。
理由如何で今後の対応が変わる。
「それは、弟という存在は私の敷石のようなものだからです。私が幸せになる為の踏み台の一つでしかない。あなたは平民の生まれで貧乏だったかも知れませんが、魔法の才があった。それで成り上がった。私にはありませんでした。だから私は弟の存在とスリの技術を利用してそれを踏み台にして、貴族の妾になるのです。その手段の一つです。私の夢は私の夢。他人に否定なんかさせません。王だとて、他人の命を踏み台にして自分の地位についたのです。多くの兵士の命を自分の欲望の為に使った。私が弟一人を使った所で咎められる謂われはありません。あなたとて、王国のコマです。その魔法の才能を利用するだけ利用されて、朽ちて行くのです」
「黙りなさい。それ以上言ってはいけません。不敬罪で殺されます。言葉を選びなさい。王や貴族を例に上げてはいけません。そしてアクランド国王陛下は自分の欲望の為ではなく、人々の生活と平和を願って立った王です。勘違いしないように。他国の王の話として聞きましたが、次はありません」
「………隣国の話です」
「……理解が早くて結構です」
ロレッタは小さく息を吐く。
この少女は一介の少女にしては危険だ。
無力なようで無力じゃない。
強く願い、頭を働かせ、行動を起こしているのだ。
「あなた、もう少し言葉に注意を払わなければ、妾になる前に殺されますよ? 貴族の所作だけではなく、思考回路も勉強した方がいい。平民上がりの妾に人権なんかありません。貴族に近づくならそれ相応の覚悟をしなさい。決して本妻には楯突かず、息を潜めなさい。自分の身を守る為に本妻の役に立つ妾になるのです。良い暮らしがしたいのであれば、豪商の前で転べば良いのではないですか? 貴族相手に突然転べば護衛に切り伏せられても文句は言えませんよ?」
「だったら、あの方に私を囲って頂ければ万事全てが解決です」
「解決するのは、あなたの欲望だけです!」
「私は私の欲望を満たすために生きているのです。誰がこんな汚い家で惨めに暮らしている自分に幸せを感じますか? そんな生では意味が無い。私は貴族の妾になるかならないかの二択の人生しか生きていません」
「あなたが、貴族の妾になろうがなるまいが構いませんが、弟に食べ物を回さないのはどうかと思います。古来名士と呼ばれた者は、家来には沢山のパンを与えていました。あなたの弟は早晩倒れますよ? 私はそれを看過出来ません。あなたの目の前にある選択肢は、財布を交渉カードにして妾になる事ではありません。財布を返すか、返さずに弟を逮捕されるかの二択です。どちらにしますか?」
ロレッタの言葉を聞いて、少女は財布と弟を見た。
「お金と、汚い垢だらけの子なら、選ぶのはお金に決まっているじゃありませんか? どうしてそんな当然の事を聞くのですか?」
そう言って少女は首を傾げた。
その瞬間、ロレッタは視界の端で少年の瞳が揺らいだのが見えた。
ああ。
大失敗。
こんな残酷な台詞を、子供の前で言わせてしまった。
ああ。
大失敗。
どうしよう……。
ロレッタは無意識に唇を噛んだ。
こんなつもりじゃなかったのに。
瞳の奥が怒りで赤く塗り瞑られて行くのが分かった。








