二夜目
二夜目
翌日、三人は村の入り口近くの畑さんの家にお邪魔した。
土壁に、かやぶき屋根のよくある家。
「すいません。 畑さんはおられますか?」
「はーい、いまいきます」
声がしたと思ったら、すぐに玄関があいた。
「なーんだ、あんたら昨日の徳治を探してた客じゃねえか。
徳治も一緒か、んで? 何の用だい」
孝太郎と藤次郎の陰に徳治を見つけて、顔を出した畑さんはあからさまに態度を変えた。
「おはようございます。 昨日渡ってきた蔓橋なんですが、片側が切れて傾いているんです。
急ぎの用事があるのでかけ直してもらえませんか?」
孝太郎の爽やかな挨拶と、口上に畑氏も目を白黒させて口を閉じた。
「む~、そういうことなら仕方ない。 あの橋が落ちると俺たちも苦労するからな。 帰る奴は手伝ってもらおう、ここにゃ連絡手段がないからな」
そう言って一旦家の奥に帰って行くと、再び鎌を持って出てきた。
「なにを驚いとる。 蔓をとるのに使う鎌だ。 山姥じゃあるまいし、とって喰やしないさ」
にやっと笑ってから、手招きした。 藤次郎は孝太郎と顔を見合わせた後、嘆息して後をついていった。
「さて私たちは、謎解きをしようか」
うきうきした笑顔の孝太郎に、徳治も横に並んで歩いて行った。
二人は話を整理するために、村から少し離れた見晴らしのいい崖に来た。
「さて話を整理しよう。 まず領主さんに召し上げられたのは氷時さん、そして阿古夜さんが孝義さんと逃げようしたのが十年前。
それがこの村人や、徳治自身の認識」
「でも孝義さんの証言は違った。 お兄さんが連れ出そうとしたのは氷時さんの方だった。
それで仮説が一つ、姉妹が入れ替わったのではないか。
でもその仮説を裏付けるには、姉妹が入れ替わる理由がわかってない。
二つ目、召し上げられた氷時さんのその後を知る者がいないということ。
これによりお兄さんは、彼女もすでに亡くなっていると考えた。
だが実際に死体がでてきてないし、徳治君もそのことについて村人に聞いたけどわからないってことだよね?」
「うん。 みんな召し上げられた娘は、そう言うもんだって」
「ふーん、なんか怪しいな。 この村は蔓橋がある断崖の反対側はどうなっているの?」
「えーっと、崖になってて真下に深い海があるよ?
崖は険しすぎて、誰も登りも降りれもしないんだ。
落ちれば海に沈んじゃうしね」
「ふんふん、なるほどね」
孝太郎は鉛筆の先をぺろっと舐めると、紙になにやら書いていく。
「それで徳治君。 阿古夜さん、つまり阿古夜さんと思われている氷時さんは、どうしてお兄ちゃんと逃げ出そうとしたんだい?」
「この村には人身御供の祠ってのがあって、年に何度かそこに生贄として若い娘が捧げられるんだ。 その年にたまたま選ばれたのが阿古夜さんだった。」
「ということは阿古夜さんは生贄に、そして氷時さんは領主さんに召し上げられたってことでいいんだよね? これはある意味二人とも生贄になったようなもんだな~」
姉は神への、妹は領主への生贄。 不運な姉妹がいたものだ。
「そうしたらとりあえず蔓橋に戻ろうか。 この紙を藤次郎に渡したら、また謎解きの続きだ」
「待ってください。 そんな降り方したら危ないよ!」
ぴょんぴょんと跳ねて崖を降りる孝太郎に、負けず劣らず駆け下りながら徳治も林のなかに戻っていく。
蔓橋のところに二人がつくころ、あと少しすれば橋は直りそうだった。
