第六十三話 一方通行の罪Ⅲ
恐る恐る目を明けた私の目に映ったのは、右肩から黒い煙を出している第一聖女。
雷は彼女に直撃した……。
シリル様の雷――
「君は自分の夫が見分けられないの?」
そんな声が近くで紡がれる。
シリル様が近くまで降りて来て第一聖女と相対していた。
「え?」
シリル様の問いかけに第一聖女は右肩を押さえながら首を傾ける。
「僕はね、自分の妻は見分けられる。政略結婚と言えど一年間夫婦として過ごしたのだからね?」
「…………」
「僕はこの裁きの庭で君を見たとき、この聖女は誰だろう? そう考えていた。僕が結婚をした聖女ではない。顔は同じだけれど、中身が違う。彼女は間違いなく聖力がないと分かっていたからね。だから、君は誰? と考え続けていた訳だ」
シリル様はそこまで言うと、第一聖女から視線を逸らさずに私に指示を出す。
「第二聖女。盗賊のリーダーである男の体に残る怪我の残滓を確認して」
「………」
盗賊のリーダーの怪我の残滓……。
何故? と考えて、一つ一つの事象が繋がった。
そういう事だったんだ。
それで私はずっと第一聖女の聖魔法の術式に違和感を感じていたのか。
見た事ある筈。
でもハッキリと思い出せない。
でも何処かで……。
それは治癒執行を見た訳じゃない。
治癒魔法の執行後残滓を感じる程度だった。
だから仄かな記憶。掠る程度の記憶。
言っていたではないか。
あの盗賊のリーダーが。
あのリーダーは捕まった後、ぺらぺらぺらぺらよく喋った。
依頼を受けたのは聖魔法を受けたかったからだと。
盗賊は当然怪我をする稼業なのだろう。
当たり前だ。命の遣り取りなのだから。
リーダーは怪我した。光の聖魔法を受けたかった。
だから依頼者の条件は渡りに船だった。
金も手に入る。傷も治る。
傷を治して貰った訳だ。依頼者が連れてきた聖女に。
その聖女の事をなんと言っていたか?
「年老いた聖魔導師」と言っていたではないか……。
私は衛兵に取り押さえられた盗賊のリーダーの体に聖魔法を通して丁寧に確認をして確信した。
「王太子殿下。この盗賊に執行された聖魔法と、先程私の頬を治した聖魔法は同じ聖女の魔法です」
執行者は同じ。
つまり――
年老いた聖魔導師という人と、今ここに立っている第一聖女とは同じ人間になる。そして今、ここに立っている第一聖女をシリル様は妻じゃないと断言した。つまり王太子殿下と婚姻を結んだ第一聖女ではない。
「カルヴァドス二期の第九聖女、ヒルダ・ミルハンだったんだね。正確には只のヒルダかな? 平民だから。でも孫が王太子妃になる時に一代限りのミルハン姓を賜った。この姓は君が上級神官と結婚するときに一度捨てた名だ。君は本当は公爵令嬢ヒルダ・ミルハンだものね?」
ヒルダと呼ばれた第一聖女は一瞬虚を突かれていたが、間を置いて、王太子殿下に綺麗に笑い返す。王者のような微笑み。
けど、先程までとは明らかに違う。雷に打たれて気絶しなかった第一聖女。右肩から清浄なものとは違う色の血。そして数刻前まで美しい娘の姿をしていたのに、今や額や頬には皺と染みが浮かび上がっている。
美しかった十代の少女が、老婆に成り代わろうとしていた。
「そうよ? 私は王族の血を分けた公爵家の令嬢であって、平民の神官になんか嫁ぐ人間じゃないのよ? 王子に嫁ぐよう定められた高貴な血筋。私が王子に嫁いでいたら、シルヴェスター王太子殿下、あなたは私の孫だったのよ?」
「それはそれは。あなたのような心の汚れた聖女が祖母ではなくて、幸運でした」
「まあ、祖母に随分と憎まれ口を叩くのね? 間違った事は正さなくてはいけない。私の孫が第一聖女になれば、間違いは正される。私は王家の人間だもの。孫は王族である必要があるわ」
「成る程。それで自分の息子をけしかけて、聖女等級審査を不正させ、それを維持する為に、先程の罪状に並べられた罪を次々に犯したと」
「当然よ? 私の息子は聖女が黒と言えば黒、白と言えば白になる聖女が絶対の神官なの。それは私がそういう風に育てたせいでもあるし、仮の夫が敬虔な人間だったから、そう育ったというものあるでしょうね? 神官など聖女の足下で命令だけ聞いていれば良いの。そういう存在なのよ」
「何がご不満なんですか? 優しい神官の夫と聖女に敬意を抱く息子。どこかご不満な所はありますか? あなたが嫁いだ当時の第三位上級神官。最後は最高神官になっている。暮らし向きも大変裕福で、とても人柄の良い方だと聞いている。しかも彼は侯爵家の妾腹。第二王子、第五王子と同じ魔法素養を一つ持っている。あなたとの婚姻で魔導師が生まれる確率は二分の一。聖女を嫁がせる神官は片親が魔導師であるという条件がある。側妃の王子と結婚した確率と同じだけ魔導師の子供に恵まれる可能性がある。思い通りとはいかないまでも、幸福の一部はあると思われますが?」
