第五十三話 闇の蟲が広がる刻
私は今期の第二聖女であったから、心の奥底に十字架を背負っている。つまりは言葉を替えると、助ける事が出来なかった患者がいるということだ。大抵そういう患者の顔というのは忘れられない。ふと一人になった時、暗い刻限になると思い出すのだ。
聖魔法の光というのは、心に届ける事は出来ない。心とは人体の中にある訳じゃない。胸という言葉が使われる事があるが、心臓ではもちろんない。そして心を司るのは脳と思われがちだが、頭部に聖魔法を施行しても癒やしには繋がらない。
けれど人は病に冒されると、最初は元気であっても、少しずつ少しずつ闇が心の中に浸食して行く。それは黒く染まった虫喰いの後のようで、毎日毎日続く永遠の痛みと、体が思うように動かない苦しみと、更に家族等にも厄介者扱いされ、孤独になり、そして苦しみに抗う気力を失ったとき、心は闇の蟲が増殖し、真っ黒に染まるのだ。
私の患者もまた心を闇に犯され、そしてある日毒を呷って死んでしまった。今でもふと思う。家族に毒を渡されたあの少女の気持ちを。そう彼女に毒を渡したのは他でもない彼女の親で。いつでも楽になりなさいと言ったと風の噂で聞いたのだ。
その毒を母から貰った時、彼女はどう思ったのだろう? 心は一気に闇に浸食されて、生きる気力を失ってしまったのではないだろうか? ああ。私を産んだ母が死んでくれと。死をこんなにも願われている存在が自分なのだと。お金が無限に掛かる。働き手にもならない。まったくの役立たず。どころか心の負担。みんなの為に死んでくれと。
だから自分を自分で殺してしまった。
朝、冷たくなった彼女と対面した時、彼女の心の苦しみが、後から後から伝わってきて悲しかった。時間とお金を掛ければ治せる筈だった。第二聖女の聖魔法は恐ろしく高いのだ。聖女等級によってお布施が違うのだが、私はきっと高かった。そもそも学生なので慰問は孤児院にしか行かない訳で、となると第二聖女を指名する場合、教会を通す事になる。値段は教会が決める。
病気なのに、生活を脅かす程金を取るとはどういう了見なのだろうか? あの篦棒に高い治療費は誰が決めた? 病人の家族を追い込むほどの値段設定にする必要はあるのだろうか? 少なくとも聖女である私の本意ではない。
もしも聖魔法の光が、心の闇も照らすことが出来たなら、彼女の負担はどれほど減っていたのだろう? もしも、心に巣喰う蟲に直接聖魔法が掛けられたなら、彼女の不安は不安ではなくなっていた。
そんな風に考え出すと、後から後から涙が出て、止まらなくなってしまうのだ。第五聖女の家は身分も高く裕福だから、治療期間が長くなっても大丈夫だろう。そもそも妹聖女だから教会は仲介していない。そして私は教会所属の聖女ではない。
ふと、自室の闇の中で、私は教会所属の聖女にはなりたくないと、強い奔流のような意志で思った。聖女というのは王宮に嫁ぐか教会所属になるかの二択しかない。王子に嫁ぐか上級神官に嫁ぐか。もちろん適切な婚姻相手として公爵、侯爵もあるが。しかし数はぐんと少なくなる。
私は、今教会に所属していない。
王家にも所属していない。
教会の後ろ盾は失った立場だし、王家からは婚約破棄された。
今のこの状態は、聖女としては大変珍しい立場だ。
あまり考えた事はなかったが、国として許されるのだろうか?
エース家の侍女という立場は、ともすれば大きな権力に簡単に辞めさせられてもおかしくないような微妙な肩書き?
心が静かに沈んで行きそうになる。
人間の不安はいつもでも消えないし。
心配事も無くならない。
そういう定めの生き物なのだろうか?
私は三日後に行われる裁きの罪について考えていた。
何故?
どうしてエース家の侍女に出席義務があるのか?
いや、エース家の侍女に出席義務はない。
第二聖女に出席義務があるだけだ。
つまりは――
そういう繋がりのものなのだろう。
恐怖で心が沈むのだ。
闇の蟲は私の中にも巣喰っている。
誰の中にもきっと――








