四夜目
四夜目
孝太郎の思った通り、モツを食べたらしいカラスは何羽か死んでいた。 それをみた徳治は、感情のない瞳で見ていた。
「俺って本当にやっかまれてんだな」
「徳治君、早くここから出るために氷時さんと阿古夜さんの遺体を見つけて供養しよう。 そしてここから出よう」
元気づけるつもりで、わざと力を込めて言ったが、カラスの死体を見る徳治の目は冷め切っていた。
「みんな……そこまで俺のことが憎かったのか」
感情が一切なくなったような目で、諦めたような薄ら笑いを浮かべて立ち尽くしていた。
「孝太郎さん、早く探しに行こうか。 孝太郎さん、なにか昨日つかんだんだろ?」
やがて徳治がスコップを持ってきて、カラスの死体と、モツを埋めた。 そして孝太郎にそう言った。
「ああ、おそらく確信の場所はわかったと思う。 そしてやらなければいけないことがいくつかと、確認しないといけないことがある」
そうキリリと言い切った孝太郎と徳治の耳に、間の抜けた「おーい」という声が聞こえた。
息をぜえぜえと切らした藤次郎だった。
「おや、藤次郎さん。 そんなに息を切らして……。 運動が足りていない証拠ですね。 もう少し走った方がいいのでは?」
再会して早々に嫌味を食らった藤次郎は、ぶすっとふくれっ面をして孝太郎に何やら耳打ちした。 そして孝太郎の懐に茶封筒をつっこむと、それも打ち合わせていたかのように、また再び来た道を帰って行ってしまった。
「あ、あのぉ?」
徳治は少々面喰って、何が何だか訳が分からなかった。
そんな徳治にカラカラっと笑って、孝太郎はこう言った。
「準備も確認もできたことだし、さあ、徳治君の戦に行きますか」
徳治には意味が分からなかった。
二人が来た場所は領主の館だった。
孝太郎が昨日通された客間に通され、待たされていると、のんびりした鷹揚に構えた様子の領主が席に着いた。
「さて、昨日の今日で何でしょうか? なんでも私に関わる大事を知っていると、女中に言ったそうじゃあないですか」
何のことでしょうね、と空とぼけた顔で領主がいうと。
怖いほどの笑みを浮かべて、孝太郎は本題に入った。
「いえ、徳治君のお兄様が我が探偵社に遺産相続の件でご依頼に来られて、いくつか条件をだされたことは昨日話しましたが。
その条件が昨日いくつかの、謎が解けたことによって、このたび徳治君が遺産を相続されることが決まりましてね。
今日はその報告をさせていただくことにあいなりました」
その言葉に驚いたのは、領主だけでなく。 隣で縮こまっていた徳治もであった。
「それで、その条件を満たしたとはどういうことでしょうかな?
できるならば、私にも理解できるようにお話しいただきたい」
薄ら笑いを崩さない領主と、孝太郎の推理がぶつかる。
「それではこれをまず見ていただきたい」
孝太郎は懐から一枚の封筒を取り出すと、領主に差し出した。
「それは徳治君の戸籍謄本の写しです。 急いで取り寄せました。
領主様、いえ、明仁さん。 徳治君は孝義さんの母親とあなたの間にできたお子さんですね」
「な、なにを? 俺が領主様とおっかあの間の子?
