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早朝。
ルルヴィーシュ公爵家の騎士団は訓練中。
シリウスはもちろん、滞在中のアルベルトも身体を鈍らせないようにと参加していた。
準備運動から走り込み、模擬刀での打ち合いと皆で汗を流す。
「アル。最近騎士達から爽やかな香りがしないか?ほんの僅かだが……接近戦で感じる……しかも一人からでないのが不思議なのだが……」
「シリウス、やはりそうか。訓練はむさくるしい、暑苦しい、汗臭いが当たり前なのだが……休憩時に微かに癒しの香りがするのだ……何故か騎士達から……」
「う~ん。これはソフィ絡みかもしれんな」
「ソフィアか……ありうるな」
……、……。
公爵領。街から離れた領主の森。
梟の里が人知れず存在していた。
先祖代々ルルヴィーシュ公爵家に仕え、影として揺るぎない信頼を得ている。
血が濃くなることを防ぐ為、優秀な素質を有する者を迎えつつも、里は公爵家の歴史と同じだけ長きに渡り存在する。
「頭領。お疲れ様です」
「あぁ、変わりないな?」
「はい」
「その荷は?」
「あぁ、ソフィアお嬢様から差し入れに頂いた。貴重な物だ。子供たちに分けてやろうと思ってな」
「ソフィアお嬢様がですかっ!?」
「ビビ様たちにお聞きになられたらしい……我々が忙しいと」
「なるほど。御自身も忙しいでしょうに」
「ほんとにな。お優しいお嬢様だよ」
頭領と呼ばれた男はまだ若く、里に戻った安心感から目つきが少し和らいだ。
梟の里は前線を退いた世代が守っている。
前線には居ずとも、調査等の仕事は多岐に渡るのだが……
影の仕事は俊敏さが重要で、少しでも判断が鈍れば命に関わるため、前線を退くのも早い。
その為、里で後進の指導を担っている世代が親世代、又は親である子供も多い。
つまり、親子の時間がたっぷり取れる非常に子育てのしやすい環境なのだ。
確かに修行は厳しいが、幼い頃から自らに流れる血を自覚し、環境に慣れている子供たちにとって公爵家に仕えることは喜びだ。
「ソフィアお嬢様から頂いた差し入れだぞ。肉まんという」
「え―っ!あのっ、あのソフィアお嬢様?」
「そうだぞ。我らがルルヴィーシュ公爵家のソフィアお嬢様だ!!って、待て待て、今、分けてやるから順番だ」
修行の休憩に入っていた子供たちはらんらんと瞳を輝かせた。
公爵家は、若くして前線に立ち、常に危険に接している影の存在に、充分な報酬や気遣いを与えていた。いつの時代も変わらず信頼関係があり、梟の里にとって公爵家は護るべき存在であり護ってくれる存在でもある。
「よし、いいぞ」
人数分に分けられた肉まんはすっかり冷え、大きさも充分ではなかったが……
「なにこれっ!美味い」
「ほんとだ。端っこまでお肉あるぅ。」
「肉まんっ?肉まん!最っ高ー!!」
ソフィアの思いは里の子供たちに届いたようだった。
「ソフィ……」
「お兄様、お疲れ様でした。今朝も訓練に参加されたのでしょう?」
「ソフィア、おはよう」
「アルベルト様、おはようございます。お疲れ様でございました」
「ソフィア。マッサージオイルが欲しい」
「はいっ?」
うっ……いきなりですか!?情報が早い。
騎士団用に創ったものが、もうお兄様たちの知るところになっている……
「騎士団の棟にあって、何故本邸にないのか不思議だな、ソフィ?」
何か……機嫌悪い?
