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8.ヴァイス邸の夜会

迎えに行くとペトロネラはキラキラ光る金髪を結い上げ、小花を散らした愛らしい髪型で客室のソファにちょこんと腰掛けていた。


「お待たせしましたか?」


マクシミリアンが心配になって問いかけると、彼女は首を振って微笑んだ。

手を差し出し、立ち上がった彼女の白い手袋に包まれた華奢な手を自らの肘へと誘導すると、彼女は頬を染めて俯きがちに寄り添った。

薄桃色の光沢のあるドレスが、そんな彼女によく似合っている。


「ドレス、よくお似合いですね」


年頃の貴族令息であればもっと多くの美辞麗句で修飾するべき所なのだが、マクシミリアンにはこれが精一杯だった。しかしペトロネラは嬉しそうに「有難うございます」と返してくれたので、彼はホッとして胸を撫で下ろす。いつもなら鬼姉達に連想ゲームのように追加の褒め言葉を要求される場面であった。


会場へ向かう広い廊下には、同じように夜会を楽しみにしている男女達がさんざめいている。通常の夜会よりその温度が高く感じられるのは、昼間の趣向で気持ちの盛り上がった参加者の話題が尽きない為だ。


昼間ほどの大掛かりな催しは用意されていないが、ヴァイス邸の夜会では毎回今尤も旬と呼ばれる奏者を数人選抜し演奏を披露させる。そしてその年一年の演奏会の流行がここで決まってしまうと言っても過言では無い。時には無名の新人奏者がこの舞台で脚光を浴び、一気にスターダムに伸し上がる事もある。


これだけ人気のある夜会と言えば、参加者の顔ぶれも豪華だ。

最近では表立った場所に滅多に顔を出さないと言われているレデラー港湾組合の前会長まで孫娘を連れて顔を出していると言うから人気のほどが伺える。名のある女優が変装して参加しているとか、お忍びで王族が顔を出している等といった噂も後を絶たない。


ペトロネラもこの夜会に参加できる滅多に無い機会を楽しみにしていた筈だ。


なのに何故か心ここにあらずと言う風情で、昼間と比べ若干意気消沈しているようにマクシミリアンには感じられた。


「お加減でも悪くされましたか?」

「え?」

「お元気が無いように見えます」


会場に着いてからマクシミリアンが足を止めて小柄なペトロネラの顔を覗き込むと、彼女は恥ずかしそうに俯いた。


「いいえ……大丈夫です」

「では開始までまだ間がありますから、あちらの椅子で休みませんか」


心細そうな薄碧い瞳を揺らして、ペトロネラは頷いた。




飲み物を確保し、ちょうど空きのあった窓際の席に二人で並んで腰かける。すぐ横にはバルコニーへ出られる大きなガラス扉が開け放たれていて、庭園の趣向を凝らしたライトアップを目にしようと彼等のすぐ傍を通って多くの人がそちらへ移動したり、逆に庭園から中へ戻ってきたりと―――常に人の出入りがある比較的賑やかな場所だった。だからこそ思いのほか、そこに座っている彼等を目に留める者は少ない。


「あの……」


俯いたペトロネラが―――おずおずと口を開き始めた。


「はい」

「クラリッサ様とは―――マクシミリアン様は親しくされていらっしゃるのですか?」







ペトロネラの胸にある思いは複雑だった。


以前夜会でクロイツを追いかけた事をあげつらえて批難された。自分の取ってしまった軽率な行動を悔やむ心の奥で―――身分の高い令嬢に貶められ蔑まれた事が口惜しくて仕方が無かった。その上茫然自失で降りた庭園で襲われかけたのだ。


だから彼女にとってクラリッサは―――恐怖の象徴だった。


実際一番恐ろしかったのは庭園で遭遇した軟派な騎士の振る舞いだったのだが―――その要因を作ったクラリッサの記憶と襲われかけた恐怖の記憶は、ペトロネラの中でしっかりと結び合わさってしまった。


そしてそこで、彼女を危機をから救い出してくれた騎士ナイト―――マクシミリアンと出会ったのだ。一言お礼を言いたいと思い彼を探す間に―――いつの間にか彼への恩義気持ちが……淡い恋心に変化していた。

彼を探し当てその姉達の計らいでヴァイス邸の素晴らしい催しをエスコートして貰う事になり、夜会もこうして寄り添って参加する事になったのだが……。




昼間クラリッサを伴って笑顔で戻って来た彼を見て、ペトロネラはショックを受けた。


親し気な笑い声、交わされる笑顔。


そして何より―――あの夜会で威圧して来た気位の高い公爵令嬢と同一人物と思えないほど―――愛らしく自然な表情でマクシミリアンを見つめていた彼女を目にした事が―――ペトロネラにとって、一番の衝撃だった。


そしてマクシミリアンのクラリッサに対する気の置けない態度。

優し気に瞳を細めて彼女を見、気遣っていた。


『クラリッサ様は少し見た目にも発言にも威圧感はありますし、ちょっと強引過ぎる所はありますが……結構優しかったり、素直だったりして―――中身は普通のご令嬢なんですよ。だからそれほど萎縮しなくても大丈夫です』


そんな風に彼女をフォローして。

ペトロネラはどう返して良いか判らなかった。


(でも私はその方と仲良くできません―――その方が怖いんです)


そう言ってしまいたかった。


(マクシミリアン様は―――クラリッサ様をどう思っているのですか?彼女とはどんな関係なのですか?)


