第十七話 誰も知らない妹。
エース侯爵家次期当主であるルーシュは本館から続く塔のテラスで、この王都の町並みを見下ろしていた。エース侯爵領へ続くのは西の門。その先に続く街道はエース家が時間を掛けて整えたものだ。ここからは見えないが、遙か西にある自領に繋がっている。街道を整えたのは、他領の為ではなく、もちろん自領の益の為なのだが、領地内の街道が整備されることに否と唱える領主などいない。ついでに街道は国益にも直結するので、管理には税金が投資される。道は幅を広く造り、整備し続けるのがポイントだ。
風は西から東に吹く。この風もエース領から繋がっている。エース家の産業とは多岐に渡るのだが、海から吹く風による風車。石造りの風車塔は青い草原に点々と建っており、その数はアクランド国内有数。表向きはパンと舶来品とお茶の港なんて言われているが、それも平和で悪くない。
実際夏になると、エース領の各地では黄金の穂波が見える。そんな風に領地を懐かしんでいると、階下が騒がしくなり、誰かが螺旋階段を駆け上がって来る。
その足音が既に召使いのものじゃない。なんなら一段飛ばしで上がっているのではないかと疑いたくなる。もう少し落ち着けないものだろうか? 侍女には程遠い……。
ルーシュはその騒がしい足音の主に予測が付いていた。そもそもそんな大騒ぎしながら走ってやって来る人物なんて彼女くらいしかいない。他の侍女はそんな風に走ったりはしないし、侍従はもっと重い足音だ。
程なくして、塔の最上階に辿り着いた人物は、ノックをした後、部屋に恐る恐る入室し、続きの間や寝室を行ったり来たりしながら、やっとテラスにいる主人に気づき小走りでやって来る。だから走るなって。段差で転ぶぞ?
「ルーシュ様、こんな所にいらしたのですか? 素敵なテラスですね。眺めが最高です」
そう言って、テラスの手すりに寄ると、遠くを眺めてほうと溜息を付いている。その態度がまた侍女じゃない。お前は俺の妹か! 勝手に部屋に入るわ、部屋を端から端まで駆け回るわ、テラスに飛び込んで来て、景色を眺めるわ。
「ここでお茶をしたら美味しそうです! 直ぐにご用意しますね」
そう言ってまた走り出して厨房へと向かう。だから騒がしいって。
再度来た時は、何故か籠いっぱいにお茶とお茶菓子の準備をしていた。誰が食べるんだよ、こんなに。
テラスに置いてあるテーブルに並べながら鼻歌を歌っている。それは聖歌だな?六十七番『光の中で、聖女と共に祈りを捧げる』だ。ちなみに聖歌のナンバリングは何処まであるんだっ と突っ込みたくなる。
「お前も食べるんだろうな?」
「何をおっしゃっているのですか、ルーシュ様。侍女が一緒にお茶をする訳ないじゃないですか?」
「……ここの眺めを見ながらお茶って最高! と言っていなかったか?」
「言っていましたけども、それはご主人様にとって最高だろうなという意味ですよ」
「いいんだロレッタ無理するな。俺は食べ切れない。一緒に食べよう」
「………」
「束の間セイヤーズ侯爵令嬢に戻って、一緒にお茶をしよう。一人で飲んでもつまらないだろ?」
「つまらないのですか?」
「……いやどうだろ?」
意外に一人でも充実していたりするのだが。来月からシトリー領に行かなければならないから、取り合えず今月の魔法省への出勤は必要時のみ。毎日定刻に行き定刻に帰る訳ではない。部署によるが。もちろん定刻班もある。
ロレッタはお茶のセットが出来るとおずおずと座り、焼き菓子を見てニッコリと笑う。
「シリル様に頂いた蜂蜜的なポーションがとても良く効いて、すっかり元気になりました。有り難いものなのですね、ポーションって」
聖女の台詞とは思えず俺は笑った。随分他人事だな? あまりポーションに頼った事はなかったのだろう。聖女だし。魔力さえ有れば聖魔法で一発だ。
あの状態から一発回復するポーションか……。出所も値段も想像出来るが、やはり聖魔導師を沢山抱えているというのはそれだけで大きな強みだな。エース家も光の魔術師確保に本気で乗り出すか………。
ルーシュは自分の防火用のグローブに包まれた右手を見る。そしてふと領地に居るであろう末の妹の事を思った。来年王立学園に上がる年齢だが、どうするのだろうか? そもそもが歳が離れすぎていて接点がない。ただし、色々報告は来ている……。魔力感度が一番高い兄弟なのだが、魔術師に取って感度の高さは諸刃の剣だ。簡単に言うと魔力に飲み込まれ易くなる。最悪自身の骨まで焼き尽くす。
炎の魔導師と炎の魔導師同士の婚姻は、その特性の魔力は強く出やすいが、弊害もある。先祖が炎と炎で婚姻を続けた結果、炎の魔導師としては優良な力を手にしたが、制御が一筋縄では行かなくなった……。つまりは炎に近づき過ぎたのだ。