お兄様……マッサージオイルなら直ぐに創りますから……ちょっとお顔が怖いです。
「……、ご希望などはございますか?」
「騎士団にあったものは何だ?」
「二種類創りました……ウッド系と柑橘系にです。僅かな香りにしましたが……」
「ソフィアの好きな香りは?」
「私ですか?……ん~っ、サラだった頃からベルガモットが好きです。光毒性があるので創る時に注意が必要ですが……あっ、騎士団の柑橘系も安全性は大丈夫ですよ……リラックス効果があり、ストレス緩和にも繋がります。ウッド系の香りもリラックス効果があるので、騎士たちの僅かな癒しになればいいのですが……」
「私はベルガモットがいい」
「ソフィ、私もだ」
「わかりました。では、準備しておきますね」
二人は納得したらしく、立ち去って行く。
もうぅ、ちょ~っと騎士団優先にしただけなのに・・・
ベンフォーレの執務室にはリリアンヌ、ルーカス、足湯(温泉施設)建設責任者に指名された建築士が集まり、設計図制作が進められている。
公爵から提案された、足湯なる施設に建築士は心躍らせていた。
更にゆくゆくは温泉施設としても発展させるという、一大プロジェクト。露天風呂という斬新な入浴法も見据えての計画である。
依頼があった昨夜は興奮して眠れなかった……
公爵家の改築等に携わってきた優秀な建築士である男性は、若手だが既に名の知れた一流と言われる存在だ。しかし、前例がない、いや、発想すらなかった施設の建設責任者として抜擢されたことを神に感謝する。普段は信心深い人間ではないが、昨夜からはやたらと神に感謝した。
これはきっと、私の人生で最大の仕事なのかもしれない。寝不足など感じさせないやる気を漲らせ話し合いをしていた。
「ベン。休憩にしましょう」
「ああ。そうしようか、ロックも疲れたろう。一度リラックスしてくれ」
「ありがとうございます」
建築士ロックは、前のめりに仕事をしたい欲を鎮めさせ、勧められたソファに移動した。
「ロック。突然の依頼……しかも多年に渡る事業の受け入れ、感謝する」
「公爵閣下っ!!お止めください。私はこの依頼を頂けたことが、人生最大の喜びと感じています!こちらこそ幾重にも感謝申し上げます、ありがとうございます」
「ふふふっ。人生最大の喜びなどと、奥方が聞いたら何と仰るかしらね、ロック?」
「お、奥様、、、これは内密に。ウチのは怒ると、何というか……あの、こ、怖いのです」
「あらあらっ、わかりました。頼りにしているロックの嫌がることは避けないとね」
「あっ、はい。ありがとうございます」
「ロックよ。我が家も同じようなものだ。ルーカスだってそうだろう?」
チラリとリリアンヌを見た後、ルーカスに尋ねる。
「我が家には妻に大変よく似た双子の娘もおりますので……、それはそれは大変です」
「はははっ。アリー、サリーか。そうだな、それは大変だ、くくくっくっ」
コンコンコン。
「失礼致します。お茶をお持ち致しました」
タイミング良く?悪く?訪れた双子に、一瞬ビクッとしたルーカスは軽く咳払いをして扉を開ける。
双子に続いて、ソフィアも入室した。
「お父様、お母様。お邪魔致します」
「ああ、ソフィア、丁度良かった。温泉施設の建設責任者、ロックを紹介しよう」
「はじめまして。この度選任いただいた建築士のロックでございます。どうぞお見知り置きください」
「ソフィアです。どうぞ宜しくお願い致します」
「ソフィアお嬢様のお噂は聞き及んでおりましたが……なんともお美しい、可憐なお嬢様でございますね。非常に博識でいらっしゃるとのことですが……お姿も素晴らしいとは」
「ロック様。お褒めいただき恐縮です。まだまだ未熟な身ですので、恥ずかしい限りですわ」
「ロック。ソフィアは5歳なんだ。大人びて見えるが……まだまだ子供ゆえ機会があれば知識を与えてやって欲しい」
ロックは目を見開いて驚いた顔をしたが、ソフィアの微笑みを改めて見ると、確かに幼さがあった。
「さぁ、お茶にしましょう。何やらまた新しいものが見えてるわ」
ソフィアは双子に手伝ってもらいながらお茶の準備を始めた。
実はテオとローラから荷物が届いたのだ。何かしらとわくわくしながら荷を解くと、緑茶の茶葉に小豆、寒天と様々な懐かしい日本的なものが入っていて、手紙も同封されていた。
手紙には以前ソフィアとの談笑中に聞いた材料を探していたこと、それがサチヨの店で手に入れられるようになったことが記されていた。
まぁ、わざわざ仕入れてくれたのね……と優しい気持ちに感謝しつつ、早速作ったのが、どら焼きと大福だ。羊羹はまだ固まらなかった……またの機会ね。
