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馬車がドルト公爵領に向かって、ひた走っている。その数10台。
最低限の使用人、ロベルトたちを王都邸に残し、バタバタと出立した一行だ。
ドルト公爵の紋章が入り、一番豪奢な馬車に乗るのは、公爵と側近。
大量の資料を抱え、必死の形相をしている。
「くそっ!どうして急にこんなことになった!!」
「旦那様、落ち着いてください。まずは対策を……」
「分かっている!これはチャンスだ!ここを乗り切れば、王家との繋がりが深まるはず……絶対にこの機を逃さん……」
登城したドルト公爵に陛下からの呼び出しがあったのは昨日の事。
「失礼します、陛下。お呼びにより参上致しました」
「おぁ、参ったか。ご苦労……まずは座れ」
陛下の執務室には陛下と宰相、それにエドモンド殿下が居た。
珍しい……と思いつつソファに座り、メイドが準備した紅茶を飲む。
「実はな……エドモンドの友人としてロベルトを呼んだところ、気が合ったらしくてな。
昨日、一昨日と勉強やら剣術を共にさせた」
「はい。大変名誉なことと喜んでおります」
ドルト公爵が商談を終え王都邸に戻った時、その報告は聞いている。
第二王子の友人とはいえ、息子が王城に入る機会が増えたという事で、内心ほくそ笑んでいたのだ。
「そうか。それでな……久しぶりにドルト公爵領の視察に行こうと思う」
「……視察、……でございますか?」
予想しなかった話に途端、ドルト公爵の額に汗が滲む……
「そうだ。エドモンドも是非行きたいと言っておるし、ドルト公爵領の隣には王家直轄地の屋敷もあるしなぁ……久しく行っていなかったが、いい機会だと考えた」
「……、はい、……それは、その通りで……有り難き幸せに……ございます」
陛下は機嫌が良さそうに話しているが、対するドルト公爵には焦りばかりが募っていく。
「んっ?どうした、何か問題があるか?」
「いえっ!!いえいえ!問題などあろうはずがありません!」
「そうだろう、そうだろう。ならば二週間後には出立する。
いいな、、頼んだぞ!!」
平然を装っていたドルト公爵だが、ビクッと体が跳ねてしまった……
「そ、そんなに急にで、ござい、ますか!?」
「なに、心配はいらん。滞在は我が屋敷にする。
そうだな……王子に他国との貿易を見せてやりたい。普段の様子をありのままに見せてやってくれ。後は民の暮らしぶりを知れれば安心だ。いくら公爵領とはいえ、長い間訪れていなかったからな」
「か、かしこまりました……されば、私は早速領地に戻り準備をさせていただきます」
「ドルト公爵!楽しみにしています。よろしくお願いします!
ロベルトと貿易について予習しておくよ!」
何とか焦る己を押さえつけ
「エドモンド殿下、かしこまりました。道中お気を付けてお越しください。
陛下、ドルト公爵領民皆でお待ちしております……
で、では、私はこれにて失礼をさせていただきます……」
「あぁ、待て!そうだった!」
「へ、陛下……、まだ何か……」
「何、大した事ではない。
ルルヴィーシュ公爵領で温泉が見つかったのは知っておろう。
整備を学ばせる為に王子たちを行かせる事にした。ドルト公爵領に向かうまでの間だけだが……
貴重な機会だ、ロベルトも同行させよ。
代わりに視察の時はシリウスを連れて行く。次世代の交流は大切だからな。」
何も発言しなかったベンフォーレをギロリと睨んだが、無表情で立っているだけだ。
この陛下の話に対して否は有り得ない。
「……、ロベルトへのご配慮、有り難き幸せにございます。陛下のお考え、しかと賜わりました」
深々と礼をとったドルト公爵は足早に執務室を退室して行った。
「トーマス!ルルヴィーシュ公爵領はどんな所だろうか?」
「ロベルト様!そうですねぇ、私も想像はしてみるものの、現実感がなくて毎日ふわふわしてしまいます」
話を聞いてから二日が過ぎている。
ロベルトのルルヴィーシュ公爵領行きは、陛下と宰相からのサプライズプレゼントのようなものだった。
