カイル
僕が彼女と初めて出会ったのは、小学5年生に上がる新学期の朝だった。それまでも彼女の顔を見かけた事はあった。同じ学校の同じ学年だし、スクールバスも乗り場は違ったけれど同じBバスだったから。けれど、Bバスは幼稚園から小学5年生までがギュウギュウのすし詰め状態で乗っていたし、彼女とは同じクラスになった事が無かったので一度も口をきいた事はなかった。同じバスでも僕と親友のケンは一つ前のバス停から乗って来る同じ学年のマイケル、ジェイ、デイブと大騒ぎしながら乗って行く。彼女は彼女の親友のマギーと乗って行く。折角彼女が僕の家の近所に引っ越して来て同じバス停になったというのに、彼女とは結局一度も口をきくことなく僕達は小学校を卒業した。
6年生になった!いよいよ中学生だ。アメリカは学校によって年数が違うけど、僕の通う学校は5・3・4年教育のため、6年生からは中学校に通う。中学は小学校とはガラリと変わる大人の世界だ。まずクラスが無い。担任もいない。それぞれのカリキュラムに沿って担当の先生の教室で授業を受ける。日本でいうなら大学のようなシステムだ。スクールバスのスケジュールも変わった。行きは何故かAバス、帰りは前と同じBバスだ。小学校の時はギュウギュウ詰めだったバスも、中学の路線はガラガラだ。
バス停でAバスを待っていると親友のケンがやって来た。一緒の教室のカリキュラムがあるかどうかカリキュラム表を見せ合いっこしていると、そこへ彼女がやって来た。どうやらこのバス停からAバスに乗るのは、僕とケンと彼女の3人だけらしい。普段はBバスで彼女は親友のマギーと乗っていたけど、Aバスにはそのマギーもいない。きっと彼女も少し心細かったのだろう。意外にも彼女の方から「おはよう」と僕達の方へ近づいて来た。ケンは彼女と4年生の時に同じクラスだったらしく、彼女とは直ぐに打ち解けていた。彼女は僕達のカリキュラム表を見るとバックパックの中から自分のを取り出し、僕達のと一緒に照らし合わせた。僕と彼女は偶然にも同じカリキュラムが多く、毎日4時間程同じ教室で授業を受ける事が分かった。彼女は今日初めて話をするとは思えない程の自然さで「よろしくね」と言ってニッコリと笑った。それは何というか、とても自然で、優しく、心地良い微笑みだった。
彼女と同じ授業を取るようになってから彼女の凄さを知るまで、それほど時間はかからなかった。彼女は直ぐにみんなから一目置かれる存在になった。勿論、先生達からも。成績は常にトップクラス。運動神経も抜群で、男子に混じってフラッグフットボールをしても足の速さを活かして何度もタッチダウンを決めていたほどだ。性格は朗らかで優しく、よく友達の勉強を見てあげていた。彼女の周りには常に誰かがいて、彼女も周りの連中もいつも楽しそうに笑っていた。そう、彼女といると何だかいつも楽しい。今までたくさんの女の子と知りあったけど、目の前であっという間にルービックキューブを完成させたり、鳥笛で鳥と会話するのを見せてくれた子は彼女だけだ。彼女は沢山の驚きと共に、僕に次々と新しい世界を見せてくれた。ドキドキした。気がつくと僕はいつの間にか彼女の姿を目で追うようになっていた。
「ああ、彼女か。あいつは凄いよな。」
帰りのBバスで彼女の話をすると、隣の列に座っていたマイケルが僕の話に乗って来た。僕とマイケルと彼女は同じ体育の授業を受けていて、その日は丁度体育のサッカーで彼女がシュートを決めた時の話をしていたのだ。僕と彼女は同じチームだったから、彼女が2点入れてくれたおかげで僕達のチームはマイケルのチームに勝った。マイケルは少しも悔しそうな顔をせず、「あいつには勝てないな。」と少し眩しそうな表情でバスの前の方に座っている彼女をチラリと見た。
「だろ?彼女は凄いよ!オレ、結構授業が同じなんだけど、勉強の方も完璧なんだぜ!」