その時頭に浮かんだ疑問符は、胸の中に今もわだかまったまま。






『親しくされていらっしゃるのですか?』と言う問いにマクシミリアンは、どう答えたものかと、首を捻った。下手な事を口にして公爵令嬢であるクラリッサに、噂だとしても傷を付ける訳には行かない。

ましてや先ほど彼女には縁談が山のように押し寄せていると聞いたばかりだった。カーはトビアス以外の縁談は断っていると断言していたが、彼の言葉に真実がどれ程含まれているのかマクシミリアンに判断する技量は無い。まあどちらにせよ、マクシミリアンとしては全く面白くない話題だったが。


しかしとにかく自分との関係を誤解させてはいけないと、彼は考えていた。


「親しいと言うか―――実はこの間私の従妹が結婚しまして」

「はぁ」


突然話題が飛んだので、ペトロネラは間抜けな声を出してしまい、慌てて口を覆った。

そんな仕草をマクシミリアンは笑顔で見守って、話を続けた。


「その従妹の婚姻相手が彼女の幼馴染でして―――年が近かったものですから、結婚式の会場で話す機会がありまして。以来時たまお話させていただくようになったんです」

「クラリッサ様の幼馴染……」


まさかあの人だろうか、とペトロネラはあの黒髪の精悍な蒼い瞳を思い出した。


「クロイツ=バルツァー少尉です。ご存知でしょうか」

「ええ……!勿論」


『蒼の騎士』クロイツ=バルツァー少尉を知らぬデビュタントを探す方が難しいだろう。あのペトロネラにとっての特別な遭遇が無くても、彼の評判はずっと前から承知していたし、きっと彼は今後も貴族令嬢の間の噂の的で有り続けるだろう。今度は―――理想の婚姻相手の鏡として。


「ではマクシミリアン様のお従妹様とは―――もしかしてレオノーラ=アンガーマン様なのでしょうか?」

「そうです。こちらもご存知でしたか」

「確か深窓のご令嬢で……大変慎ましやかな方だと聞き及んでおります」


マクシミリアンはそれを聞いて微妙に顔を強張らせた。


(それは新しい方の噂だな)


と思ったが、口には出さなかった。せっかく評判が上向いて来たのだ、敢えて真実を知らしめて従妹を貶める必要は無い。

マクシミリアンが少々苦々しい想いを胸にペトロネラを見ると、彼女も何故か戸惑うような表情で逡巡するように視線を彷徨わせていた。


「その……実は私ずっと……クラリッサ様とクロ…バルツァー少尉がご結婚なさるものとばかり思っておりまして……」

「ああ、そう言う噂がありましたね」


何でも無いように言いけるマクシミリアンを見て、ペトロネラの胸はチクリと痛んだ。そして少し言い淀んだ後、意を決して口を開いた。


「……その……噂では無くご友人から直接告げられたのです。クロイツ様がクラリッサ様を寵愛されていて特別に気遣われていると。クラリッサ様の事をそのご友人が『クロイツ様の決まった相手』だとおっしゃられていたので―――てっきりご婚約されているものとばかり思っておりました」


言い切った後―――ペトロネラは直ぐに後悔した。

自分がまるで告げ口のような行為をしてしまった事に気が付いたからだ。




クラリッサ様の信頼を寄せる慕わし気な表情―――夜会で会ったあの高慢な公爵令嬢と別人かと思う程に―――柔らかい雰囲気を醸し出していた。

そしてそれを穏やかに受け止めるマクシミリアンを目にし―――ペトロネラは微かな嫉妬心を抱いたのだった。そして胸にあったのはそれだけでは無い。

義憤の感情が―――確実に彼女の胸には灯っていた。


人を身分で貶めて『たかが男爵令嬢が侯爵家嫡男のクロイツ様に手を出すなどと無礼千万』とでも言わんばかりだったプライドの高いご令嬢が―――自分より遙かに低い身分のマクシミリアンの横で幸せそうに笑っている。


