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幸せを呼ぶコイン

作者: Aoi

その夜、僕は吉祥寺にある沖縄居酒屋にいた。


「かんぱーい!」


三つのグラスが軽やかに弾き合うと、三人それぞれが一気に飲み始めていった。


「はぁ~、うまい!」


「やっぱりオリオンビールは最高だね!」


オリオンビールは最高らしい。

アルコール全般が苦手な僕は、相変わらずグレープフルーツジュースでスタートしていた。

ソフトドリンクの種類って、もっとどうにかならないものかな。


「進、こちらが前に話した麻里亜さん。麻里亜さん、こちらが写真スクールで一緒のクラスの進くん」


「はじめまして、進くん。よろしくね」


「進です。恐らくですが、いつもノディがご迷惑をお掛けしてます。本当すみません」


友人のノディからの紹介を受け、僕も簡単な挨拶をした。


「いえいえ」


麻里亜さんがにっこりと笑って答えた。

なるほど、ノディが夢中になるわけだ。

素敵な笑顔だった。




話は二週間前に遡る。


「進、ちょっといい?」


写真スクールの終わりにノディに話しかけられた。

もちろんノディはあだ名で、本名は野田という。

初対面のときにそう呼んでくれと言われたので、たぶん他のひとにもそういう風に自己紹介しているのだろう。


「今好きな人がいるんだけどさ……」


「え、うん」


またこの系統の悩み相談かな、と思ったが今回は少し違っていた。


「今度飲みデートすることになったから、一緒についてきてくれない?」


「え、なんで!?」


「俺さぁ、いつもお酒に飲まれてやり過ぎちゃうんだよねぇ。だから余計なことしないように見張っててほしいんだよ。ついでにこの恋がうまくいくようにフォローしてくれない? もちろん奢るから」


「うーん……」


いい大人が照れ笑いしながら年下の僕に何を言っているんだと思ったが、僕はそのお誘いを受けることにした。

何はともあれ、友だちの誘いは断らない主義だ。


「分かった、いいよ。フォローは置いといて、ノディの暴走は止めるよ」


といった感じで、ある男女の飲みデートに余計なおまけがついていく形になった。




「今日は俺が出すから、好きなだけ頼んでよ」


「ありがとう」


ご機嫌なノディに対して、麻里亜さんは特に悪い雰囲気でもなさそうだ。

まずは好調な滑り出しだろう。


「進はなかなか良い写真を撮るんだよ。特に風景。日常の風景から絶景まで、鮮やかな色使いとか光の取り入れ方とか、すごいうまいんだよ」


「へぇ、そうなんだー。今度見てみたいな。私も綺麗な景色は大好き」


「あ、ありがとうございます。本当は人物写真を撮りたいんですけれど、なかなか人を撮れる機会がなくって」


急に褒められてしまい、僕はたじろいでしまった。

一応ノディは僕にも気を遣ってくれていたようだ。


「人なんてピンと来たときにバシャバシャ撮っちゃえばいいんだよ。いちいち気にしてたら、素晴らしい写真ってのは永遠に撮れないんだから」


「いや、それ盗撮になるから!」


それにいったん断ってから撮ると、こちらの理想とする自然体は失われてしまう……シャッターチャンスのジレンマ。


「ハハハ、写真も大変みたいだねー」


「でも面白いんだよ、写真。今度麻里亜ちゃんも撮らせてくれない?」


あれ、今のはノディの暴走か?


