第九話「大聖女、森の湖水で沐浴す」
【前話は……】
注文の小剣を受け取って早速、ガラクティカたちは魔物討伐に出かけた。魔物の森をさ迷い奇しくも出遭った大物を討滅した。
「「ガラクティカ様!」」
剣に手を添え崩れ落ちるガラクティカ様に駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
「退治できたのですか?」
その姿は魔物の青い体液にまみれ満身創痍に見えた。
項垂れる彼女は、顔をこちらに向けるのも煩わしげに頷く。
見るかぎり大きなケガは見当たらない。
おそらく魔力の使いすぎで困憊しているのだろう。
「取りあえず、お体を清めてお召し替えかな?」
「そうだな。こんな事ならレオットも連れてくるんだったな」
レオットとは洗浄の生活魔法の使い手だ。
彼がいれば汚れなど容易に落とせるところだが、最小限の人数で挑んでいる冒険なので彼まで連れてこれなかった。
「そうだけど、仕方ない。清浄な水があるんだ。二人でやろう」
「あなたたち、慰労の言葉はないの?」
「はい。私たちはお世話が本分ですから」
渋い表情を空に向けるガラクティカ様をよそに二人で決めると彼女を抱え起こした。
その視線の先を追うと鳥? が舞っていた。
「クリスト、あれを収納しておいて」
山烏賊の死骸に視線を注いだガラクティカ様が、クリストにそう仰ると再び空を仰いだ。
その視線の先に目をやると、空を舞う大きな鳥がいつの間にか数を増やしている。
クリストは収納魔法がつかえる侍姓だ。
魔物を討伐した証しの部位を冒険者協会に提出するのだ、とは知っていた。
あいにく調べもせず討伐に赴いたので、それがどこの部位なのかは知らない。
きっとガラクティカ様はご存じなのだろうと訊くと「さあ? 知らないな」なんておっしゃる。
そのため斃すごとに魔物を丸ごとクリストに「収納」してもらってきた。
道中、収集を続けていると「そんな物、集めてどうする」とまで言われて、此度の討伐行は修練であってお金儲けではないのだったと思い出す。
にも関わらず山烏賊については収納するよう念を押す理由が分からない。
「はあ……はい。構いませんがかなり大きいので収めておくのに、今までの小物のようにいかないかも……」
「早いほうがいい。片付けられるならお願い」
「分かりました」
私が知る限り収納していた最大の物は、ガラクティカ様の馬車だった。
今回の物はそれを上回る。きっと重さもそれなりのはず。
しかもこれまでの魔物があるのでクリストは収容量に不安があるのかも知れない。
クリストはガラクティカ様の言葉に従ってセルポンダを収納する。
御身のお世話より魔物の始末を急く理由が分からなかったが、集ってくるヤツがいる、と言われてなんとなく納得する。
もう大魔境のど真ん中と言っていい場所まで侵入して来ている。
こんな所に魔物が押し寄せてきても困るのだと思っていたが──。
「魔物に掠め取られるのも嫌だし、傷むと美味しくなくなる……」
──後に続いた呟きを耳にして目が点になった。
食べるのですか、アレを?
死骸を収納したクリストとともに、ガラクティカ様のお召し物を脱がせていく。
青い体液は下穿きまで浸みていたので結局全てを脱いでいただき湖水で汚れを流す。
「肌の張りが……お体がしぼんだようです、ね?」
「そうだな。前に触れた時はツヤツヤしていたような……」
「連日、剣の素振りで消耗されているし食事の量も減っているし。お肌に悪いことばかりしているからかなぁ……」
「あなたたち、おしゃべりしてないで早く。アレが来るかも知れないのに。それに、寒い」
手ぐしでお髪をすいて、泉の水をかけ流して念入りにお体を拭っていく。
湖の水は冷たいが、まったく手早く済ませるつもりなどなかった。
クリストがどうかは分からないが、私は少しでも長くそうしたかった。
「はい、申し訳ありません。……あの鳥が気になりますか?」
されるがままのガラクティカ様は我らを急かしながらも空に視線を向けている。
そんなにあの鳥が気になるのだろうか?
