15.無双したいなんて、二度と言えない。
***前回のあらすじ***
アシュリーと俺は街に買い出しに出かけ、そこで女の子が浚われる場面に遭遇してしまった。浚った馬車を追いかけてとある商人の屋敷へたどり着いたが、不意に誰かの一撃を受け、俺は意識を失ってしまった。
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残酷な描写があります。痛いのが苦手な人は飛ばして下さい。閲覧注意。
「──ヤ。ユウヤ……っ!」
身体が揺すられ、俺は意識を取り戻した。途端に頭が石で殴られた様にズキーンっとと痛んで、俺は思わず唸ってしまった。のろりと顔を上げると額から何か流れて来る。気持ち悪い。手で拭ったらぬるりとした。殴られた際に切れたらしい。
「……大丈夫か?」
心配そうにのぞき込んでくるアシュリーの顔。あたりは薄暗い。カーテンを閉め切った部屋くらい。
「頭痛ぇ……。アシュリー、お前は?」
「俺は大丈夫」
俺はズッキンズッキン痛む頭を押さえ、周囲を見渡した。石垣の様な壁。地面は土だった。ガランとした箱の様な部屋の中だった。顔が覗くくらいの位置に鉄格子の嵌った窓みたいなのがあって、そこから光が差し込んでいた。反対側は鉄格子。明らかに牢屋だ。牢の向こうに階段があるらしい。牢の中には何もない。耳を澄ませてみたが、物音はしなかった。
「捕まったのか」
「まぁね」
アシュリーがふて腐れた様に言う。俺が無事なのを見て安心したのか、アシュリーはそのまま地べたに足を投げ出して座った。俺は立ち上がり、明り取りらしい窓の方へと近づいてみる。窓の向こうはすぐ傍に地面があった。半地下くらいの位置らしい。
遠くに見張りらしい男の姿が見えた。俺は鉄格子に顔を張り付ける様にして鉄格子の向こうを伺う。傍に人影は無し。
……お。手の届く処に結構太い木の枝が落ちていた。伸ばせばギリギリで枝の先が掴めそうだった。俺は柵に張り付いて、必死に手を伸ばす。葉っぱに手が届いた。引き寄せたら葉っぱだけが取れた。もう一回。
「……ユウヤ? 何やってんの?」
「ん──っ」
今度は枝の感触。そのままじりじりと手繰り寄せる。少しずつ、ずるずると枝がこっちに引き寄せられた。細い枝を伝い、太い枝の部分が掴めれば、そのまま手元に引き寄せて邪魔な細い枝を毟り取る。
気になったのか、アシュリーが近づいて来た。
「よし、取れた」
「──枝?」
「案外こういう状況だと冷静になれるのな」
緊張はしている。怖いとも思ってる。だけど、刃物を持ったやつが傍に居るわけじゃないと、意外と俺は冷静になれた。この世界の金属は結構高価だ。だから混ざりものが多い。この牢は湿気も多い。何年も放置していたらしい錆が浮いた格子。俺はこれを見た瞬間に、お袋の持っていたマンガの中の一コマを思い出した。小学校の頃にそのマンガを読んで、妹と実験をしてしこたまお袋に怒られたから覚えて居た。俺は徐に着ていたシャツを脱ぐ。アシュリーが怪訝そうな顔をした。
シャツを俺はくるくると捩じってロープみたいにする。それを小窓じゃない、俺たちを閉じ込める為の格子の中から一番脆そうな場所を選び、2本の向こうに通して手前で結ぶ。結んだシャツの内側に取った木の枝を通して、木の枝をくるくると回し始めた。
タイトルは忘れてしまったけれど、お袋の持っていたその少女漫画の中に、捕らわれた主人公の女の子が、こうやって鉄格子を折るシーンが出て来てたんだ。本当にそれで鉄格子を折れるのか家の柵で実験した事がある。折る前にお袋にバレてしこたま怒られた訳だが、そのお陰で覚えて居た。シャツは雑巾の様に絞られて格子がミシミシと音を立て始めた。アシュリーが固唾を飲んで見守っている。めちゃくちゃ硬いが、俺は慎重に木の枝を回し、布を絞っていく。やがて、グシャっと言う様な音がして、錆びた部分が砕けて折れた。
やった!