意気込んで言った僕をチラリと見て、マイケルは当然だろと言うかのように「知ってる。」と呟いた。どうやらマイケルは4、5年生の時に彼女と同じクラスで、仲も良かったらしい。そういえば彼女も学校でよくマイケルに話しかけているもんな。いやいや、でも今は僕の方が彼女と一緒の授業が多いし、朝も同じAバスで話をするし、マイケルよりも一緒に過ごす時間が長いんだ。前に同じクラスで仲が良かった事より、今だよ今!自信を持て、僕。それでも彼女の方を眩しそうに見るマイケルの表情が気になった。
ハロウィンが終わり初雪が降った頃、ある朝突然彼女がバス停に来なくなった。遅刻でもしたのかと思って学校に着くと、既に彼女はロッカールームでバックパックをロッカーにしまっているところだった。次の日も、その次の日の朝も、彼女はAバスには乗って来なかった。バス停には僕とケンの二人だけ。どうやら彼女は冬の間だけ急な坂道の少ないBバスに乗ることにしたらしい。道が凍って危ないと彼女のママが心配してドライバーに頼んだらしいと、朝もBバスに乗っているジェイが教えてくれた。
「彼女がいないとイマイチ盛り上がらないよな。」
朝、バスを待っているとケンが唐突にそう言った。そうなんだ。彼女がいないとつまらない。また鳥笛で鳥と話す所を見せて欲しい。読んでいる本のあらすじを教えて欲しい。彼女の元気な「おはよう!」が聞きたい。何日も何日も彼女のいない物足りない朝を過ごして、僕はようやく気がついた。僕はいつの間にか彼女を好きになっていたんだ。
彼女への恋心を自覚してからはもっと彼女の姿を目で追うようになった。ロッカールームでは近くのロッカーのマイケルとよく話をしている。ランチ時間は女の子達と女子トーク。そして、いつも片時も本を離さない。いいなあ、あの本になって彼女に抱えてもらいたいと何度思ったか分からない。
彼女は学校でよくマイケルと話をしているけど、マイケルは彼女の事どう思っているんだろう?この間の感じでは全く関心が無いわけでもないみたいだけど。彼女は好きな奴がいるのかな?知りたいような、知りたくないような。。僕は彼女へのマイケルの気持ちが知りたくて少し焦っていたのかもしれない。彼女を一番好きなのは僕だけだ!
「昨日のゲームスコア凄かったんだぜ!」
帰りのBバスの中でマイケルが興奮した声で言った。「見せろよ。」とマイケルの携帯を取り上げると、丁度マイケル宛にメールが届いたところだった。送り主は彼女。頭の中が一瞬でカッと熱くなった。彼女とマイケルの反応が知りたくて、バス中に聞こえる大声で僕は言った。
「おい!マイケルが彼女の事を好きだって言ってるぞ!!!」
前の方に座っていた彼女はびっくりして振り返り、マイケルもまた驚いて怒ったように携帯を僕の手から奪い取った。
「おまえ!何言ってんだよ!俺はそんな事、言ってないだろ!」
気色ばむマイケルと大喜びのケン、ジェイ、デイブ。口々にマイケルと彼女の事をからかい始める。彼女は「マイケルはただの友達よ!」と言っていたけど、ケン達の悪ふざけは止まらない。
「お二人さん、結婚式はいつ?」
「マイケルがラブラブだってよ!」
「何だか急にこのバス暑くね?」
結局二人はバスを降りるまで散々からかわれて、言い出しっぺの僕は彼女に申し訳なかった。違うんだ。君を傷つけるつもりじゃなかったんだ。ただ、マイケルが君をどう思っているのか知りたいだけだったんだ。君からメールをもらえるマイケルが羨ましかっただけなんだ。かっこ悪い嫉妬で彼女まで傷つけて僕は最低だ。後悔と焦りとやるせなさで僕はその晩眠れなかった。
次の日の朝、ロッカールームで彼女を見かけると意外にも彼女は元気そうだった。「おはよう」と声をかけると、普段通り「おはよう」と返してくれた。特に怒っていないみたいで安心したけど、昨日の事を謝りそびれてしまった。もう二度とあんな事を言うのは止めようと心に誓って帰りのBバスに乗ったのに、ケン達の悪ふざけは一向に止む気配がなかった。マイケルと彼女はその日もからかわれ続けてバスを降りた。