自分で言った事を無かった事にして。

クロイツから手を引けと言ったその口で。


だからペトロネラも思うのだ。身分の高い高貴なご令嬢は―――相応しい相手と親しくするべきだと。低い身分の添い遂げる可能性すらない誠実な子爵子息にまで近寄って……その美貌で色香で彼を惑わすなどと言う事は―――あってはならない事だった。


少なくともクラリッサ嬢には―――そのような行動をとる事は許されない筈だ。


彼女にはその資格は無いと……今ハッキリと、ペトロネラはそう自分が思っている事を自覚したのだ。


だから余計な事を口走ってしまった。




(まるで仕返しだわ。彼女を貶めるような事を遠回しに口にして)




自分までクラリッサと同列になってしまったように感じ、ペトロネラは唇を噛んだ。

しかしマクシミリアンはそれに気付かず、明るい声でこう言ったのだった。


「いえ、それは誤解らしいですよ。実はクロイツ様と私の従妹はかつて学院の同窓生で自治会と部活動で一緒に活動する内に親しくなったそうです。正式な婚約関係ではありませんでしたが、その頃から二人は恋人同士だったようですから」


これは以前アンガーマン侯爵とマクシミリアンが周囲に触れ回った公式設定だった。基本的にレオノーラとクロイツも、二人のなれそめを尋ねられればこの様に答える事になっている。元々はカクタスのサイラス王子対策として見解の統一を図っていた為だ。


「部活動……ですか」

「園芸部なんです、想像できますか?―――あの美しい顔で作業着を着て水撒きしている処を」


思わず想像して―――ペトロネラは目を丸くした。


「え……クロイツ様が……作業着を着て、水撒き……ですか」

「またこれがすっごく似合わないんですよ……!あれは惚れた弱みなんですかね。従妹の園芸部を手伝っている少尉と顔を合わせた時の衝撃は―――今でも忘れられません」


あまりにも意外な話を聞かされ、重苦しくペトロネラの胸の内を塞いでいた物が吹き飛んだ。思わず吹き出してしまう。


「プッ……ま、まさかそんな……」

「これが本当なんです。あの物凄い威圧感で―――温室が一瞬戦場に見えました」


真剣な面持ちで語るマクシミリアンの腕を、ペトロネラは堪えられないと言うように軽く叩いた。


「フフフ……、アッハハ……も、もう可笑しい……」


淑女の礼儀作法も忘れてお腹を押さえて笑ってしまう。


一頻ひとしきり笑い転げて目尻に滲んだ涙を拭うと、その様子を優しい笑顔で見守っているマクシミリアンの茶色に瞳とぶつかった。

途端にペトロネラの心臓はキュウッと締め付けられる。


「やっと笑った」

「あ……」

「元気出ましたか?」

「……はい、ありがとうございます……」


その時ペトロネラはマクシミリアンがわざとあのような話をしてくれたのだと気が付いた。元気の無いペトロネラの気持ちを浮上させようと笑い話を提供してくれたのだ。

その優しさに―――彼女の心は舞い上がってしまう。


そして余計に―――マクシミリアンがクラリッサをどう思っているのかが気になった。


「あの……不躾な事をお伺いしても……構いませんか?」


勇気を出して声を振り絞った。


気の所為なら、良い。

気の所為じゃ無くても―――彼の心に近づく為に出来る限り努力したいと、ペトロネラは考え始めていた。


「?……大丈夫ですよ。特に俺は国家機密など把握しておりませんから、何なりと」


むしろ事前にそう確認するペトロネラは良い娘だと、マクシミリアンは思った。毎日鬼姉達の脅威に晒されている身としては、不躾だろうが悪意だろうが事前に通達も無く投げ掛けられる事は日常茶飯事の事であったから。




「……マクシミリアン様は……クラリッサ様の事を―――慕っていらっしゃるのですか?」

「え……っ」




マクシミリアンの頬がパッと微かに朱く染まった。


それがただ単にそう言った不躾な質問に羞恥心を覚えた為なのか、それとも図星を指された故のものなのか―――恋愛初心者のペトロネラには判断が付きかねた。







そんな遣り取りに足を止めた者がいるなどと―――彼等は当然気付いていなかった。


五色のカンテラに彩られた美しいライトアップを眺めて戻って来たクラリッサとカーが、バルコニーから広間に戻る手前で立ち止まった。


悪戯っ子のように瞳を輝かせたカーが、訝し気なクラリッサに笑顔を向け人差し指をその魅惑的な唇に押し付けて言葉を制した。

その視線の先には―――彼女の赤毛の『親友』と彼の今夜のエスコート相手となっている可憐な金髪の少女が並んで座り楽しそうに笑い合っていた。




少々礼儀を逸脱した笑い方だと、クラリッサは少女を咎めるような気持ちを抱いた。

それが嫉妬心から来る物だと―――彼女がハッキリ認識するのは……もう少し後の事となる。



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