そんなバカなこと……」
あまりの突拍子のなさに、徳治は呆けた顔のまま呟きが口の中に消えていった。
「その根拠は? 確かにこれは役所の写しのようですが、事実だとは限らないのですよ?」
「いえ、理由はあります。 村八分を受けている割には、徳治君は誰かから施しをもらっていたようです。 昨日は獣の肉まで分けてもらっていましたし、徳治君では到底食べられるはずのない白米がありました。 そこで考えました。
村人全員が徳治君を阻害しているにも関わらず、それを支援している人がいる。 ならば村人にも文句も言えないほどの大人物ではないかと。 その戸籍謄本がその証拠です。
ここからは推測ですが、孝義さんの父親にも見放され、孝義さんも連れて行かれ、村に残された孝義さんと徳治君の母親は、村八分を受けて一人で生きていけるほど強くはなかった。
だからでしょうね、生きるために女の武器を使った。
生きていけなくなった女性が体を武器にすることはよくある話です。
そして徳治君が生まれた。 そうこうするうちに間もなく孝義さんが戻ってきた。
そして孝義さんは自分の父親と、母親、二人ともに絶望せざるおえなかった。
しかし生活は多少マシになったものの、楽にならなかった。 そんな中母親は体調を少しずつ崩していく。 いくらもう元の親子関係には戻れないといっても、羽振りのいい父親と違い、貧しいままの母親を残して行けなかったのでしょう。
孝義さんもこっそりと手助けをしていた。 徳治君のお母様の死因は栄養失調と流行風邪だそうですね。 唯一の肉親の徳治君は天涯孤独になってしまった。
外にいる父親は血がつながってもいないし、当てにならないのは、なにより孝義さんが知っていた。 これが遺産相続の動機です」
「なるほど、確かに多少の援助と引き換えに私は徳治の母親と関係を持ちました。 しかし、それと遺産の相続条件は関係がないでしょう?」
領主はうなずき認めながらも、その意思の砦が崩れることがない。
「ちょうどその頃、今から八年ほど前ですか。 ここからが徳治君の遺産の条件になってしまった不幸です。
この村では奇妙な習慣がありましたね。 谷底に落ちて亡くなったかたの御霊鎮めだとかいう、人身御供があるのだと。 しかし調べてみればなんてことはない。
あなた、外の隣町の宮司と結託して、女衒に女性を売っていましたね? 遊郭で裏もとりました。 生贄にされるのが生娘なのはその方が、金が儲かるからだ。 突出し(つきだし)に水揚げ代、こちらに回ってくるのはわずかでも、底値で売りつけられるより手元に仲介料が引ける。 それを村人に還元していたんですね。
そしてそれが八年前の阿古夜さんだった。 妹の氷時さんはあなたの慰みものにと嫁がされることに決まった。
あなたは何人もの女性と結婚しながら、そのことごとくが早死にしている。 その秘密があの庭の井戸にあるんでしょう?
うすうす勘付いていた阿古夜さんは、氷時さんと相思相愛にあった孝義さんをけしかけて二人を逃がす算段をした。
しかし、二人とも消えれば追手がかかるかもしれない。
そう思った阿古夜さんは、自分が入れ替わることを考え付いた。
二人は双子に間違えられるほど、瓜二つだったそうですね。
妹を愛してくれる人と逃がすため、阿古夜さんの決死行は始まった。 しかしここでも予想外なことが起こった。
姉の思惑とは違い、氷時さんは不幸にも橋から落ちてしまった。
遺体は見つからなかったと聞いています。
でも、その遺体を一人運べる人がいますよね?」
「え?」
ここまで、ゆっくりとした口調で語り通しの孝太郎を見てることしかできなかった徳治が間の抜けた声を上げた。
「弥十郎さんだよ。 この村で一番大きな体つきをしていた。
彼がおそらく谷底の川の水をくみ上げる、風車の通路でも使ってここに連れてきたのさ」
「なっ―」
「くすっ、あなたの話は実に面白い。 しかしあなたは先ほどから推測や憶測でしか物を言わない。 実に滑稽で不愉快です」
「おや、ではよほどの自信があるのですね? ではいまからまいりましょうか。 証明して差し上げますよ領主様。
さすがにここまで言われて嫌とはいいませんよねぇ?」
