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作者: 森上 木一

 青に焼けた空は、美しいことの始まりを予感させるには十分だった。

 僕は一直線に落ちていった。

 青く彩られた真夏の海に。


 詩的な文章構成が施された序文には、必ず直後に衝突的な出来事が用意されている、とは私のセオリーだ。

 これは慎重に読み進めることが必要だぞ、と自分に言い聞かせ、再び開きかけた本に目を戻す。


 水面から約五メートルほどの高さから飛び降りた僕は、まだ空中にいた。不思議なもので、“まだ”などと感じてしまうほど、滞空時間を長く感じたのである。

 下から見上げたときはさほど高さを感じなかった岩場は、実際に上ってみると、非常に高かった。日焼けをしていない肌に太陽の光が反射するのが痛い。一瞬躊躇したが、下を見ずに跳んだ。

 瞬間を通り過ぎて、むしろ長い時間が経ったような気がした直後、僕は着水した。いや、しかしそんな流線型の美しさは僕にはない。水上飛行機を夢見たセスナのごとく、僕は大量の水飛沫を上げて、水中では煙を彷彿とさせる気泡が舞った。突然の闖入者に海は大混乱だ、という文章が脳裏を過ぎった。


 物語のスピード感とは、ストーリーの進展具合というより、表現の方法に起因する部分が大きいと思う。いくら物語が停滞していたとしても、真新しい、若しくは一秒を一秒と感じさせない、つまりより精度の高いスローカメラのような描写であれば、それなりに楽しめるものだと思う。逆に進展のみを優先させてしまい、すべての余分を省いてしまった文章では、飽きるし、説明書のように読む気になれない。

 まぁ、判断材料は一冊の本の中に散りばめられていて、なかなか気づくのには時間がかかるのだけれど。


 何メートルくらい沈んだだろうか。きをつけ、の格好で飛び込みそのまま沈んだので、水の抵抗は最小限まで抑えられ大分沈んだと思う。しかしまだ底には着かない。

 浮力を感じてきたところで、仕方がないので僕は頭を下にするために一度腰と足を折り、それを天に向かって思い切り開き、さらに下へ潜る。

 正午過ぎくらいの海中は、太陽の光が水中で屈折し、反射や吸収があちこちで起こり、輝いていたが、それでも奥のほうは暗かった。そして冷たい。気をつけないと犠牲者になるな、と思い、ゾッとした。

 そしてとにかく目を凝らした。海底が見えた。


 時計を気にした。

 少し感じたことを述べると、飛沫を上げた後から、なかなか水面に浮かんでこない。一体何にそこまで時間を掛けるのだろう。

 と、そんなことはさて置き、続きを読まなければ始まらないではないか、と思い私はまた本に目を戻した。


 しばらく海底を探索する。水中に入ってから十秒ほどしか経っていないが、水圧が高いせいか、息苦しくなってきた。もう何度も潜りたくはない、という一心であたりを見回す。海底には白砂が敷かれ、ところどころ岩の突き出した部分がある。岩陰を重点的に覗き、岩に掴まりながら海底を進む。そうしていないと浮かび上がってしまいそうだからだ。


 私は空を見上げ一息吐いた。そして思い切り空気を吸い込み、再び吐いた。

 深呼吸は簡単なリラックス方法としては、かなり効果的な行為だと思う。

 風が気持ちいい。

 さわやかな日だな、と単純に評価した。この後起こることなんてどうでもいいではないか、という気分。思いっきり突き放してみるのも楽しい。

 そんな計画をしつつ、物語を読み進める。


 見つけた。

 模造真珠の指輪は、完璧に海に溶け込んでいた。

 場所は特定できたから一度水面に戻ろうかとも考えたが、一体この茫洋たる海の中何が目印になる、何が約束される、などと思い、結局今とりに行くことにした。

 息を止めていることに疲れてきたので、少し息を吐く。当然吸うことはできない。そのお陰で少しだが沈んでいるのが楽になった。

 しかし、苦しさは紛れなかった。確かに苦しい。

 呼吸のできない海の中。これ、息を吸おうとしたらパニックになるな、などと考えながら水を掻く。そんなことをいかにも冷静そうに考えたこと自体少し平常ではなかったのかもしれない。

 距離を推し測って手を伸ばした。指先が触れた、と思ったら波で体が引き離される。じれったい。そう思ったら今度は逆方向に揺れ、目標物は腕の下まで来た。もう限界だった。

 急いでそれを拾い、思い切り海底を蹴った。

 浮上する、海中から見る水面はステンドグラスのように輝く。報われたいなぁ、と思う。


 私は本を閉じ、立ち上がった。何かの予感がしたのだ。否、何かが予感をさせることなどあるはずもなく、私は私のタイミングで、立ち上がったのだ。

 本の展開はまあまあだった。うまくいけばエキサイティングな結末が待っているかもしれない。

 さて、現実の方はどうかしら、と、私は歩き始めた。この場所からは丁度、ゆらゆら揺れる海面の波も見えるし、少し身を乗り出せば海中も覗ける。反射してくる光が眩しかった。

 私はある一点に気を集中させた。

 魚ではない何かが勢いよく水中を上昇してくる。

 息を呑んだ。

 それは一メートルも離れていない。

 嘘でしょ。

 そう思った瞬間。


 間欠泉のような飛び出し方。

 

 それと同時に腕を振り上げ。


「あれ、なんだ、ここにいたの?」

「最悪、びちょ濡れ」

「ほら、これ、見つけたよ、指輪。これで僕と…」

「ちょうだい。みて、本が台無し」

「あぁ、ごめん…。でも、これで僕と…」


 僕が言い終わる前に、彼女は指輪を持った手を思い切り振りかぶると、投げた。指輪を。

 遠くで小さな飛沫が上がる。指輪は再び海へ帰っていった。

 僕は数分前のやり取りを思い出した。

 絵だけ見るとまったく同じオーバーラップ。

 彼女、僕と何を約束していたんだっけ、などと考え、呆然とする。

「やり直し」彼女はもう背を向けている。

 報われないなぁ。

「何?」声が出ていたのか、彼女が振り返って聞いた。

 青に焼けた空は、見上げた僕の顔を顰めさせるには十分だった。

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― 新着の感想 ―
[一言] カットバックのようにして語られる二つの物語を一つの話に集約していくという構造は、興味深く、面白い。 楽しく読めました。
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