第六十九話 苦しみの中の光。
ちびシリル様の来訪から三十日経ったが、次の来訪者は現れない。ロレッタの研究は頭打ちだった。自分の指先をナイフで傷つけ、細菌を採取するのも疲れ果ててしまったのだ。研究とは一人でやっていると堂々巡りが起きてしまう。同じ事、同じ理論を何度も何度もぐるぐると考え続けて答えが出なくなってしまうのだ。
そんな中、私はドアを見つめる。
どうだろうか? 今まで来訪者を待つばかりだったが、自分から会いに行ってみては? 待ってたって患者はやって来ないのなら、慰問してはどうだろう? そもそも胸が痛すぎて動けない患者もいるかも知れないし。
突然何の前触れもなくそんな風に思い付いた。なんとなく家から出たりはしなかったのだが、だって霧の出た森なんていかにも迷子になりそうじゃないか? でも私は人恋しいのだ。無理無理無理無理。百三十七日中、人と喋ったのが二日なんて少な過ぎる。六十八、五分の一だ。約分したって虚しいだけだ。そんな虚しい数字に縋っている訳にもいかない。
私は今まで作りまくったありとあらゆるポーションをバスケットに詰め込んで家を出る。すると直ぐそこ、ドアの目の前に真っ黒なドス黒いゼリーが崩れていた。あぁ、直ぐ目の前に不穏なゼリーがいつからいたのか分からないがいらっしゃっていて、力尽きて倒れている。
私は丁寧に手で掬い、ベールで包み込む。ちなみに聖女のベールです。崩れてしまって不定形なので、家に戻るとタライに出した。ちょっとこれは今までのゼリーと違って、不穏不穏不穏。不穏の塊ゼリーだ。しゃべれるのだろうか? 聖魔法? いやいやいや水魔法で洗ってみます。聖魔法を掛けたら反発で死んじゃいそうな予感。
「…………私は母が聖女で父が神官長の息子です」
「…………」
もの凄い最初から身分の分かる黒ゼリー人型崩れだった。神官長かい!?
「私は聖女が大好きです。聖女様に死ねと言われれば死ねます」
台詞もそっくりそのままです! その台詞さっき聞きましたよ?
「…………でも、誰も幸せにはなれませんでした。私は母にも今期の聖女様にも幸せになって欲しかった。第五聖女様の瞳から光を奪ってしまった。許されない罪を犯しました。死にたいと思いました。真っ黒い心で一心に死にたい死にたい死にたいと」
「…………」
「……願いが叶ったようで死にました」
「………そうですか」
「私は聖女様の光が大好きでして、あの綺麗な光を見てたら十年は元気に仕事が出来る人間です」
もの凄くお安いっ!
「母の言うことを聞いたのは、母に幸せになって欲しかったからです。しかし結果は真逆。母も私も娘も不幸になりました。良くありません」
「……そうですね」
「………心残りがあるのです。第五聖女様の瞳を治して差し上げたい。それが出来るまでは死んでいますが本当の意味で死ねないのです」
「第五聖女の瞳の細胞は死んでいるのです。死んだモノは生き返りません」
そこまで言うと、黒い崩れゼリーはおいおいおいおいと哀れに泣き出した。待てど暮らせどずっと泣いている。長い……。
私は辛抱強く待った。許す気など更々ない。この人は罪人だ。第五聖女の瞳から光を奪ったのは盗賊だが、彼が命令さえしなければそんな事は起こらなかった。その彼も第九聖女に命令されたのだ。つまりは大元は第九聖女の欲望。なんと罪深い欲望なのだろう。欲望くらい自分の中だけで消化しろという話だ。
「……死んでしまった細胞は蘇らない。では生き残った細胞を増やす事は出来ないのですか?」
「その理論は同じ人間をコピー出来ませんか? と同じ事です」
そう言いながらもロレッタは熟考する。細胞は作りが単純だから人間のコピーとは話が違う。一からは作れないけど、生きた細胞を増やす事は出来るのだろうか?
例えば、光魔法だけで考えているのが良くなかったのかもしれない。汚染された血と汚染されていない血を水魔法で分離することは可能なのではないか? つまり抗体を作るのではなく、良と悪の分離。伯父様がやったみたいな水魔法。これをやる為には根気強く黒い血の成分を一つ一つ分析し、正常な血との相違点を上げる。
リフレッシュの応用で行けるかも知れない。だがしかし――物理的に血が足りなくなる。一リットル以上流れると生命に危険が及ぶ。一リットルくらいは汚染されている感覚がある。ということは正常な血を増やしてから執行。血を増やす食べ物はあるにはあるが瞬間的には間に合わない。じゃあ、この空間で正常な血を増やすだけ増やして置いて、流れたと同時に入れる?
しかし血液を増量させるなんて聖魔法でも成功していない。いや待て待て水魔法で行けるか? 出血を止めることは出来るが、消失した血を復元は出来ない。ちなみに血溜まりをリフレッシュして戻す事は可能だ。聖女の基本理念。血は九十パーセントは水。残りはタンパク質とか。血には四つの働きがあると言われている。空気を運ぶ、殺菌消毒、止血凝固、物質を運ぶ。この辺り、殺菌と凝固は聖魔法で代用できそうな気がする。あとはどうしよう? 水?
つかめそうでつかめない糸口の前でロレッタは思考をジタバタジタバタとさせていた。