「えー、どうしようかな。ちょっと考えとくね」


麻里亜さんが笑ってかわしたのを見て、僕はほっとした。


「それで二人はプロのカメラマンとか目指してるの?」


そしてすぐに話題転換。ナイス麻里亜さん、と思った。


「いえ、僕はあくまで趣味です。いつからか写真が好きで、しっかり勉強してみたくなったんです」


「俺も一番はアウトドアだから、そのついでに写真も勉強しとこうかなって、そんな感じ」


「ふーん、でも楽しそうでいいね」


「麻里亜さんは何か好きなこととかあるんですか?」


今度は僕から質問をしてみた。


「うーん、そうね。やっぱり旅行とかかな」


「おお、いいですね。僕も大好きです、旅行。どんなところ行くんですか?」


共通点を見つけて嬉しくなった自分がいた。

でもあくまで僕はおまけの存在だ。


「そうね、アジア方面が多いかな。美容とかグルメとか」


「アジアいいよね! 俺も韓国とか行ったよ! 韓国料理美味しかった~」


「そうそう、韓国もいいよね」


ノディもうまく会話に乗ってきてくれた。

良かった、と思った。

同時に僕は二人への適当な距離感をつかめた感じがした。

入り込み過ぎず、離れ過ぎず、この場を楽しみ楽しんでもらう。

要はノディが困らせるようなことをしなければいいんだから。


それからも僕たちは、沖縄料理やお酒を楽しみながら、笑って楽しい時間を過ごした。




「ちょっとトイレ行ってきまーす」


ふと、ノディが若干ふらふらと席を立った。

一応目の端でノディを見送ったあとで、僕は麻里亜さんに話しかけてみることにした。


「麻里亜さんは優しいですね」


「え、どうして?」


「だってノディ、面倒くさいでしょ。お酒が入ると特に」


「ハハハ、そうだね。確かに面倒くさいかも」


麻里亜さんが笑って言った。


「でも楽しそうだったから。なんとなく」


「それで、ちゃんと今楽しいですか?」


「もちろん。すごく楽しんでるよ。君はどう? 楽しめてる?」


「そうですね、そう言われてみたら楽しいです」


二人で笑った。




そういった感じで、この飲み会も終わる時間になった。


「ご馳走様でした」


「ノディ、ご馳走様」


「いやいや、今日はすっごい楽しかったから無問題モーマンタイだよ! はっはっは!」


酔ってるな、と僕と麻里亜さんは苦笑いした。

楽しい時間を過ごしてお互いに打ち解けられた僕たちの間には、変な種類の緊張もすっかり影を潜めていた。

少なくとも僕にとっては。




三人揃って吉祥寺駅に着いたときだった。


「それじゃあ麻里亜ちゃん、駅まで一緒に乗って送っていくよ!」


ノディが言った瞬間、「始まった、これだ」と思った。


「はは、大丈夫だよ。ちゃんと一人でも帰れるから。ノディこそ早く帰った方がいいよ」


麻里亜さんは笑顔を崩さず、丁重に断った。

流石だ。

が、ノディはどうしても送ってあげたかったみたいだった。

これが暴走だ。


「ノディ、それ以上言うと麻里亜さんが困ってしまうから、その辺にして僕たちは僕たちで帰ろう」


と僕は言ったのだが、ノディには真意は伝わらなかったようだった。


「何言ってるの! こんな夜遅くにレディを一人で帰せないでしょ! 大丈夫大丈夫、俺が安全に送り届けてあげるから、ね。最後は俺に任せて!」


駄目だ、しっかり止めなきゃ。


「ノディ! ここからは完全に暴走だよ、大人として遠慮して! ほら」


僕はノディの腕を掴み、ノディだけに聞こえるように囁いた。


「大丈夫だよ! 最後ぐらい紳士なところを見せないと!」


もはやノディを止められそうになかった。

そのとき彼女はちょっと諦めたような、そんな笑みをしていたように見えた。


「まだ電車来るまで時間あるから、飲み物買ってくるよ! ここにいてね」


ノディが少し先の売店に向かっていった。


「すみません、麻里亜さん。ノディ止められなくて。でも今のうちです。ホームの前の方に行ってください。そうすればあの人も今日は諦めるでしょうから」


と、僕は提案した。


「ありがとう。でもちょっと待って。きみに一つプレゼントをしようと思ったんだ」


そう言うと彼女は自分の財布から一枚のコインを取り出し、僕に手渡した。


「幸せを呼ぶコイン。きみにあげるよ」


そう言って彼女はにっこりと笑った。

インドの5ルピーのコインだった。


「え、ありがとう、ございます」


僕は少し戸惑いながらお礼を告げた。


「でもどうして……」


と、僕が言いかけたとき


「お待たせ~」


ノディが戻ってきてしまった。


「お茶でよかったよね?」


「うん、ありがと」


そうこうしている間に電車がホームに到着した。


「それでは送らせて頂きます!」


ノディの言い方から、しっかり出来上がってるな、と僕は思った。


「麻里亜さん、大丈夫ですか?」


「うん、大丈夫でしょ。進くん、今日は色々とありがとね。楽しかったよ」


「いえ、こちらこそ楽しかったです。帰り道気を付けてくださいね」


「ふふ、ありがと」


その瞬間、振り返り微笑んだ彼女の姿が僕の心を震わせた。

綺麗だ、と思った。

そしてこういう瞬間こそ写真で切り取るべきなのに、大抵の場合素敵な瞬間というものは目の前を一瞬で通り過ぎていってしまうのだ。

まるで光が瞬いたかのように。


「さよなら」


別れの言葉を告げ、彼女たちを乗せた電車は出発した。

素敵なひとだったな。

見送ったまま一人立っていた僕の頬に触れる風が心地よかった。

そうして、僕は逆方面のホームへと移動して家路についた。



帰り道、ふいに携帯電話が震えた。

ノディからメールが来ていた。


[ 無事に駅まで送り届けてきました! ススムも今日はありがとう! 今日はどうだった? 俺やり過ぎてないよね!? ]


こんな内容だった。


[ 最後の送った件はやり過ぎです! でもその他は良かったんじゃないかな。麻里亜さんもすごく楽しそうだったし。 ]