帰宅した父親から聞いた時は、ビックリして固まってしまったが……お陰で喜びを見られることはなく、助かった……
トーマスはドルト公爵より何だかんだと注意事項を聞かされていたが、こちらも固まっていたので、只々、かしこまりましたと繰り返すだけだった。
「明日には着いてしまうのだな」
「そうです!朝に出立して、夕方には着いてしまうでしょう」
「こんな楽しみな事があってよいのだろうか?」
ロベルトとトーマスは近くやってくるであろう領地経営の改革について、頭を悩ませるはずだった……しかし陛下が、まずは幅広い知識を得よ!とこの機会を与えて下さった……勿論、ルルヴィーシュ公爵も同じお考えである。
そのうえ、今回の視察によりどのような結果があろうとも、ロベルトだけに対策を押し付けるつもりはない、と……
安心してルルヴィーシュ公爵領で交流を深めてこいと仰られた……
父親を見送った後に登城した時のことだ。
ずっと自分は一人だと、トーマス以外は信用しないと決めて、生きてきたのに……
「ソフィ。ひざ掛けは完成したのか?」
「はい、お兄様。無事に……なんとか……」
王妃が準備していた毛糸は、高価というよりは肌馴染みの良い、どちらかと言うと編みやすい物だった。
「明日は馬車移動で大変だからな。早く休むんだぞ。父上は今夜、遅くなるそうだ」
「わかりました」
トテ、トテ、トテ
「シリウス~!シロねぇ、あした、おとーしゃまといっしょにぃ―ばしゃ―にのるの」
「あぁ、そうだな。お天気だといいな」
「うん」
シリウスとソフィアは顔を見合わせた。
領地に戻る一行には殿下たち、そしてロベルトとトーマスが同行する……そう、つまりビビたちやシロの存在が二人に知られると言う事だ。
既に二人を仲間と認めているので、心配はしていない、が……
短期間に様々な事がありすぎて、二人は大丈夫だろうかとの不安があった。
陛下も父上も了承している。まぁ、いつかは知られるだろうし……いい機会なのかもしれない。
シリウスは微笑んで、シロとソフィアの頭を撫でた。
翌朝。いつものように愚図る父上を執事のローレンに任せ、一行は順調に馬車で進んでいる。
朝早く、ロベルトとトーマスが屋敷にやって来た。殿下たちの到着までは少し時間がある。
「ルルヴィーシュ公爵閣下。おはようございます。この度の特段のご配慮、感謝の念に堪えません」
「ロベルト。そんなに畏まらなくて良い。
同世代の絆を深め、楽しめばいいのだ。きっと振り回されて大変だろうがな……はははっ」
「いえ。ありがとうございます。貴重な機会と心して過ごします」
深々と礼をとるロベルトに苦笑しながら、優しい眼差しでベンフォーレは頷いた。
ロベルトは談話室で紅茶を頂きながら、ルルヴィーシュ公爵邸に流れる、落ち着いた柔らかい雰囲気を感じている。
自然にリラックスできそうな感じがして、ほぅ……と息を吐いた。
「ロベルト。出発前に紹介しておきたい方たちがおられる」
「はい」んっ?方たちがおられる?!高貴な人だろうか……使用人でないのは間違いない。改めて姿勢を正すと
「ロベルトおはよう」
「ロベルト様。おはようございます」
シリウスとソフィア兄妹が現れた。
「おはようございます。ロベルト様。ソフィアさ、ま……」
そこでロベルトとトーマスは瞳を大きく見開き、ポカンと口を開いた。
ソフィアの後から、白いふわふわのクマのぬいぐるみがソフィアとお揃いのドレスを着て、うさぎのぬいぐるみを抱いたまま歩いて来たのだ。
ソフィアにご挨拶はと言われ
「シロでしゅ。おはよーごじゃいます」
と言っている。
「おはよーございます。ロベルトともーします」
何故か片言で、反射的に返した。
そして、続く姿を確認して更に驚愕することになる。
いつものように大きくなったビビ、トット、ポポが神々しく登場したのだ。
ルルヴィーシュ公爵家の馬車に呆然としたままのロベルトとトーマス。シリウスとバルトの四人が乗っている。
ロベルトとトーマス何故か手を繋ぎ、ピッタリと寄り添って座っていた。