何日か過ぎてようやくケン達がマイケルと彼女をからかう事に飽きた頃、クリスマスがやって来た!クリスマス休暇に入る前日、彼女は学校で仲良しの友達にクリスマスカードを配っていた。女の子達は楽しそうにカードを交換したりプレゼントを渡したりしていた。ふと見ると、彼女がマイケルにカードを渡していた。彼女とマイケルは元々仲が良いからカードを渡しても不思議ではないけど、カードに何が書いてあるのかすごく気になった。出来ることならあのカードを奪い取って僕が一番に読みたい。マイケルは嬉しそうにカードを受け取ると、封筒の中身を確かめるかのようにそっと握りしめながら他の女の子達にカードを渡しに行った彼女の後姿を見つめていた。
「おい、マイケル。彼女からのカード、何て書いてあったのか見せろよ!お前が見せてくれたら、オレも彼女がくれたカードを見せてやるよ。」
彼女がくれたカードなんて勿論嘘だ。そんな物は無いけど、どうしても彼女のカードが見たかった。マイケルは僕の嘘を見透かしたかのように「やだね。」と一言言ってから大切そうに彼女のカードをバックパックにしまった。羨ましい!!マイケルは彼女の携帯番号も知っている。クリスマスカードももらっている。僕には何も無いのに。そう思うとやるせなさが募った。
その日、授業中に後ろの席から彼女の後ろ姿を眺めながら僕は一つの決心をした。
彼女の携帯番号を聞く事。
これが僕が自分に課したミッションだ。僕には何も無い。それならこれから一つずつ作っていけばいい。携帯番号を知らないなら知ればいい。少しずつ彼女との距離を縮めて、来年のクリスマスには彼女からカードをもらうんだ!!
帰りのBバスを降りて家に向かう途中、僕は彼女に携帯の番号を聞いた。彼女は「いいわよ」と快諾して携帯番号を教えてくれた。やった!僕にとっては何よりのクリスマスプレゼントだ!!
その晩、僕は携帯のアドレス帳へ新たに加わった彼女の携帯番号を何度も見返してはニヤニヤ笑いが止まらなかった。いきなり電話したら?やっぱり引かれるよな。もっと軽い感じのメールの方がいいよな。『自然なメール』を考えれば考える程、どんどん不自然なメールしか思いつかない。結局何を送るか考えている間にクリスマスの休暇は終わり、年が明けてしまった。
年が明けてから彼女が朝のAバスに戻って来た!Bバスのドライバーが変わり、彼女のバスのルート変更が認められなくなり元々のバスに戻って来たのだ。久しぶりに彼女の姿をAバスのバス停で見つけた時、僕の心は高鳴った。ケンも嬉しそうに彼女を迎えた。
バスを待っている間、まだ早朝の薄暗い道で久しぶりに彼女の鳥笛を聞いた。ピーピピピー、ピピピッピー、、、、それに応えるように頭上の木の枝から鳥の声が降ってくる。「すげー!!」感嘆する僕とケンを横目に彼女も嬉しそうだ。マイケルの知らない彼女を僕は知ってる。少しずつ僕と彼女の距離が近づいているような気がした。
中学は宿題が多い。しかもその宿題にいちいち点数が付くからタチが悪い。彼女は毎回完璧に宿題をこなして来るから成績はいつもトップクラスだ。
その日、僕は翌日が提出期限の絵を描いていた。自慢じゃないけど、僕には全く絵心が無い。彼女は絵も上手いから、きっと凄い絵が仕上がっているんだろうな。・・・見たい。勿論、明日になれば学校で見れるけど、何だか無性に今すぐ見たい。いつも提出期限より早く宿題を終わらせている彼女の事だから、きっともう描き上がっているに違いない。よし!今こそメールだ!!!
なるべく自然な感じで。彼女に警戒されないように。さりげないメール。打っては消し、消しては打って、ようやくメールを書き上げた。正直言って、学校のテストの時よりも知恵を絞った渾身のメールだ。
【明日提出の絵なんだけどアイディアに行き詰まってさ、良ければ君の絵を見せてくれない?僕のも見せるから。】
送信ボタンを押す時、緊張で指が震えた。ピッと軽い音で送信された瞬間、一気に汗が吹き出して脱力した。送っちゃったよ、彼女への初メール。僕からのメール、見たら彼女はどう思うだろう?ドキドキしながら携帯電話を握りしめていると、いきなりブーブーブーと電話が鳴った!
