第十話 起動魔法陣
ロレッタは一本目の串焼きのお肉を口の中で五十回噛んでいた。
これは、何のお肉だろう……とても引き締まったお肉なのではないだろうか?
油身のという部分は殆どないし、赤身のお肉にスパイスが掛けられている。
塩と胡椒とハーブ数種類とあとこの独特の弾けるような香辛料。シトリー領では使わないものだし、癖がある。
屋台の看板を見るとブートニアと書いている。
ブートニア。魔獣だ。猪が大きくなったような、牙が長くなったような、ついでに身体を覆う毛が針のように尖っている。ワイルドブートニア……。初めて食べたよ………。冷めて無ければいけたかな……味は全体的に猪に似ているが、魔力を持たない冒険者が刈るのだろうか? 冒険者ギルドがあるから、そこで卸されるのだろうか。
お肉を噛みながら、先程の盗賊の事を考える。
ロレッタに注意が足りなかったのは事実なのだが、やはり雑多な入り乱れがあるので、ああいう人もいるのだろう。それなりに大きな街だし。
それにしても――
一瞬だった上に、背後だったからか……魔法構築式が全く見えなかった。
果実水を父の冷却ボックスに入れて冷やそうとしているシリル様を見る。
しかもその後ろに……影が膝を突いて手伝っているのだが……。
最早影じゃない。
王太子なので給仕のようなものが本来はいるのだろうが、しかし魔法士で在る以上、一人である程度は出来るように訓練されているはずだ。
けれど、そのまま屋台のグラスを入れる訳にはいかないし、何か金属製の器に移している。金属は熱伝導率が高いので、冷える時間が短縮される。いろいろ試しているんだろうな……。
あの雷はどうやって放たれたのだろう?
姿絵の夕日に仕込まれていた雷?
それとも、あの刹那の時に放たれた魔術?
どうしてそれすら分からない?
ロレッタは手元に戻ってきたブロマイドに目を凝らす。
古代文字は繋がりの魔術を匂わせるものだったけど、雷の護符がついた守りの魔法陣も重ねがけされていた? 二重魔法?
もう一度日に透かすが、魔法陣は一つのような気がする。
繋がりの魔術といっても、基本雷の魔導師が組んだもの。雷に関する魔法陣で間違いはないのだが……。
お肉をゴクンと飲み込むと、先程目の前で起きた事を思い出しながら、グッと反芻する。
手に持っていたプロマイドを抜き取られた。
僅かな光が明滅し、地を叩くような音と共にドサリと地面に何かか落ちた音がした。
振り返ると男が一人倒れていた。
あの短い時間に魔法陣が起動したということは、魔道具に仕込まれていたと考えるのが自然だ。でも守りの護符だとするならば、この絵に使われている石が消える筈なのだ。けれど絵の具として使われている魔石は消えていない。目を凝らして何度見ても、そこにあるのは抜き取られる前の絵と変わっていない。少なくとも赤かオレンジか黄色、一色はなくなっていなければならないのだ。
けれど――
絵の具が一色も消えていない。
どうして?
考えうる事は、シリル様がその場で高速で魔法陣を起動したという事なのだが、そんなに早く起動出来るか? という疑問が……。
事前に何枚か魔法陣を用意していた?
袖の内側とか、魔法を通し安い場所。
弾くように魔法が起動する所。
「ルーシュ様」
ロレッタはライ麦のサンドイッチを食べようとしていたルーシュ様に声を掛ける。
「起動魔法陣見えましたか?」
「見えなかったな。あれは護身用に用意していた魔法陣を起動させたんじゃないか?」
「出掛ける前に何処かに仕込んでいたということですか?」
「今は制服ではなく旅装だからそんなに数は多くないが、何も付けていないという事はないだろう。迎撃魔法、反射魔法、攻撃魔法など服に刺繍したり、アクセサリーに刻む」
「……服やアクセサリー」
「そう。服や腕輪や指輪や耳飾り」
「服にもアクセサリーにも刻むものなのですか?」
「刻む。魔法士が遅れを取るといえば、魔法構築時だからな。それをどれだけ減らせるかが命に関わる。魔法省の制服にはいくつも仕込んでおくものだ」
「……初耳です」
「そうなのか?」
「はい」
「ロレッタは護符の魔法陣を着けていない?」
「着けていません」
「本当か?」
「はい」
「不用心だろ……」
「不用心のようでした」
「……シリルの腕を見てみろ、何連にも腕輪が着いているだろ」
「……飾りだと思っていました」
「………本気か」
「本気です」
「あんなに意味なく飾りをつける訳ないだろ」
「意味なく変装とお洒落の為だと思い込んでいました。魔道具ではなく魔法陣を刻んで発動させるものだったのですね。やっとあのアクセサリーの多さを理解しました」
「ロレッタも取り急ぎ、水の盾とかつけておけ」
「え?」
「え? じゃないだろ。危ないし」
「今夜つけるのですか?」
「早い方が安全だ」
「……しかし、一晩じゃ刺繍など出来ません」
「いや、簡単なものでいい。水の盾の魔法陣はシンプルそうだが……」
「シンプルでも糸と針がありません」
「持ち歩いていないのか?」
「いません」
「でも、妃教育で………」
「妃教育で魔法陣の刺繍はありませんでした」
「じゃあ、違う刺繍はあったのか?」
「ありました。紋章の刺繍が」
「……そっちの方が時間が掛かりそうだな」
「王家の紋章は複雑ですからね」
「それが出来るなら水の盾は余裕だろう?」
「……余裕は一切ありません」
「……ありませんって」
「余裕もありませんが、私は女子力が低い聖女で糸と針を持ち歩いていないのです」
「そうなのか?」
「そうなのです」
「聖女なのに?」
「ええ、聖女ですが」
「女子力低いのか?」
「……低いみたいです。針と糸を持っていませんから」
「そうか」
「………はい」
「紙とペンは持っているか?」
「もちろん。肌身離さず持っています」
「文官力は高いな?」
「文官力は高そうです」
「じゃあ、袖の内側にインクで書けば?」
「服に直接ですか?」
「紙を縫い込んでもいいぞ」
「………針と糸が」
「針と糸な……」
「そういえば聖女の制服にも刺繍が沢山してありましたね」
「そうだろう」
「あれはアンチョコだったのですね?」
「………そうとも言うな」
「刺繍は誰がしても良いものなのですか?」
「魔力を込める魔法陣だと魔導師がしなければいけないが、ただの魔法陣で後から魔力を流すタイプならメイドでも問題ない」
「……なるほど」
「帰ってからエース家のメイドに頼む気なのか?」
「素敵な方法ですね!」
「女子力低いんだな」
「…………低めみたいです」
ルーシュ様は小さく嘆息すると、ロレッタは少し笑った。
第二王子殿下に捨てられてから、女子力と妃教育はゴミ箱に捨ててきました。
今は何も残っていません。
気持ち良いくらい真っ新です。