「あ、孝太郎と徳治君じゃない。 どうしたんだよ?」
「良かった、まだ橋壊れてなくて。 藤次郎、この内容を後で知らせておくれね?」
「はあ? お前用事って調べもの増やしに来ただけかよ」
呆れて脱力しきった藤次郎に、孝太郎はしっかりとメモした紙を握らせる。 そんな三人に畑さんが声を掛けてきた。
「おーい。 あんたらが知らせてくれてよかった。 もうこの橋はかけ直さにゃ駄目だ。 あんたが渡ったら、村の者と力合わせて新しい橋のかけ直しにかかるさ。 こりゃあ何日かかるか」
いまにも落ちそうな頼りないつり橋を見て、畑さんはため息をつく。
「まあ、修理は終わったから渡るならわたってくれ。 もし橋が落ちそうになったら意地でもしがみつけ。 助けてやっから」
「そ、そうするよ」
引きつった笑顔で畑さんを見送ると、藤次郎はこの世の終わりみたいな顔をして渡り始めた。 ぶつぶつとなにかつぶやきながらわたっている。 どうせ渡りきれたら食べたいものだの、したいことだのを念仏のように唱えているに違いない。 孝太郎はそう思った。
「ふぅ、どうやら無事渡りきれたみたいだ。 徳治君行こうか」
向こう岸で何やら言っている藤次郎を無視して、孝太郎は徳治を促して林に入った。
「君はどこら辺が怪しいと思ったんだい。 教えてくれるかな」
「俺はやっぱり、橋の近く。 それと人身御供の祠の辺り、それから谷底。 あとは調べたいけど調べられない領主自身の館だよ」
「ふーん、って待って。 谷底に降りれるのかい?」
「あれ、言ってなかったっけ? 阿古夜さんが橋を渡れなかったのは、橋ごと落ちたからだよ?」
聞いてない! 孝太郎は思いっきり心の中でそう思った。
「てっきり村に引き返して行方がしれないんだとばかり思ってた」
「ううん。 さっきも言った通り阿古夜さん橋と一緒に落ちたんだ。
橋自体が落ちちゃったから、村人にも隠しきれなかった。
村人から『落ちた人は阿古夜さん』だって聞いたから。
そのとき兄ちゃんは村の人に嘘ついたのかも。
その年は例年にない凶作だったって村の人も文句言ってきたしね。
だけどどこを探しても遺体どころか、小間物も、着物の切れ端さえ見つからなかったって」
「消えた死体ってことか。 あの高さじゃ、まず助からないだろう」
「うん、それどころか何も見つからないこと自体、みんな気味悪がってる」
複雑だ。 いろんなことが絡み合い、結びつき、こんがらがって解けない。 まるでこんがらがった糸玉のようだ。
遺体は見つからなかった。 どこに消えたのか。
「じゃあ、亡くなったのが阿古夜さんだって確認も誰もできていないってことかな」
「そうなるよ」
呟いた独り言に、律儀に徳治が返してくれる。
「そうだなぁ。 それじゃ人身御供の祠に行ってみようか。
日が高いうちの方が何かわかるかもしれないしね」
ただでさえも不気味な名前の場所だ。 当然日暮れに行きたくはない。
村を起点として西の端に徳治の家、蔓橋は村の前に広がる林を一直線に繋いでいて、東の端にその祠はあった。
小さな祠だ。 古い石が綺麗にくりぬかれ、そこに何かを祭った社が鎮座している。
祠の周りは巨岩が積みあがっている。 何かありそうだ。
「ここで生贄の人はここに捧げられるんだよ。 そして宮司さんに祝詞上げてもらって、この区画は立ち入りが禁じられる」
「区画ってどこから?」
「さっき地面に筍みたいに、膝までの石が埋まってたでしょ?
