第二話「大聖女、敵軍に揶揄される」
聖女と呼ばれるガラクティカは、味方に援護魔法を与えんと戦場上空に飛び至った。
※本話には冒頭【動物虐待】した会話があります。
※「こぶた」は可愛いの代名詞です。
◆
ガラクティカは詠唱を続けて味方の上に到達した。
「おいおい、エセ聖女が飛んで来たぞ」
「あれは人か? 風船だろう?」
「確かに。人が浮かんでいられる訳がない」
「そう言えば、よく遊んだな。子供のころ、池から捕らえたカエル」
「ああ、やったやった。空気を含ませて腹をパンパンにして──」
「膨らませすぎて……パン! だ」
「それじゃ、アレはでかいカエルか?」
「いや、魔物のカエルだ。老鱶蛙だ!」
「そりゃいい。空飛ぶ老鱶蛙!」
敵軍兵達は、飛来したガラクティカを見つけると揶揄する声が上がっていた。
彼女は宙にたゆたいながらその声に耳を貸さず目を閉じ指を編んで一心不乱に呪詞を詠った。
ガラクティカの豊満──ふくよかな体が青白く眩ゆく光り始めていたがユラユラと揺れている……また肩を怒らせ震えてもいた。
「「「鱶蛙! 鱶蛙‼」」」
「「「空飛ぶ鱶蛙! 老鱶蛙‼」」」
ついに敵兵達は、声を合わせ唱和し始めて、得物で鎧や盾を打ち鳴らした。
その大合唱を受けて蒼白い光を放っていたガラクティカの体から光が失われていく。
彼女は詠唱をやめてしまっていた。
「だ……誰が……鱶蛙だ!」
腹の奥から唸るような声を絞り出すと、すかさず彼女は新たに詠い始める。
こたびは彼女から紅い光が射し始めた……。もう、揺るぎない確りとした詠唱だ。
――鱶蛙とは、森の奥、湿地や沼地に生息する魔物で体長半間(約一メートル)のひきガエルの姿をしている。
雑食の大食らいで動く物には跳びつく性質をもつ。
「ま、まずい、退け‼ 撤退‼ てった~いッ‼」
「「「撤退! 退きのドラだ!」」」
ガラクティカの放つ紅い光を目にした味方の兵は騒然として青くなっていく。
彼女が何をしようとしているかを察したのだろう。
直ちに王太子以下、右軍左軍の両将軍も声を荒らげ下知を飛ばすが時遅く、味方が入り乱れて退きの命が届かない。
軍馬は嘶いて騎士を振り落とし、徒の者はもんどり打って倒れ折り重なる。
阿鼻叫喚とはこのことだ。
烏合の衆となりはて喧騒極まる小国軍を帝国兵達は嗤いあう。
上空のガラクティカは一の詩を詠い終え、体を紅く光らせていた。
しかし、詠唱はやまず新たな詩を吟じ始めた。
「お、おい。何か変だぞ」
「あれ、マズくないか? 紅く光っている」
「そ、そうだな……詠唱が長すぎる……」
「紅い魔法光は詠唱が成就したなら火炎魔法か、炸裂魔法だぞ……。
もうとっくに励起しているのに発動させてもいい頃だ」
「じゃ、じゃあなんで放たない……」
「「「…………」」」
二の詩を詠い始めると紅く光るガラクティカの体にパチパチと黄緑色の星が現れては弾けていく。
一の詩を励起、発動を保留したまま、次の詩を詠う高等技術だ。並みの魔法使いならば、体が耐えられず弾け飛んでもおかしくない。
ここにきてガラクティカがと んでもない事を起こそうとしていると帝国軍が気がついた。
各各の顔がひきつり徐に青くなってゆく。
「あ~……あ~……。あれはマズい……。退け……」
「大将閣下、あのような風船エセ聖女の魔法など──」
「退け! 撤退、だ。直ちに」
「……し、しかし──」
「ならお前が指揮せよ。儂は……逃げる」