「もう、寒い。やめ。おしまい。終了」
「ええ? まだ不十分です……。コヒュー、コヒュー……」
「あなたたち、唇まで紫になってるわよ?」
冷たい水で思いの外、体を冷やしてしまっていたようだ。
呼吸が浅く早く、心臓が早鐘を打っていた。
あらぬ感情を呼び覚まされるようだけど、主人のお体に触れる悦びには抗拒し難しい。
私たちは、そう刷り込まれている。
「ですが──」
「早く食事を取って、次に行かないと。一日は短いのよ」
それに私が触り過ぎだ、と窘められた。
「修業が上手く行って時間ができたら──来た! 私の後ろに」
お体を拭っていると制止がかかった。
空を見ると鳥の数羽が列をなして降下してきた。
お世話に夢中で接近に気付けなかった私の失態だ。
私たちがいる水際と樹々との間に二羽、森の際に二羽が舞い降りる。大きい。
空にいる時には感じなかったけれど、間近で見るとヒトの子供くらいの大きさがある。
驚くべきことにその鳥はヒトの頭と身体を具えていた。
目付きがきついが、そんな顔つきのヒトだと言われると、そうなのかと思える程度にヒトの造形をしている。
「アレも魔物ですか? ガ……ラクティ様」
「そう、ハーピーだ。アレも伝説級の魔物だな」
「アレも?」
「先ほど斃したセルポンダは元々、海にいたと言われている魔物だ。汚れた海を捨て、陸に上がったと言われている」
「海……。今は汚泥に埋まっていると聞きますが、大昔はキレイだったと?」
「そうだ。かつては『母なる海』と言われていたが見る影もないらしいな。そこから清浄な水を求めて陸に上がったらしい。まあ、伝説だな」
「伝説……ですか」
樹々の方、奥に降りた二羽はこちらを警戒しながらも鳥らしい覚束ない足取りで森の奥へ──我らが隠れていた辺りに進んでいく。
手前の二羽は、こちらを見張りながら森に進んだ二羽の様子も気にしている。
向こうの二羽を観察すると、私たちが隠れていた辺りにいる。
体に巻きつかれた物を外した触手を啄んでいるようだった。
一羽が触手を咥えて浜辺に戻ってくると、もう一羽も森から現れる。
見張りの鳥──ハーピーへ、グギャギャアと鳴くと助走を付けて空に舞い上がった。
釣られて他のハーピーも飛び立っていく。
「それほど、恐ろしくはなかったですね? って、いつの間に」
ハーピーから視線を戻すとガラクティカ様は、ほとんど着付けて、あとは革鎧を着けるまでになっていた。
「お前がハーピーに夢中になっている間にな」
「夢中になどなっていません。警戒していたんです」
「まあ、なんでもいい。早く食事をすませて討伐を再開するぞ」
持たせてもらった携帯食を手早く食べて、準備を整えると、午後も魔物を狩り回った。
もちろん、手出しすることなく短剣を構えて身を守るだけで、ほとんどはガラクティカ様がたおしていく。
「これはダメね。効率が悪すぎる。もっとうじゃうじゃいる場所じゃないと。
それに弱すぎる。刃が当たりさえすれば、たおれてしまう。湖のアレみたいな魔物は、そうそういないものね」
「王都の周りは冒険者が討伐して回っていますので、あれほど魔物はいないのではないですか」
「……遠出しないとダメか」
また恐ろしいことを考えていらっしゃる。
簡単にたおれてくれれば良いじゃないですか。
無許可で王都を離れるのもまずいのに遠出などして日没に間に合わないと王都から締め出されてしまう。
さすがにそれはマズい。
先行きに不安を抱えて日が傾くまで、私たちは森を彷徨った。