乗せるのは孝太郎の方がうまかった。 ここで否、と言えば領主は証明すら待たず認めたことになる。
「いいでしょう。ではまいりましょうか」
苦い笑みを浮かべ、領主、孝太郎、徳治の三人で、あの問題の井戸に入ることになった。
確かにそこは井戸というには奇妙だった。釣瓶の縄も太く、井戸の幅も広い。 まるで赤穂にあるお菊の井戸のようだ。
ただ、普通の井戸と違うのは枯れ井戸だということ。
階段があり、釣瓶の縄につかまりながら、螺旋を描くように降りていくということだ。
そしてとうとう底についた。
底には奇妙な閂で錠がされた戸があり、開けると吐き気を催す光景が広がっていた。
着物を着た女性たちの白骨が飾られている。
さまざまな高価な振り袖を着た白骨遺体が六人分。
「うっ」
徳治も孝太郎も思わず口を押えた。 こみ上げる焼けつくような胃酸に目が潤む。
四人は綺麗に髪も結い、簪を指していた。
五人目は白無垢の胸元が黒ずんで、どす黒いシミを作っている。
おそらくこれが阿古夜だろう。 そして氷の結晶の模様のついた白い振り袖がおそらく氷時のはずだ。
「ここまで来て、無事に帰れると思っていたのですか?」
「いいえ、ただ私も何の策も用意していないとでも思いましたか?」
部屋にあった抜身の刀は、よく切れそうな鋭い光をたたえていた。
有無を言わさず切りかかってくる領主に、孝太郎は頭にかぶっていたお釜帽を投げつけた。
反射的にそれを斬ると、中に入っていた皮袋から細かな粉じんが舞った。
「げほっ、ごほっ、なんだこれは! 灰かッ」
灰の目つぶしに何とか成功し、入ってきた戸を出て孝太郎はでたらめに閂をかける。 戸をドンドンと叩く音が響いた。
分厚い木の戸は、刀でも貫けそうになかった。
「さあ、今のうちに上にあがろう。 外でまた待っている人たちがいるはずだから」
孝太郎は腰の抜けそうな徳治の手を引っ張って、無理矢理引きずりあげていく。 外に出ると、村の入り口と井戸の周りに滅多に見ない憲兵(建ぺい)がいた。
「通報感謝する。 それで、異様な殺人者がいるというのはこの下か?」
銃剣を片手に、敬礼して憲兵は礼儀正しく尋ねてきた。
「ええ、それではよろしくお願いします。 閉じ込めてきましたが逃げ道がないとも限らないので」
ゼェゼェ息を切らしながら言った孝太郎に、憲兵は再度敬礼して下に降りて行った。
「これでこの村もお仕舞だな。 徳治君もこれでここから出る決心をつけてくれ。 っと言ってもこの状況じゃあこの村にはもう誰も住めないだろう」
「そっか、検められるんだ……」
へなへなと力が抜けて、ぺたんと腰を下ろした徳治の肩にポンと慰めるように手を置いた。
「おーい、二人とも無事か!」
遠くから大声あげて藤次郎が走ってくるのが見えた。
「ああ、全部とりあえず終わったよ。 結局姉妹の謎は闇の中だけど、死体の謎はなんとか解けた」
「じゃあ、これでうちの仕事は終わりか?」
「ああ、憲兵隊の調書に協力したら、見返りに氷時さんと阿古夜さんの遺体の身元引受人になれるように手配してる。
これで遺産(遺産)は徳治君のものだ」
うーんっと伸びをしながら、孝太郎は一息ついた。
「まったく、何かあったら憲兵隊と突入してくれだなんて、心臓に悪い頼みはもう二度と聞かないからな?」
「はは、悪かったよ。 さあ、じゃあ行こうか」
徳治もその頃には自分を取り戻して、自身の足で村の蔓橋までやってきた。
蔓橋を渡りきって、誰かに呼ばれた気がした徳治は村の方を振り返った。
死んだはずの兄と、髪の綺麗な白い振り袖の女性と、紅梅色の振り袖の同じ顔の女性が微笑んで手を振っていた。
そうだった。 ここはあの世とこの世を繋ぐ橋。
戻り世の橋。 未練の残っていた死者が戻ってくる橋。
そうか、氷時さんが橋を渡らなかったのは、阿古夜さんの霊を見たから、渡れなかったのだ。 姉が殺されたことを知ったから。
「徳治―? どうした」
先を行く、二人の探偵が徳治を呼んだ。
「ううん、なんでもない!」
すべての謎はとけた。
これから新しい人生を送ろう。 まだ幼い徳治は初めて出る村の外に期待を膨らませた。
完