ビビたちの存在を知り、ソフィアの創生の魔法についても説明を受けたので、頭で理解は出来ている……しかし、あまりにも想像を超えた話で心が追いつかない。
現実に見ているのに、信じられない気持ちが少なからずあるのだ……
そんな二人を心配するように見つめるシリウスとバルトだが、今は声を掛けない方がいいと判断して、黙っている。
「トーマス……私たちは奇跡に巡り会えた……」しばらくして、静かにロベルトが言った……
「はい。ロベルト様。私たちは幸せ者にございます……」
……、……、……
「「わぁぁぁぁぁ!!ぉおおお――!!」」
突如二人から聞いたことのない雄叫びが発せられた。
ガタガタと馬車が揺れて、二人は抱き合いながらバシバシと背中を叩き合っている。
「落ち着け二人とも。馬車の中だ。危ないだろう!」
シリウスの声に我に返った二人は、すとんと座席に座り「「失礼致しました」」と落ち着きを取り戻した。
すると馬車の中にポゥ~と光が溢れ、ビビたちが姿を現す。ビビはシリウスの膝に、ポポはロベルトの膝、トットはトーマスの膝に乗っていた。
「ち、小さい……」
「あぁ、普段はこの大きさなんだ。何故かお披露目となると大きくなるのだが……」
『だって!大きい方がカッコイイでしょ?』
『バッバーン!!って感じで!』
『キラキラドーンって見えるし!』
『『『ね~!』』』
「……と言う事らしいぞ、ロベルト……」
シリウスは膝のビビを撫でながら話している。ビビも気持ち良さそうに目を細めているので、ロベルトとトーマスも真似をしてみた。
綺麗でふわふわ、そして何より温かい……二人はすっかり夢中になっている。
「どうしたんだ?ソフィのとこは飽きたのか?」シリウスが撫でる手を止めずに聞く。『ソフィアがシリウスの馬車が騒がしいから、見て来いってさ~』
「そうか。戻らなくてもいいのか?」
シリウスのその言葉にロベルトとトーマスはビクリとした……既に離しがたい温もりに心を奪われている……思わず抱きしめたい衝動に襲われていたが……
『問題なければ、そのままでいいって!向こうではシロがはしゃいでるから』
ほぅぅ……自然と息を吐き切ると、クスクスとビビたちが笑っていた。
主と仲の悪い公爵家の息子、自分の存在はそんなところだろうと覚悟をしていた……が、
ルルヴィーシュ公爵領では皆が皆、歓迎してくれた。
顔に浮かぶ笑顔には嘘がなく、信じていいと自然に思える……不思議な感覚だった。
ロベルトとトーマスは安心して過ごせる場所に身を置く……という初めての体験をする。
「今回ここに滞在中は、王子でも関係ありません。皆、私の子供だと思って接します。
陛下も了承済みのこと……
指示に従って、元気に過ごして頂戴!
張り切って、温泉整備をするのです!!
忙しくなりますわよ~!!」
ルルヴィーシュ公爵夫人はそんな風に出迎えをしたが、丁寧に挨拶をしたロベルトの頭に手を置くと、優しく撫でた……
「ロベルト。ここに居る間は私を親と思って過ごしなさい。困ったことは相談してね」
と慈愛に満ちた眼差しを向けてくれる。
思わず涙が溢れそうになるのを、グッと堪え
「あ、りがとう、ございます」
と震える言葉を絞り出した。
頭を撫でられるなど、経験がなかった……
体が震えるほど嬉しい……と感じた。
ドルト公爵領。港の酒場では、今夜もガヤガヤと酒盛りをしている。
ガハハハッ!とあちこちから酔っ払いの煩い笑い声が響いていて、今夜も酔い潰れるまで続きそうな雰囲気だった。
が……突如ガンガンとステッキで壁を打ち鳴らされた。
酔っ払いの中から声が上がる。
「おやおや、旦那じゃあ~ねぇですか!
珍しいですねぇ~こんなところにまで、来るなんてぇ」
男は頭と呼ばれる存在で、筋骨隆々の大きな体には多くの傷痕をまるで勲章のように残している。ニタニタと気味の悪い笑顔を浮かべながらも、ふらつくことなく真っ直ぐにドルト公爵へ向かって来た。
「新しい仕事の話だ!」
「ほぉ。じゃあ、場所を変えましょうや」
二人の部下らしき男を引き連れ、ドルト公爵と側近、そして黒マントですっぽりと全身を覆っている男の後を追った。
そして、暗闇の中に姿を消した。