18.生きる為の戦い。
***前回のあらすじ***
熱が下がった俺は、アシュリーに相談をして食材を取る為の狩りに同行をさせて貰った。初めて見る狩りと生き物の処理。俺は命を『頂いている』って意味を、深く考えさせられた。
アシュリーが俺の顔を不思議そうにのぞき込んできた。
……ああ、そうか。これ日本語だもんな。俺は食事を前に手を合わせたまま、アシュリーへ視線を向けた。
この世界でも食事の前の挨拶は一応ある。雰囲気としてはキリスト教に似てる感じ。天から降りて体に染み渡るって意味で、額から腹に、左肩から右肩にと中指と人差し指を揃えて当てていって、最後にもう一度額に触れる。朝は『今日も新たな1日を迎えられたことに感謝』で、夜は『今日も1日生きられた事に感謝』するのが習わしだ。
「俺の住んでた国ではね。飯を食う前に、こう言うんだよ。『いただきます』って」
「イタダキマス?どういう意味?」
肉をぱくつきながら訪ねて来るアシュリーに、俺は視線を綺麗に盛られた鴨に落とす。
「こっちの言葉だと、『レシィパ』、だな。例えば今日の飯のこの鴨肉のローストさ。俺らが取っ手来た鴨にも命があるわけだよな? 俺はその鴨の命を『頂いて』、そうやって誰かの命を頂くことで生きて居られるんだよな。だから、鴨にまず感謝。鴨の命を頂いて、俺の命を繋ぎます、って意味での『いただきます』。この飯は、アシュリーが鴨を狩ってくれたからで、料理人が料理してくれたからで、野菜や果物は誰かが育ててくれたからだよな。だから、作ってくれた人に感謝の意味での『いただきます』。俺の国では、こうやって食材とか作ってくれた人に感謝をしてから飯を頂くんだ」
レシィは貰うみたいなニュアンス。パは丁寧語に付ける言葉だから、多分これで合ってる筈。俺はもう一度、心を込めて手を合わせ、いただきます、と頭を下げた。
俺の周りに居たヤツは、皆喋っていたのを止めて、俺の言葉に聞き入っていた。あー、盛り下げたかな。でも、俺は初めてこの意味に込められたものを理解したところなんだ。今までみたいに何も考えずに出されたものを食うのは出来なくなっていた。食材って物が尊くなった気がする。
アシュリーがフォークを置いて、真顔になると俺を真似て手を合わせた。食いかけの食事に視線を落とし、神妙な顔で口にする。
「イタダ、キマス……。レシィパ」
それから頭を下げた。他の連中も皆そんなアシュリーを習い、食事の手を止め、手を合わせ、レシィパ、と頭を下げる。
「良い習慣だな」
同じようにレシィパと頭を下げ、ふっと笑ったイングの言葉に、俺もうん、と頷いた。俺が普段何気なく使っていた言葉。その言葉には、どんな意味が込められていたのかな。勿体ない事をした。向こうに居る時に、もっとその意味に気づいてその意味を噛みしめて言葉を口にしたかった。日本語って凄く良い言葉だったのかもしれない。
中二病的な言葉じゃなくても、例えばいただきますって言葉1つでも、凄い沢山の意味が込められていた様に。ただの自己満足なんだろうけど、言葉の意味をきちんと理解していたら、俺はもっと色んなものを大事に出来ていたのかもしれない。それとも、こういう世界に来れた事で気づけたのかも。それなら、俺が此処に落ちて来れたのは、神様とやらの思し召しだったのかもしれないな。俺にとっては凄く価値がある事だ。チートじゃなくてがっかりしたけれど、寧ろモブで何も出来ないチキンな俺のままで良かったのかもしれない。