俺とアシュリーは顔を見合わせた。歪んだ格子を少しずつ手で押して広げていく。支えが無くなった格子は、全力で押せば何とか歪んで、通れるくらいの隙間をあけることが出来た。
そのまま脱出をと思ったが、俺は牢の端にぽつんと置かれていた机に気が付くとそっちへと駆け寄った。
「ユウヤ、何してんだ」
小声でアシュリーが階段の上とこっちを交互に見ている。俺は急いで机を調べた。スリングとナイフが無い。此処に入れられる前に取られたんだと思う。運が良ければ此処にないかな。
引き出しが付いていたから開けてみると、ビンゴ! 俺は急いでスリングとナイフをズボンに挟んでアシュリーの所へと戻った。
アシュリーはじっと階段の上を伺っている。俺もそっとのぞき込んだ。上が明るい所を見ると、扉は付いていないのかもしれない。
アシュリーが俺を見て頷いた。俺も頷き返す。『行くぞ』、だ。足音を忍ばせ、そろそろと階段を上がる。心臓の音が煩い。見つかったら殺されるかもしれない。怖い。唾を飲む音がやけに大きく響く。堪えようとしても喉が鳴ってしまう。
アシュリーがそっと階段から向こうを覗きこもうとした時だった。アシュリーに向かって毛深いぶっとい腕が伸びた。はっとした俺は半ば無意識に体が動いた。驚いたアシュリーが身を引き、俺は伸びて来た腕に飛びついた。
「アシュリー、逃げろぉッ!!」
「ユウヤッ!」
がしっと俺の髪が掴まれる。頭の皮が全部剥がれそうだ。俺は必死に男の腕を抱え込み、その腕に思いっきり噛みついた。男の野太い悲鳴が上がり、俺はぶんっと思いっきり体が振られる。俺は上下左右にぶんぶんと振られてバランスが取れなくて男の腕にしがみ付いた。必死にしがみ付いたが、堪えきれずに離れてしまう。そのまま俺は地面に叩きつけられ、蹴り飛ばされて上だか下だか判らなくなる。多分派手に転がったんだろう。背中から壁に叩きつけられ、息が出来ない。口の中に血の味が広がった。全身が痛い。何度も咳込んだ。やけに、騒がしい。少し先で怒鳴り声が幾つも聞こえる。頭がぼわんぼわんして、目がちかちかした。
「このガキぃッ!!」
すぐ傍で聞こえた男の怒鳴り声に、俺は はっと顔を上げる。2mくらいありそうな大男が、アシュリーを持ち上げていた。
細い、その首を、掴んで。
アシュリーの顔が苦し気に歪む。呼吸を求めて口が大きく開けられ、ばたばたと足をばたつかせ、必死に首を押さえる男の手を引きはがそうとしていた。アシュリーの顔が、紫色になっていく。
──やめ、ろ……
血の気が引いた。手が、震える。
──やめろ……やめろよ……何するつもりだよ……
アシュリーの眼が、虚ろになる。口から涎が伝い、暴れていた足が力を無くし、痙攣する。
──ころ、される。 殺される……? アシュリー… アシュリーが…
俺の、指に、何かが、触れた。
アシュリーの眼が、ゆらり、と俺に向けられた。その口が、縋る様に、小さく俺の名を呼んだ。助けて、と言う様に、アシュリーの手が俺に伸びる。ぶつん、と俺の中の何かが壊れる音がした。
「やめ…ろおおおぉおぉおおおおおおッッ!!!」
俺は触れたそれをぎゅっと握ってがむしゃらに突っ込んだ。男の身体にどんっと当たる。手にしたそれを付きだして。物凄くぞっとする感触だった。俺の全身が総毛立つ。男の口から恐ろしい程の声量の悲鳴が上がる。これは、断末魔の悲鳴だろうか。ぞっとなって腕を引くと、ずるりと何かが抜ける感触がして、シャワーの様に俺の全身に生暖かい液体が降り注いだ。男の血走った眼が俺を見た。男の丸太の様な腕が俺の方に、スローモーションの様に伸びて来る。──怖い。怖い、怖い、怖い、怖い、怖い!俺は握ったそれを思いっきり振りかぶった。
俺は狂いかけていたのかもしれない。自分が何をしたのか、判らない。俺は涙が溢れて来た。何で泣いているのかもわからなかった。ただ、叫びながら男から逃れたくて、喉から自分のものじゃないような裏返った声が迸って、何が何だか分からなくなった。どん、っと背中に衝撃を受け、俺はビクっとなる。ヒィっと悲鳴が喉から洩れる。振り払うように振り返り、手にしたそれを振り上げた。
「ユウヤ……っ」
俺を泣きだしそうな、必死な形相で見上げるアシュリーの顔があった。首にはくっきりと指の痕が残っている。
……アシュ、リー……。
アシュリーは俺にぎゅっと抱きついた。俺は肩から力が抜ける。
「ユウヤ、もういい! もう良いからっ!」
悲鳴の様なアシュリーの声が、妙に遠くで聞こえた。
誰かの手が、伸びて来て俺が握っていたものから、俺の指を一本一本外していった。誰だろう。黒い、腕。俺は腕を辿り、俺の手から『それ』──真っ赤に染まったナイフを取った主の顔へと視線を向ける。
──ああ、イングだ。気づけば、周りは酷く騒がしかった。暴れる男たちを、ギルドの皆が取り押さえているのが見えた。
イングが、俺の肩に手を置いた。優しい、深い眼差しだった。青い目が、自棄に綺麗だった。ひぐ、っと俺の喉から引きつった様な声が出る。大げさな程、身体がガクガクと震えた。怖くて怖くて堪らなかった。何より自分が怖かった。ぶるぶると震える手を、アシュリーの背中に回す。アシュリーの小さな体を、思いっきり抱きしめた。
壊れた様に、俺はアシュリーの名前を呼んだ。アシュリーの身体が暖かくて、ぎゅっと抱き返してくる腕の力に、生きていてほっとしたのか、それとも怖くて気が緩んだのか、自分のした事が怖いのか、自分でも、判らない。
ただ、子供の様に、アシュリーに縋りついて、思いっきり抱きしめて、そうして、大声を上げて、泣いた。
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