テーブルに並べられたお菓子を見るなり
「まぁ、まぁ。これは大変。アルベルト殿下とシリウスを呼ばないと、怒られるわ。アリー、呼んで来てちょうだいな」……と。
「かしこまりました、奥様」
お母様はいつもながら、何でもお見通しね……これはマッサージオイルの件もご存知なのだわ……さ、流石です。
皆が揃ったところで、ソフィアは緑茶を淹れる。ティーカップ しかないのは今後の課題だ。
突然のアルベルト殿下の登場でロックは固まっていたが、気安く接する公爵家の人達を見て安心したようだ。
「ソフィ。これは?」
「お茶は緑茶です。このどら焼きと大福には緑茶が合います。どら焼きも大福も餡子が入っていますが、どら焼きには粒あん、大福はこしあんにしてあります。好みによってどちらも可能なのです。優しい甘みだと思うのですが、いかがでしょうか」
「う、美味いな……ソフィアの言うようにケーキとは違う甘みだが、お茶にも合う」
「甘いものは脳や身体の疲労回復に役立つと言われていますが……急いで沢山食べるのは良くありません。ゆっくり適量がベストです」
「う~ん。沢山は駄目かぁ。美味しいとついつい食べたくなるが……」
「お兄様。美味しく食べたのに疲れたくはないでしょう?運動もしてるし、若いお兄様には影響がないでしょうが、食生活は習慣ですから」
「わかった。ソフィに従うよ」
「今、固まるのを待っている羊羮もありますから。楽しみにしていてくださいませ」
「ソフィア。大福のもちもちは癖になりそうよ、とても美味しいわ」
「お母様、良かったですわ。中に詰める餡は変えられます。果物を入れる事もありますので、見た目を華やかにする事もできますわ」
「まぁぁ、素敵ね!お茶会の目玉になりそうだわ」
「温泉施設で緑茶とセットで出すのも可能だと思いますが……」
「あらあらっ、それもいいわねぇ~。ベンはどう思う?」お母様は祈るように手を合わせ、夢見る乙女のようだ……
「リリー、落ち着け。どら焼きも大福も素晴らしいのは確かだ。ソフィアの作るものはどれも感動を与えてくれるからな」
「そう、そうなの。私は感動しているの」
お母様がおかしい……疲れ?……そうだな、疲れていらっしゃるのだな。お母様のことはお父様に任せよう。
「ロック様。お口に合いましたでしょうか」
両親から向き直ったソフィアはビクッと身体を跳ねさせた。
な、な、泣いてる―――!!?
「ロック様っ。お嫌いでしたか?申し訳ありません」
「ち、ちがいまずぅぅ。こ、この、ような、お、おいしいものを、いだだいでぇ、みにあまるこ―え―でずぅ」
涙もろい?芸術家だから?感動屋さん!?
アルベルト様とお兄様は、ソフィアに言われたゆっくり食べるを実践中らしく、一口を味わうのに集中している……控えているルーカス親子に助けを求める眼差しを向けたが……すぅ―っと逸らされた……酷い。
ソフィアは皆に緑茶を注いであげつつ、平常心を心掛けた。
しばらくして落ち着いた大人たちは、再び仕事を始めた。お兄様たちは騎士団にサッカーを教えると張り切っている。
ソフィアは私室でマッサージオイル創りと懸案の編み物をするのだ。
泣くほど喜んでくれたロックには、すっかり親近感が湧いたので、今日の帰りに奥様へのお土産を渡そうと思う。長い付き合いになりそうなロックが、とても良い人そうで、ほっとした。
そういえば、梟さんたちへの肉まんは気に入ってもらえたかしら?
う~ん。感想をお父様に伝えてくれるといいなぁ~と考えながら、手先を動かし続けるソフィアであった。
「頭領、頭領!」
「んっ?どうした?」
「ソフィアお嬢様はどんな方ですか?」
「お嬢様か?ん―っ、そうだな。容姿はお姫様らしく、可憐で美しいな。まだお小さいのに真面目に一生懸命働いていらっしゃる」
「お仕事してるの?」
「仕事?!ではないのだろうが……皆のために動かれる方だな」
「皆のために?」
「そうだ。肉まんを食べたか?」
「うん。と~っても美味しかった」
「そうか。我々が冷える中で大変だろうと差し入れしてくださる、優しいお方なのだ」
「素敵なお嬢様だね!」
「あぁ、我々はルルヴィーシュ公爵家に仕えられて幸せなのだぞ。他所は酷い扱いを受けている者も多いのだ」
「そうなの?じゃあ修行頑張って、早く頭領の役に立つようにしなきゃね!」
「あぁ、頼んだぞ」
「うん、頭領!肉まんのお礼言っといてね~!!」
子供の頭を撫でながら話していた青年は……んんっ!?……お礼を言う?……と固まりながら、子供の後ろ姿を見送った。