彼女から!?と緊張して画面を見ると、ケンからだった。タイミングの悪い奴。。しょうがなく電話に出ると、ケンはゲームの話を延々とし始めた。普段なら面白いケンとのゲーム話も、この時ばかりは全く頭に入って来なかった。「悪い、オレ今ちょっと忙しいから後でかけ直すよ。」と言って、早々に電話を切った。ごめんケン、今それどころじゃないんだ。メールにはまだ既読サインが付いていない。
10分毎に携帯電話をチラ見している僕をママは不審そうに見ていたけど、特に何も言われずに済んだ。1時間経ち、2時間、3時間、、、まだ既読サインは付かない。携帯番号を聞き間違えたかな?番号の確認をしたくても、僕の周りの友達で彼女の番号を知っている奴はマイケルくらいだ。でもあいつにだけは絶対聞きたくない!ジリジリした気持ちで待つこと5時間。今日はもう諦めてシャワーして寝よう、と携帯を手放した瞬間、ピピっとメールの受信音が鳴った。
【返信遅くなってごめんね。まだ途中なんだけど、これでも良い?】
待ちに待った彼女からのメール!綺麗に下書きされた彼女の宿題の絵はまだ未完成で、ほぼ白黒の状態だった。彼女の事だからとっくに描き上げているだろうと思っていた僕には、その未完成さが意外だった。そして、その未完成な絵が彼女と僕だけの秘密を共有しているようで、僕を更にドキドキさせた。
【良いじゃん!完成したら明日また見せてよ】
【わかった。学校でね。】
明日学校に行く事が、これ程楽しみになった夜は初めてだった。あの絵がどんな色合いになるのか、何度も想像しながら僕は眠りに就いた。
翌朝、彼女は欠伸を噛み殺しながらバス停にやって来た。
「絵、仕上がった?」
「うん!結構綺麗に出来たよ。」
「見せてよ!」
「ここだと汚れちゃうから教室で見せるね。」
ケンも彼女の絵を見たがったけど、彼女は汚れちゃうからと譲らず、学校まで絵を見るのはお預けになった。僕は二人に気づかれないように、こっそりと彼女の未完成の絵をバスの中で見ては完成した絵の想像を膨らませていた。
学校に着いてロッカールームにバックパックを置きに行くと、既に先に着いていたマイケルが彼女の姿を見つけて話かけてきた。
「おはよ。昨日の絵、凄いじゃん!相変わらずレベル高いな。」
彼女はえへへと笑いながら「ありがとう」と礼を言っている。
ちょっと待てよ!マイケルは彼女の絵を見たのか?何でお前が知っているんだよ!?と問い詰めようとした瞬間、始業のベルが鳴り響き僕達は教室へ移動を開始した。
教室で見た彼女の絵は中心の青から縁の緑に変わるグラデーションをバックに様々なデザインがカラフルに彩られた素晴らしい絵で、どうやったらあの白黒がこんな絵になるんだろうと感嘆する出来上がりだった。マイケルの言う通り「レベル高い」絵だったけど、奴の一言のせいで素直に感動する事が出来なかった。
放課後、Bバスを待っているマイケルを「ちょっと話があるんだけど」と呼び出した。マイケルは彼女と彼女の親友のマギーと一緒に何かを楽しそうに話している最中だったけど、僕が呼ぶと直ぐに応じて人目のつかない所まで来てくれた。
「丁度良かった。俺もお前に話が、、」と言いかけたマイケルを遮るようにして、僕は早口でまくしたてた。
「オレ!彼女の事が好きなんだ!」
マイケルは一瞬電気に感電でもしたかのようにビクッと震えたけど、直ぐに気を取直して何かを言おうとした。でも僕は、マイケルの言う事なんて聞きたくなかった。お前の気持ちなんて、もう知りたくない。大事なのは僕と彼女の気持ちだ。お前とは幼稚園の時からの友達だけど、彼女だけは絶対に譲らない。これは僕からの宣戦布告だった。
「おーい!バス出ちゃうぞ〜!!」