「何となく、だけど。俺の世界ではさ。異世界に転生しちゃうだったり、異世界に転移しちゃうって物語が結構人気あってね。人生の負け組みたいなヤツだったり、事故って死んだりして、異世界に行ってさ。すげーチートな能力を身に着けて名を上げるみたいな話が王道なんだよね。最初は俺もスゲー力手に入れてるんじゃないかって期待もしてたんだけど、今は俺、駄目なままで良かったって思ってるよ。皆には迷惑掛けてると思うけど」
「ふーん。けど、俺は凄くないユウヤの方が良いな」
アシュリーが食事を再開しながら、ぽつりと言う。俺も食事に手を付けた。
「俺は、今のユウヤの方が良い。凄くないから、お前頑張ってんだろ? 俺はみっともなく落ち込んだり泣いたりしてヒィヒィ言いながらじたばた生きてるお前の方が良いな」
「……なぁ? それ褒めてる? 貶してる?」
「褒めてんだよ」
アシュリーがけらりと笑うから、俺も釣られて笑ってしまった。うん。そうだ。俺はこのままの俺で良かった。何となく、少し気持ちが楽になったかも。チートじゃない俺だから気づけることがある。それに、スゲー俺なんて想像できないわ。
「迷惑を掛けずに生きている何て豪語するやつが居たら、俺ならはっ倒してやるけどな。生きる上では皆、誰かに迷惑掛けているもんだよ。誰かの手を借りながら生きていくんだ」
イングがにかっと笑って言った。迷惑を掛けた分、俺も何かで返して行ければ良い。
***
「ユウヤ。そろそろ自分で仕留めてみるか?」
クロードの言葉に、俺は息を飲んだ。あれから俺は、狩りがあると聞けば、それに同行させて貰うようにしていた。俺が狩りに同行するのはこれで4回目だ。視線をアシュリーに向けると、アシュリーも俺を見て頷いてくれた。やってみろ、と言う様に。俺はゆっくり頷いた。
「やります…」
俺がそう答えると、クロードも頷いた。鴨はしきりにこちらを警戒している様だった。暫く葦の茂みに身を隠してから一旦離れ、少ししてまた戻ってくる。
こうすると鴨が油断をするのだとクロードが教えてくれた。これは鴨との駆け引きだ。凄いバトルじゃないけれど、これも戦いだ。戻って少しの間はこちらを警戒していた鴨の警戒が緩む。
呼吸を整えてから、スリングを構える。もう、俺の手は震えなかった。生きるって事は、命の奪い合いなんだ。ただ、カットされた肉を料理して食うだけじゃない。本来の、食べる為の、生きる為の戦いだ。心臓がバクバクと音を立てる。俺は静かに深呼吸を繰り返した。練習は沢山した。やれる。
俺はゆっくり、スリングのゴムを引き絞る。弾は鋭く研いだ石だ。ギリギリまで引き絞る。罪悪感だとか、命を奪う事への恐怖とかで、胃がギュっと引き絞られるみたいだ。指を離せば、俺は初めて自分の意思で命を狩るんだ。自分の中の何かを断ち切る様に俺はスリングのゴムから指を解いた。呆気ない程に指は簡単に離れた。
パンっと音がして石の弾が飛んでいく。スリングの弾は一瞬で鴨の腹に当たった。一斉に鴨がガァガァとわめきたて、空へと飛び立つ。俺の弾が当たった鴨は、バサバサと翼を羽ばたかせもがいていた。俺の隣でヒュパンっと音がして、アシュリーの放った矢が鴨の首の付け根に命中した。鴨は一度翼を大きく広げて静止し、ゆっくりと水の中に落ちた。水しぶきが上がる。一拍後、ぷかりと鴨の身体が沼に浮かんだ。俺は大きく息を吐きだした。当たって嬉しいような、命を奪ったことが怖いような、色んな感情が渦を巻く。また1つ、俺の中で何かが変わった気がした。
パン、と俺の背中をアシュリーが叩いて鴨の許へ駆けだしていく。
俺も額に浮かんだ汗を拭い、アシュリーの後を追って駆け出した。
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