「──は?」
帝国軍を率いる老齢の大将は、皇帝から賜った采配を中年参謀に投げ渡しそそくさと本陣から奔った。
成行きが分からず受け取った豪奢な采配をしげしげと見て中年参謀は呆然とする。
「……っか……閣下! 参謀閣下!」
「ん、あ? なんだ?」
「どうされますか? 交戦続行ですか? 撤退しますか?」
呆ける参謀を若い参謀補が現に戻した。大将のいない今、指揮は中年参謀に委ねられている。
「ああ……大将閣下は退けと仰られた。撤退だ」
「ハッ! てった~い‼ 散開する各将軍に伝令! 急げ!」
「「「ハッ!」」」
帝国軍中枢もあわただしく撤退に傾いた。参謀補の下命に伝令が応じて戦場へ散っていく。
一方、宙に浮かぶガラクティカは、二の詩を詠い終えようとしている。
ごった返す味方から帝国軍の上にゆらゆらと移ってきていた。
流石に味方を巻き込んではいけないと考えたかも知れない。
ただ追い風が吹いていたのは確かだ。
長く朗朗と詠ったガラクティカは汗ばみまとった窓幕状の薄衣は少し湿っていた。
初夏の風は涼しくも、日は中天に差しかかって肌を焼くような日射しを増している。
(はあぁ……暑い。早く終わらせて水浴びしたい。汗を洗い流さなくては……。
さあ報いを受けるがいい。こぶたのように可愛いあたくしを罵った報いを!)
ガラクティカは、編んでいた指をほどき前へかざすと蓄めていた二魔法を一斉に放った。
肌に浮いた汗が弾けて飛び散る。行き場を得て励起した魔法は彼女を絞りあげ新たな汗を促す。流した汗は薄衣を青く染めた。
放たれた魔法の小塊は散らばり逃げまどう帝国兵達に襲いかかる。
小塊が空中で魔力粒へと拡散して降り注ぐと炸裂し、敵兵の体を吹き飛ばす。
雨あられと降りしきる魔力粒に蹂躙された地上は破裂音と怒号が入り雑じり砂煙を舞いあげ兵達は前後不覚に陥った。
そのしゅう雨の余波は味方の兵達にも被害を与えていた。魔法に敵味方の区別などない。
放たれると分かるや魔法の射線から直ちに離れるべきである。
が、この際は拡散する広域攻撃魔法であったため逃げ遅れてしまった格好だ。
援護魔法と心得ていた兵達には攻撃魔法が放たれるとは予想もしていなかっただろう。
責はガラクティカが負うべき所だ。
(あっ……ちょっとマズいかも……)
まれにしかやらない魔法の二重発動を行ったせいでガラクティカは脱力感に襲われた。
怒りに任せて魔力を絞り上げた結果、魔力欠乏を起こしている。
いかな胆力を持とうとも抗う術はなく、力を失い墜ちてゆくのであった。
◇
「大変だ、サイト! ガラクティカ様が」
「……力を使いはたしたガラクティカ様をお助けしなければ……」
「どうやって? 我らは非力で武装もしていない。輿を運んでいくのも手間な距離だぞ?」
「皆さん、落ち着いて……」
私たち侍姓六名は救出に向かわなければと思うがなんの準備も武装もしていない。
このような事態の対処も考えていなかった。
「そんな事より戦はどうなる? こんなことは始めてだ」
「戦なんて知りません。あなたはガラクティカ様の護衛でしょう、カルス様。
もう一人と一緒に行ってください、ガラクティカ様の許に」
行楽の体で安穏としていたけど大変になった。
なんとかガラクティカ様をお助けしなければ。でも私たちで出来るだろうか……。
天幕では、慌ただしく聖女救出の準備が始まっている。
向かうのは戦場の真っ只中だ。