これから二人の関係が深まるかは別にして……。

でも、楽しかった。

それだけでもいいじゃないか。

そうやって、今日のイベントが全て済んでいった。

お疲れさま。

心の中で呟いた。




それから数年後、僕は自分の勉強机の前で思考を巡らせていた。

久しぶりに開けた机の引き出しには、色々な小物に混ざり一枚のコインがあった。

いつかもらった『幸せを呼ぶコイン』だった。

イギリスのシックスペンスコインでもなく、デンマークのクローネコインでもなく、この掌にあるインドの5ルピー硬貨が、どういった経緯で、どんな理由で『幸せを呼ぶコイン』と呼ばれていたのか、今になって気になってしまった。

が、全く想像もつかなかった。

この銀色のありきたりなコインが、今まで誰かに幸せをもたらしたのだろうか。


いや、それよりも僕は『幸せを呼ぶコイン』をプレゼントされたということについても考えていた。

ただのおまけでついていっただけの自分に、わざわざこんなポジティブな贈り物をくれた理由はなんだろう、と考えずにはいられなかった。

あのときの彼女の優しさであることに間違いはないのだろうけれど……。




かつて旅先のインドで、……それも初めてのインドで、彼女は今までの人生で感じたことのないほどの刺激的かつ開放的なとても濃密な時間を過ごした。

街や人々の匂い、太陽の光の当たり方、その土地で触れた歴史、その国特有の空気感は彼女を優しく包み込んだ。

その素敵な経験は彼女の五感を刺激し、感受性を育み、その後の彼女自身の人間性に強く影響した。

それほどの素晴らしい旅となったわけだ。

その旅の最後に、彼女はあるトラブルに遭う。

天候の不順で帰りのフライトが欠航となってしまったのだ。

航空会社により翌日の同じ便と空港近くのホテルをアテンドされるが、予定が大きく崩れ途方に暮れていた。

そのとき、彼女はホテル近くのカフェで現地の男性ウェイターと会う。

お互いにつたない英語で言葉を交わした。


「何かありましたか?」


「フライトが明日に伸びてしまったんです」


「それはラッキーですね! もう一日、旅を楽しんでください」


会計を済ませたとき、彼はとびきりの笑顔でお釣りの5ルピーを彼女に優しく手渡した。


「良い旅を!」


「ありがとう」


その5ルピーのコインはなぜか手の中で温かく感じられ、旅の終わりの心地よい余韻を彼女に残してくれた。

あの笑顔の中でコインとともに幸せを受け取ったのだ。




それとも、こういうのはどうだろうか。


彼女にはかつて結婚を心に決めた相手がいた。

どんなに些細なことでも大事なことに思える素直な男性だった。

彼女も彼のそんなところが気に入っていた。

そんな彼が仕事で長期出張した帰り、彼女に最後に渡したお土産がインドの5ルピーコインだった。


「俺、いつも財布にお守りとして五円玉入れてるんだけどさ、今回のインド出張でも向こうのコインをお守り代わりに持ってたんだよ。そしたらさ、仕事も予定より順調に進んで大成功したし、行くレストランも全部当たり、会った人も皆笑顔で接してくれたよ。すごいよね。絶対このコインの効果だったんだよ。だから、この幸せを呼ぶコインを大切なきみに捧げることにしよう」


いたずらに笑って渡してくれたそのお土産を、彼女も財布に入れてお守りにすることにした。

それだけでもじゅうぶん幸せな気持ちになれた。


しかし、その後お別れは突然やってくる。

どんなに好きな相手同士でも、思いがけず別れが訪れることもある。

価値観の相違とか、将来性の違いとか色々な理由で。


時間が彼女を平穏な日常に戻し、そろそろ前に向かって進まなきゃ、と彼女は思った。

そのとき財布の中のインドコインも手放す必要があると考えた。

それには幸せの効果があるのかもしれないけれど、私には過去の幸せばかりが甦る。

また別の誰かに幸せを引き継いでもらおう。

そう、これはペイフォワードだ。

彼女は過去との決別を、前向きな気持ちで胸に誓った。




とにかく、その数週間後吉祥寺の居酒屋で思いがけず出会った年下の男性=僕に、せめてもの感謝の気持ちとして手渡すことにした。

何となく参加したただの飲みの席で、少なくとも自分に気遣って立ち回ってくれたのだと思って。

笑顔で、


「次はあなたが幸せになってください」


と。



このコインには彼女しか知らない秘密があるのだろうけれど、それがわかる術はもうない。

きっと広い野原に人知れず植えられた花の種のような、そんなあたたかい秘密があるに違いない。



「幸せを呼ぶコイン」


そう呟き、コインを擦りながら僕は思う。

人生において、出会いの多くはすれ違いだ。

何かの縁で出会えたことには間違いないが、繋がる関係があるのと同時にそのまま通り過ぎていく関係も数多く存在する。

ただ、一つの小さな縁が一つの形として残ることもある。

例えすれ違ってしまった縁だとしても、その事実を確かめられるということはいくぶんか素敵だ、と僕はそう思った。




終わり


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