16.命は決して軽くなんて無いんだ。
***前回のあらすじ***
俺とアシュリーは捕らえられた。何とか牢から脱出することが出来たが、直ぐに見つかってしまう。アシュリーが殺されそうになるのを見た俺は、見張りの男を刺してしまった。
屋敷の外には、革製の甲冑を着た男たちが、屋敷に居た連中を縛り上げていた。自警団らしい。俺は頭から毛布をすっぽりと被されて、イングの後ろを歩いた。顔が上げられない。俺の身体は血まみれで、周りの眼が、ものすごく怖い。身体の震えが、止まらない。俺は屋敷の前に待っていた馬車に乗せられた。後でギルドに自警団が事情聴取に来るらしい。
──ああ、疲れた。頭ががんがんする。何も考えたくない。凄ぇ眠い──。
***
──男の、無機質な目が、俺を見る。ゆぅらりと黒い影が揺れる。伸びて来る腕。顔にばたばたと落ちて来る真っ赤な血。生臭い男の息。血まみれの男の手が、俺の肩を掴む。男の顔が近づいてくる。地の底から響く様な、ぞっとするような冷たい声。
ひ と ご ろ し ──
「ぅわあああぁぁぁぁ────ッ!!」
俺は悲鳴を上げて飛び起きた。嫌な汗が流れて、服がべったりと張り付いて気持ちが悪い。呼吸が、荒い。手の震えは、止まらない。奥歯がガチガチと音を立てる。
あれから、ギルドに戻った俺は、水で全身の血を洗い流した。ビアンカが湯を用意してくれていたけれど、俺は風呂に入る気分にはどうしてもなれなかった。だから、洗い場の冷たい水で体を洗った。流しても流しても、いつまでも血がこびり付いている気がする。生暖かい感触が消えない。手に残る感触が消えない。眠くて仕方が無くて、何度も眠りに落ちるのに、悪夢ばかり見て数分置きに飛び起きる。眠い。眠いのに、寝るのが怖い。繰り返し繰り返し、あの場面だけが脳内に何度も蘇り、その度に経験した事の無い程の恐怖が襲って来る。頭がおかしくなりそうだ。
俺の悲鳴を聞いてアシュリーが駆け寄ってきた。
…もしかして、ずっと付いていてくれたんだろうか。アシュリー達にとっては、こういうのも日常なんだろうに。情けないって思ってるかな。だけど、今は俺、言えそうもないよ。情けないって言えそうにない。俺は、こんなの慣れたくない。情けないのかもしれないけど、慣れたくない。怖いけど、苦しいけど、きっとこの感覚は忘れちゃいけないものなんだ。
向こうの世界に居た頃は、いつ死んでも別に良いやと思った事も、1度や2度じゃない。死にたいと思ったわけじゃないが、生きてても別に意味無いって思ってた。どうしようも無いヤツは死ねばいいと思った事もある。だけど、違う。違ってた。アシュリーを殺そうとしたヤツの命だって、こんなにも重い。手に掛けて、初めてその重みを実感した。簡単に死んで良いで済む重さじゃ、無かった。俺はきっと一生、この重さに苛まれる事になるんだ。
「……わり、ちょっと夢見ただけ」
上手く笑えない。何とか笑みに見えると良い。アシュリーは心配そうに俺を覗きこんで、少しほっとしたように笑みを浮かべた。椅子を引っ張って来て俺の傍に座る。
「お前ずっと魘されてたもんな」
アシュリーの手が伸びて、俺の額に触れる。ひんやりとして気持ちが良い。
「……まだ熱高いな」
起き上がった拍子に落ちたらしい。布団の上に転がっていた布をアシュリーが拾い上げ、傍に置いてあった洗面器の水に浸して冷やしてから俺にもう少し寝とけと言った。俺が横になると、冷たい布が額に置かれる。俺はほっと息を吐いた。
「なんか、ごめんな。心配ばっか掛けてさ。格好悪いよなぁ」
「そんな事ないよ」
目元まで覆う様に冷たい布が置かれて、その上からアシュリーの手が乗る。アシュリーの声だけが聞こえる。
「お前居なかったら俺殺されてたんだよな。……ありがと。ユウヤ」
「アシュリーが死ぬかもって思ったら、怖くて……体が勝手に動いただけだ」
──そうだ。今までびびって動けないで居た俺が、あの時は気づいたら体が動いていた。俺の手は血濡れてしまったけれど、それでもアシュリーは、助けることが出来たんだ。いつまでもこのままで居るわけにいかない。しっかり、しないと。俺にはもう、帰る場所なんて無いんだから。例え帰れることになったとしても、俺はもう、あの世界には帰れない。俺がした事は、この先一生消えることは無いんだ。誰が許しても、俺が俺を許せない。覚悟を決めるしか、道は無い。
「アシュリーも休んでないんだろ? 俺また少し眠るから、お前も休んで来いよ」
俺は額に置かれた手を取って、少しだけ布を持ち上げて笑って見せた。今度は多分、上手く笑えたと思う。
「ん。また後で顔見に来るよ」
アシュリーが静かに立ち上がった。俺はうん、と頷いて返す。アシュリーの背中が、扉の向こうに消えるのを、俺はぼんやりと見送った。
***
俺の熱は中々引かなかった。悪夢の回数は少し減ったかもしれない。そろそろあの日から一週間が経った頃、何度目かの悪夢に俺が飛び起きると、丁度イングがトレイを持って部屋を訪ねて来た所だった。俺はばくばくと騒ぐ胸を押さえ、額から落ちた布で汗を拭った。
「よぉ。具合はどうだ?」
「ん、ちょっとマシになってきたかも」
嘘だけど。俺は座り直してからへらりと笑って見せる。イングが持ってきたのはトウモロコシを潰して炒ってからヤクのミルクで煮込んだお粥っぽい食い物だった。少し塩気が強くて、これなら何とか食えそうだ。
俺は礼を言ってお粥を受け取ると、少しずつ口に運んだ。じんわりと喉から胃に掛けて温まっていく。
「勝手なことをと怒らなくちゃいけないんだが……。良く、やったな」
イングの大きな手が、くしゃりと俺の頭を撫でた。暖かくて、色んなものを背負ってる手だと思った。
「……イングも、人を殺した事、あるんだよな」
イングも、こんな気持ちになったんだろうか。初めて人を屠った時は。
「……ああ。今でも慣れることは無いけどな」
イングの言葉に、俺は何処かほっとした。人を殺しても何とも思わなくなる。それは物凄く怖い事に思えた。
「良いか、ユウヤ。その恐怖は忘れるなよ。この先何人殺すことになってもだ。怖いと思える事は、大事な事なんだよ」
俺は、イングの言葉を全身全霊で受け止める。これは、とても大事な事だ。一言一句忘れちゃいけない事だ。俺の中に刻み付けなきゃいけない事だ。
「人に限らず、生きるって事は何かの命の上に成り立ってるんだよ。でもな。時々、命の価値を忘れちまうやつが居る。その価値を忘れたヤツは狂っちまう。殺すことに快楽を覚える様になる。そうなったらそれはもう人じゃねぇ。バケモノだ」
イングは、そういうやつを見て来たのかな。それはとても、悲しい事だ。とてもとても、悲しい事だ。
「──だから、な。ユウヤ。命の重さを忘れるな。格好悪くて良い。情けなくて良い。死を恐れろ。その怖さを忘れるな。目を背けるな。受け止めて、前に進め」
イングの言葉は、俺の中にじんわりと、染み込んでいった。
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