あそこからぐるっと、この祠を起点にしめ縄でくくられるんだ」
「ほほぅ」
どうもきな臭い。
「でも子供だったら、気になって覗きに来たりするだろう?」
「うん、でも覗いたらその子供は帰ってこないんだって。
だからみんな儀式の間は家に子供と一緒に閉じこもってる」
「徳治君もそうだったの?」
「うーん、俺が生まれてからはあんまやってない気がする。
そのことを教えてくれたのも、村の人だった」
「案外、親切な人たちだね」
「うん。 母ちゃんが死んでから、どうしていいのかわからなかった俺に、色々教えてくれたよ」
「でもそれだけしてくれるのに、村八分を解いてはくれなかったんだね」
おかしい、そこまで手を貸しながら何故このままなのか。
「宮司さんって言ったけど、普段はどこにいるの?」
「隣の町だよ? 橋向こうの人」
橋向こう、なるほど橋を渡ってじゃないと来れない人か。
「ふーん、この辺りはどう調べた?」
「とりあえず何かないか、いろいろ歩いて調べて、祠の周りも触ってみた」
「神罰は怖くなかったんだね」
呆れて言うと、徳治はふと考えたようだがよくわからないという顔をした。 珍しい子供だ。 そう思う孝太郎自身も、祠の辺りの岩を触ったり、叩いたりしている。
一か所奇妙に感じるところがあり、そして納得して次の場所を切り出した。
「ここはあとにして谷底に行ってみようか」
「じゃあ、火の用意をしてくるよ。 あそこは昼間でも日が差さなくて、危ないんだ」
徳治は真っ直ぐ自分の家のある方に足を進めて行く。
巨岩の隙間から吹く風が、妙に甲高く響いている。 その音に混じって別の音も聞こえた気がした。
火を持った二人は古びた鉄杭に張られたロープを頼りに、崖の岩肌がくりぬかれて作られた階段をただひたすら降りた。
「徳治君、ここら辺りどこか川でもあるの? 水音が聞こえるけど?」
「うん。 幅は狭いけど深い川がね。 みんな谷に吹く風使って風車回して水のくみ上げして、田畑や生活に使ってる」
「なるほど、それであれだけの人数しか残っていないのか」
孝太郎は徳治に聞こえないようにつぶやく。 村で会ったのは三十人程度、いくら深くても小さな川じゃあ、今の人数を賄うのがやっとだろう。 どこからか、どうやってかこの村は田畑の水を工面しているらしい。 もしかしたらその生贄にされたという阿古夜さんに関わりがあるかもしれない。
狭い土地とはいえ、東から西に歩き回ったので薄暗い空にカラスが異様に舞っていた。
「そろそろ戻ろう。 俺達までこの谷で命落とすわけにいかないしな」
徳治はそう言って提灯を持って先導してくれた。
その間ずっと孝太郎は考えていた、今日行った人身御供の祠に感じた違和感。 そしてこの谷に落ちたという女性の正体。
あともう少しで全ての糸が一本につながりそうなのに、肝心の部分がまだ見えない。
ただこればかりはもう間違いないという確信がある。
それは阿古夜と氷時は入れ替わった。
何の目的で? これは推測だが孝義と恋仲だったのは氷時だ。
そしてその氷時に、領主の妾の話が持ち上がった。
当然二人には受け入れがたかったはずだ。
だから姉の阿古夜が少しでも時間を稼ごうと入れ替わり、孝義は氷時を連れて村から出ることを画策した。
幸いなことに、父親が外の仕事で成功をおさめ、愛人さえも囲えるほどの金持ちになりあがっていた。 それに携わっていた孝義自身にも氷時を囲えるだけの金はあった。
だが計画、この目論見は氷時が橋を渡らず、橋ごと落ちたことで目論見はばれた。 そして今までの孝義や徳治の父親の裏切りによって村八分だった徳治たち母子は、またひどい村八分に陥って今の現状があるということだろう。
そのことを果たして徳治は知っているのだろうか?
それと多かれ、少なかれまだ引っかかっていることはある。
それについては今晩、カマをかけてみるか。
徳治について手伝い、やせ細った、水がすぐに乾いてしまう土地からイモを収穫し、家に帰った。
ひどい畑だ。 ろくな野菜が育ちはしない。
帰って、さっそく飯炊きの用意を始めた徳治に、孝太郎はあることに気づいて声をかけた。
「徳治君、お前、そこから今出したの米か?」
「ん? ああ、気づいた? お客さんにいつまでも汁物しかださねえわけにいかねえし、母さんのお蔭か定期的に米がもらえるんだ。
領主様のお情けだよ。 領主様は村八分にこそしなさってるが俺のことは気にかけてくれるんだ」
「そうか、君のお父さんからはどうなんだい? 手紙や、それこそ仕送りはないのかい? 会いに来たりとか」
ずばり孝太郎は聞きたかった核心に触れるため、カマをかけた。
「おっとうのことは聞いただけ。 手紙もないし、会ったこともないよ? でも、なんで?」
徳治が不思議そうな顔をして、米を水瓶の水でとぎ、芋粥を作ってくれた。 とうてい満腹にはなりえるものではなかったが、こんな生活をもう十年も徳治は続けている。
このままでは栄養失調で、体を壊し、亡くなるのも時間の問題に思えた。 なんとかあの遺産を徳治に継がせなければ。
野良犬のような愛人兄弟に食い荒らされてしまうだろう。
夜、野犬の遠吠えや、風にざわめく葉擦れの音が、やけに耳について孝太郎はなかなか寝付けなかった。