第六十六話 匙は何度も拾うの。
私は大急ぎで投げかけた匙を拾った。
うっかり諦め掛けたが、死ぬ一秒前まで諦められなくなった。
王太子と死なば諸共の関係になってしまったからだ。
別にまだシリル様には感染していないのだが、危なっかしい。
感染経路というのは、体が外に開いている所だ。口、目、耳、傷口等。
シリル様とルーシュ様に切り傷でもあったら終わると思って、二人に聖魔法を展開して念入りに治したら睨まれた。
今のお前にそんな事をしている暇はあるのか!?
と目が怒っている。
無いわー。
もちろん全然ないのですが……。
そんな風に途方に暮れていた時、耳元で何かがもぞもぞと動いた。
くすぐったいんだけど!?
そして痒い! 蟲!? じゃなくて虫!
私の目元まで飛んできたその極小の虫? は私をじっと見つめて、オニャッと鳴いた。
「!?!」
ククククククククロマル!!!!!!
どっから現れた!?!
それは豆粒より小さなクロマルだった。
あの日、アリスターの肩に乗るぽよんの正体が知りたくて、追いかけて追いかけて小さく弾け飛んだクロマル。まさかあの日から髪の中とか服の中とかに潜んでたとか!?
「空間を切り離して、そこで黒い血を解析するニャ」
「…………」
猫が喋った……。
いや……クロマルはブラックスライムだけども。
でも今まで、ニャとかニャアとかニャニャとかしか言わなかったのに。
「クロマルは喋れるの?」
「クロマルは賢いニャ」
「…………」
「アリスターの闇魔法とクロマルは繋がっているにゃ。一時的に時間の流れのない空間に放り込むから、そこでその黒くて気持ちの悪いモノの抗体を作って、自分でなんとかするニャ」
「…………」
何年掛かるのだろう?
ふとそんな不安を感じたのだが、そんな不安は忖度される事などなく、私は空間の歪みから放り投げられた。
◇◇
気が付いたら小さな掘っ立て小屋のような家にいた。ぎりぎり雨風は凌げるだろうか? そこは森の中にあり、その森はいつも霧が立ちこめていた。
小屋の中は薬師の家のような薬草と薬草を潰す鉢などが一揃い置いてあった。ここで薬を開発しろという事だろうか?
私は薬草棚を一つ一つ確認して戻す。
小屋に置いてあるものを全て確認し終えると、まず自分は何をしたら良いのかを考えた。
抗体の開発は、先ずは病原菌の確保だ。
それなら沢山ある。
自分の体の中に――
棚に置いてあったナイフで指先を傷つける。
そのコポコポの血の中に繁殖した何かを殺す効用を持った薬草を一つ一つ探すのだ。先ずは一つずつ。次に組み合わせ。しかし――本当に何年掛かるのだろうか?
ローラーしていく薬の数を考えると、途方もない数で正直怖さから溜息しか出なくなるのだが、遣るだけ遣ってみるしかない。
抗体作りの日々は静かで単純で寂しいものだった。
この空間には誰もいない。
その空間で来る日も来る日も黒い血に効く物質を調べていく。
寝ては起きる時に、日数を数えていたら百日経った。百日経った所で頭の芯がおかしくなりそうになった。
ここは時が止められた空間だという。ならば私の時は止まっていて、病気もあの日投げ出された時の症状のまま止まっているという事になる。つまりこの空間から出た瞬間に時は動き出して私は黒い血を吐いて死んでしまうという未来が予測出来た。
恐ろしい。死か孤独か治すかの三択で、死は勿論選択肢から外れる訳だが、孤独に耐えて抗体を開発するという道しか残されていないが、そろそろ孤独に耐えられなくなって来た。せめて猫でもいてくれたなら。せめてクロマル……。
クロマルは一緒に来てくれなかった。執行者のようなものだから内側に入るより外側の方が全体が見えて良いのだろうし、アリスターの使い魔だから一緒に連れてくるというのも違う気がする。
けれど私は……。結構限界を迎えていた。
もう一度理論構築をしてみようと思う。
事の始まりはカルヴァドス二期の第九聖女の欲望から始まったのだと思う。彼女は公爵家に生まれ聖女判定を受けて王子妃になる脳内予定だったと。なんと迷惑な脳内予定だろう。そもそも王子妃というものはタイミングによるのだ。私は今期第二聖女で第二王子殿下の婚約者であったが、次期聖女は普通に考えれば第一聖女が第四王子と婚約し、第二聖女は第五王子と婚約し、第三聖女からは王子妃ではなくなるのだ。
王子妃になる聖女は王子とお年頃が同じ年代の聖女だけ。意外にも沢山いる訳じゃない。そして王子妃以外の嫁ぎ先は公爵、侯爵の当主もしくは上級神官魔力素養一価持ちだ。
そして彼女は上級神官に嫁ぐ事が現実として受け入れられなくて、現実を妄想方面に捻じ曲げようと今回の事を起こした。孫娘を王太子妃にするべく画策し、まんまと王太子妃になったは良いが、なかなか子が生まれない。そうすると聖魔導師ではない孫娘を聖女として見立たせる為にお金が掛かり、あれよあれよと犯罪に手を染める羽目に。
更に今回の聖女等級審査が明るみに出そうになり、第九聖女が第一聖女に成り代わり裁きの庭に趣いた。顔は聖魔法でちょちょちょと弄ったのだろう。それは病気を治す事よりも簡単な行為だ。なんせ顔の表面の問題だし。
更にどこかにいるであろう野良の闇魔導師時空持ちと裏取引かなにかで老婆だった細胞を若返らせた。こわっ。けれどもこれはきっと時間制限付きでしかも命と引き換えの禁術だ。執行者ではなく執行される側の命。
急速に老化して、多分元の年齢も通り越して、骸骨のようになって黒い血を吐いてお亡くなりになった。そしてその亡骸は間髪入れず燃やされた。最後の燃やすタイミングに命があったかなかったかはギリギリラインのようなのであまり深くは考えない。
つまりは――
時の魔術師の介入がなければ抗体なんか作れるか!!!
とかそういう話。なんで感染系にするかな? と思うところもあるが、体の中で劇症を起こすために、そうしたのだろうと思う。次々と汚染を拡張する為に、そういう理論構築。
時の魔術師だけではなく聖魔導師、つまり第九聖女が関与したから、体の中で劇症を起こすポーションが一番平易に作れたのかも知れない。
――ああ
私、マジで詰んだ。
そう思っていると、コンコンとドアをノックする音が響いた。
ここに百日いたが、そんなことは初めてです。
私は分かりやすく、浮かれてドアを開けた。
大変、人に飢えてました。