ケンの呑気な声に促されて、僕はマイケルをその場に残してバスの方へ駆け出した。
「何だよ、喧嘩でもしてんの?」
ケンは心配そうに僕とマイケルを見比べている。いつもは男同士で固まってバカ騒ぎをして帰るのだけど、今日はマイケルだけ前の方に一人でぽつんと座っている。バスの発車直前に乗り込んで来たマイケルがどんな表情をしていたかなんて僕は知らない。興味も無かった。僕は僕の気持ちを言ったまでだ。
その日のBバスは奇妙にシンと静まり返り、彼女も僕とマイケルを心配そうに交互に見ていたが何も言わなかった。彼女に何かを聞かれるのが嫌で、僕はBバスを降りるなり彼女に「バイ」も言わず走って家に帰った。
翌朝、ロッカールームへ行くと待ち構えていた様にマイケルが僕の所へやって来た。
「話がある。ランチの時にコンピュータールームまで来てくれ。絶対来いよ!」
言うなり、僕の返事も聞かずにマイケルはさっさと教室へ行ってしまった。別にあいつの話なんて聞きたくもない。今更あいつの気持ちも知りたくもない。大事なのは俺と彼女の気持ち。あいつにアレコレ言われる事でもない。
「おーい、カイル。お前マイケルと喧嘩でもしてんのか?今朝バスで、マイケルがすっごい機嫌悪くて俺たち大変だったんだぞ!喧嘩してるんだったら、さっさと仲直りしてくれよ〜。」
ランチの時にジェイとデイブが僕の所に来てそう言った。カフェテリアにマイケルの姿は無かった。あいつ頑固だからな、行かなかったら何日でもコンピュータールームで待ってそうだ。マイケルの話は聞きたくなんてないけど、ドタキャンするのも男の恥だと思ってコンピュータールームへ向かった。「お前と話す事はない」と一言告げて帰れば良いだけの事だ。
コンピュータールームに行くと、やっぱりマイケルは既にそこにいた。こいつランチ食べたのか?どうでもいい余計な心配が頭をよぎる。
「オレ、お前と話す事無いから、、」と言いかけた瞬間、マイケルが真っ直ぐ俺の顔を見て言った。
「悪い。俺、彼女と付き合ってるんだ。」
石斧で後頭部を殴られたような衝撃だった。
「お前の気持ちは彼女には言ってないから、あいつはお前の気持ちにまだ気づいてない。おまえ、彼女にメールしたんだってな。中々返信来なかっただろ?あいつは今、もうすぐある大切なオーディションに向けてピアノの猛練習中だ。毎日何時間も練習してるらしい。練習中は絶対に携帯電話を取らないから、俺も連絡が取れない。なあ、カイル、彼女の事が好きなら今あいつの気持ちを乱す様な事は止めてくれ。あいつをピアノに集中させてやってくれ。」
その瞬間、何かがハッキリと見えた気がした。彼女が提出期限ギリギリになっても宿題が終わっていなかった理由。最近、毎朝眠そうな様子。マイケルの視線の先にはいつも彼女がいた事まで。
「何でだよ!?いつからだよ!?前は二人とも友達だって言ってたじゃないか!!」
駄々っ子のように取り乱す僕を気の毒そうに見つめながら、マイケルは言いにくそうに口を開いた。
「そうだ。友達だった。俺は俺の気持ちを彼女に伝える気なんて、これっぽっちも無かった。彼女は失いたくない大切な友達だったし、彼女の好きな事に集中させてやりたかったからな。」
「じゃあ、何でいきなり付き合ってるんだよ!?」
「おまえだよ、カイル。お前、前にBバスで俺が彼女を好きだって言ったって大声で言っただろ?あの後、お前の言った事は本当かどうか、彼女が俺に尋ねてきたんだ。俺は言ってないって正直に答えたよ。そしたら彼女が俺の本当の気持ちを聞いてきたんだ。なぁ、分かるだろ?俺は彼女には絶対嘘はつけない。あいつの信頼を裏切るような事は一切したくないんだ。本当の気持ちを言えと言われたら、言うしかないんだよ。だから伝えた。俺の本当の気持ちを、彼女を好きだって。」