「幸福ではないわ。公爵令嬢が平民に落とされる苦痛をなんだと思っているの? 屈辱以外の何ものでもない。庶民の慎ましやかな幸せなんて私には似合わない。沢山の使用人に傅かれて聖女の力を振るって生きて行くの。元の場所に戻る。私は元の場所に戻る――」
第一聖女の顔がゆがむ。
肩の傷からコプコプと音を立てながら黒い血が流れ落ちる。
シリル様は、第一聖女の老い萎えた顔を見て目を細める。
「何か手に入りました? 元の場所に戻る為にしたことで、手に入ったものはあるのですか? 母親思いの息子を失い。孫は不正で断罪される。あなたは聖女と言う名誉と残りの寿命を失った。もう、とうに元の年齢を追い越している。あなたは全てを失った。何も残ってない。残っているとすれば、カルヴァドス期の第九聖女が起こした事件の汚名くらい?」
「…………」
「惨めだね? 第九聖女とはいえ腐っても聖女。その力と名を欲しい者は沢山いただろうに。国民須く憧れる存在。焦がれても焦がれても一般人には光の聖魔法は使えない。あなたの妄執が聖女であるあなたから全てを失わせた」
細胞が凄い勢いで劣化している。
「今期の第二聖女が羨ましかった? 才能に満ち溢れ、それを活かすための向学心。そして決して他人を傷つけない。あなたには無いものばかりだ。衛兵から報告を受けているよ? 先に大聖堂で祈っていたのは第二聖女だったそうだね? その祈りがあまりにも敬虔だったから、問答無用で殴ったと聞いている。何処が上級聖女による厳しい指導なのだろう? 嫉妬に狂った下級聖女の暴行の間違いだよね? つまらない嘘ばかりぺらぺらと喋れば、嘘が真実に成り代わるとでも? 随分と浅はかだ。妄想は思い込みであり、真実とは否なるもの。カルヴァドス二期第九聖女、今期の第二聖女の方が余程上級聖女だ。彼女はあなたのお粗末な陰謀さえなければ、この国の第一聖女だった。あなたが手を上げたのは、今期の最上位聖女だ」
可逆とは、四十年若返らせれば、元の基点の歳から四十年分を更に重ね、人の平均寿命を超える事だろうか。元の年齢が六十歳だった場合、十八歳の第一聖女に成り代わるには四十二歳分、時と逆行する事になる。すると百二歳になる計算だ。
カルヴァドス期の聖女ヒルダ・ミルハンの顔が黒ずんで行く。
「…………シルヴェスター王太子殿下。この国の次期王。あなたの妃は私の孫。王妃になり国母になるのは我が孫」
「国母にもならず。王妃にもならぬ。王太子に魅了のポーションを盛った事実及び聖女等級不正により本日付で廃妃。聖女ではないのに聖女と偽った訳だから、国と王家を欺いた事になる。十代の少女の恋心と言うが、この国の王太子の自己意思を曲げさせる薬を盛ったのだからね、『人の体に向けられた不法な有形力行使』と判断する。暴行罪だ。故意で薬を盛った訳だから。悪質だよね?」
老婆に成り果てた、第九聖女の膝がガクガクと揺れ、ガクンと膝を突く。
いったん若返らせた細胞が、元に戻ろうとする反作用?
生きながら腐っている。反動で急速劣化……。
細胞を若返らせることが出来るのだろうか?
どちらかというと劣化させる方が理論上は可能だ。
若返らせるには何か、物理法則に逆らう力が必要なのだ。
あの真っ黒い闇のポーションから感じた力。
あれは闇魔法なのだが、その中でも――
私は魔法法則を考えて行く。
王家には雷の魔導師が生まれる。
水の魔導師の家系には氷の魔導師が生まれる。
そして――
闇の魔導師の家系には――
時間を操る事が出来る、時空の魔導師が生まれる事がある。
元々闇の魔導師というのは空間を操ることが出来る魔導師の事だ。
魔界、異界、別の空間、その応用で時空間を操れる、闇魔導師の最高峰が存在するのだ。
けれど、闇の魔導師はその魔法の性質からかなり危険で、必ず誕生したら国に報告する義務がある。
でも――
私は孤児院でアリスターと出会った事を思い出す。
潜性遺伝とはかなり追いにくいのだ。
もしも傍系の傍系の追えないくらい遠い場所から出ていたら?
聖魔法と時空の魔法を組み合わせれば、細胞の可逆は可能なのだろうか?
そんな考えに捕らわれていた時――
既に枯れ木のような老婆に変貌した第一聖女の恐ろしい悲鳴と号哭が響き、私の足に老婆の爪が食い込んだ。
「許さない。たかだか伯爵令嬢のお前が第二聖女と。お前はこのまま放って置くと行く行くは第一聖女になる。許せない許せない。私が聖女の末席でお前が聖女の首席など許さない。一人では行くものか。お前の幸福を食い潰してくれる」