目の前が真っ暗になった。
何てこった。全部僕が蒔いた種だったのか。
もしタイムマシンがあるなら、あの時のBバスに戻って僕の口をガムテープでぐるぐる巻きにしてしまいたい。
どんなに後悔しても、覆水盆に返らず。起きてしまった事は二度と取り返しがつかない。もし、あの時僕があんな馬鹿な事をしなかったら、今頃彼女の隣で笑っていたのは僕だったのかな?もし、もっと早く僕が彼女に気持ちを伝えていたら、彼女は僕の事を見てくれたのかな。もし、もし、もし、、、沢山の『もし』が頭の中をグルグルと駆け巡る。
マイケルは「大丈夫か?」と心配そうに僕の顔を覗き込もうとしたけど、こいつにだけは心配も同情もされたくはなかった。「放って置いてくれ!」とマイケルの腕を振り払って、僕はコンピュータールームを後にした。
その日、午後の授業の記憶もどうやって家まで辿り着いたのかも全く思い出せない。ただ部屋で頭が痛くなるまで泣き、その後3日間程熱を出して寝込んだ事だけは覚えてる。
その後、中学と高校の7年間で僕は何人かの女の子と付き合ったけど、いつも頭のどこかで彼女と比べてしまっていた。結局、7年間彼女からクリスマスカードをもらう事はなかった。
高校に入ると皆運転免許を取り、それぞれの車に相乗りして学校へ通うようになったので朝Aバスに乗ることもなくなった。彼女はマイケルの車に乗せてもらっていたようだ。段々彼女と会う機会も減り、少しずつ疎遠になっていった。
初恋は実らないというけど本当だ。でも彼女とマイケルに限っては当てはまらなかったらしく、彼らはその後別れる事もなくずっと仲良く付き合い続け高校卒業と同時に婚約した。マイケルが大学を卒業して寮を出たら結婚するらしいと風の噂に聞いた。マイケルが酷い奴だったらいつでも彼女を奪いに行こうと思っていたのに、結局奴にはそんな隙は無かった。彼女はマイケルの隣でいつも幸せそうに笑っていた。
僕は鳥類の研究をするためにブラジルの大学へ進学が決まっていた。夏も終わりに近づき荷造りもほぼ終わった頃、ふいに彼女が僕を訪ねて来た。
「カイル、久しぶりね。あの、あなたがブラジルに行くと聞いて、お別れの挨拶に来たのよ。マイケルは今日は用事があって来れないの。よろしく伝えてくれって言ってたわ。それでね、これ良ければあなたに貰って欲しいの。中学の頃は一緒にバスで通って楽しかったわね。覚えてる?」
彼女が渡してくれた箱を開けると、そこにはあの鳥笛が入っていた。
「あのね、本当は新品を渡そうと思っていたのよ。でもマイケルがカイルにあげるなら思い出のある私の笛の方が良いって言うから・・・。あ!でも、ちゃんと綺麗に洗って磨いておいたから新品同様よ!汚くないわよ!」
不意に目の前に中学生の彼女が鮮やかに蘇った。まだ薄暗い早朝の道、ピーピピピーと鳴る鳥笛。頭上の木の枝から降ってくる鳥の鳴き声。そうだ、だから僕は鳥に興味を持って鳥類学者になろうと思ったんだ。もう一度あの鳥の話し声を聞くために。
彼女は新しく付け替えたらしい金の鎖を僕にシャラリと掛けてくれた。僕の胸元にはあの鳥笛が揺れていた。
「カイル、元気でね。またいつか会いましょう。」彼女はそう言うと僕と握手をしてから帰って行った。
マイケルめ、最後まで憎たらしい奴だ。
でも、ありがとう。
彼女がくれた最初で最後のプレゼントは、今までもらったどんな物よりも最高の贈り物だった。
さよなら、僕の初恋。
君が僕の初恋の相手で良かった。
鳥の囀りを聞く度に君の幸せを祈るよ。
胸元に揺れる鳥笛を吹いてみる。彼女のように本物の鳥みたいにはまだ吹けないけど、澄んだピーーーーという音が空へと吸い込まれていった。