5.女神様と赤毛の騎士
「ペトロネラ様はヴァイス邸の夜会は初めてですか?」
「はい。私は今年デビューしたので……。でも姉達から噂を聞いていたので楽しみにしておりました。」
「確かデビュタントは優先的に招待されるんですよね」
「そうなんです……!私の領地は比較的辺境ですし、特に有力な伝手がある訳では無いのですが……だからとっても楽しみにしていたんです」
小柄なペトロネラが、マクシミリアンを見上げ碧い瞳を柔和に細めた。
マクシミリアンは少しドキリとする。
姉のデリアより僅かに背が高いくらいで、彼女の背丈は中背のマクシミリアンが余裕で見下ろせるぐらいの可愛らしいサイズだった。
大人しそうな見た目のペトロネラの事だ。きっと強引に鬼姉達から自分を押し付けられ、断り切れ無かったのだろう。彼女には気の毒だが、姉達をエスコートする時常に感じる恐怖感から解放され一息つくことができると―――マクシミリアンは密かに彼女に感謝した。
人垣に囲まれている盤上遊戯の会場に辿り着き、受付係の使用人に到着を知らせると、現在駒役を担当している参加者が終わり次第、二人の交代となると告げられた。
芝生の上に白いリボンが杭で固定されており、縦七マス×横七マスの仮の盤上が設置されている。一つのマス目に一人煌びやかな衣装を纏った駒役の参加者が腰掛け椅子を持って座り、今年度チャンピオンと前年度チャンピオンの指示に従い移動している。双方『王』の守りが堅く、まだまだ決着は遠そうだ。
マクシミリアンはクラリッサを探したが―――どうやらもう既に駒役を交代したらしい。そこに彼女の姿は見つからなかった。
盤上を模した区画の周囲には、座ってじっくり勝負を眺める事ができる雛段や、立見のできる場所が用意されている。そこから一歩下がった木陰にベンチや椅子が用意されており、彼は其処へペトロネラを誘導した。
「こちらで出番まで待ちましょう。飲み物を取って来ますが何か希望はありますか?」
「あの……できればサッパリした物が飲みたいです」
「じゃあ果汁の入った物が良いかもしれませんね。少し待っていて貰えますか?」
「あ…はい。あの……有難うございます」
至れり尽くせりのマクシミリアンのエスコートに、ペトロネラは恥ずかしそうに微笑んだ。
儚げな仕草で真剣に感謝の意を示すその初々しさに―――マクシミリアンの頬も綻んだ。
(これしきの事で『有難う』と言ってくれるなんて……!!)
新鮮だった。
逐一行動に駄目出しされる事はあっても、鬼姉達に感謝された事なんか一度も無い。むしろ感謝の言葉が彼女達の口から出たものならば―――今度は何を企んでいるのだろうと、戦々恐々としてしまうところだ。
「では少々お待ちください、姫」
少々浮かれ気味のマクシミリアンは、おどけて騎士の礼を真似て見せ―――それからその場を辞した。
その背中を見つめながらペトロネラが真っ赤になっているなどと―――姉達に『脳筋』と揶揄されるマクシミリアンには、想像も付かない事だった。
柑橘類の果汁を落とし込んだ爽やかな飲み物と、自分の為の白ワインを給仕から確保して木陰のベンチへ戻ろうとした時、鈴を転がすような楽し気な声が聞こえた。
「マックス!」
小走りで駆け寄って来る可憐な姿についマクシミリアンの目は釘付けになってしまう。
女神様の衣装のままのクラリッサが、頬を上気させて彼のもとにやって来るのを両手に飲み物を持ったまま、彼はぼんやりと見ていた。
淑女の振る舞いとしてはあまり感心出来たものでは無いが―――ヴァイス邸の奇抜な催しに浮かれるお祭り騒ぎの中で咎める視線を投げ掛ける者も殆どいない。
すっかり彼女に見惚れてしまっている自分に気が付き、マクシミリアンは瞬きを繰り返した。意識がはっきりした時には―――既にクラリッサは彼のすぐ傍まで辿り着いていた。
「クラリッサ……まだ『女神様』のままなんですね」
そう言って微笑むと、クラリッサは少し口を尖らせた。
「はしたないかしら?……今、衣装室に戻ろうとしていた処よ。マックスを見つけたから―――どうしてもさっきのお礼が言いたくて」
「さっき?……ああ『王様』の件ですか?それはこっちの台詞です。貴女に誤魔化していただかなければ―――きっとかなり気拙い状況に陥ってましたからね」
「フフフ……あの子には良い薬だわ。最近すごく背丈が大きくなってしまって、一見大人みたいでしょう?だからあしらうのが大変なの。」
年上口調のクラリッサが珍しく、何だかお姉さんぶっているように見えてマクシミリアンはクスリと笑った。装い方を選べば余裕で大人の女性にしか見えない彼女だと言う事を知っているのに―――素の彼女は……年相応の背伸びをしたがる、何処にでもいる普通の少女のようだった。
マクシミリアンが目尻を下げて彼女を眺めていると、その視線を比較的近い高さからクラリッサが受け止めた。それから一歩下がって彼の体を頭の天辺から足の下までジックリと無遠慮に眺め返したのだった。
「マックスは『騎士』役なのね……すごーくよく似合っているわ」
例え社交辞令だとしても、絶世の美少女に褒められて舞い上がらない男がいるだろうか。マクシミリアンは勿論、きっちり舞い上がった。
「嬉しいです。お世辞でも」
「いえ、本当に……―――あら?」
クラリッサはマックスの両手の飲み物に気が付いて、言葉を止めた。
「ごめんなさい、もしかしてお姉様方をお待たせしているかしら?」
「ああ、そろそろ時間かもしれないですね。実は姉達が茶会で知り合ったご令嬢を紹介してくれて、今エスコートしているんです。姉達には別のエスコート役が見つかったので俺は今日、お払い箱らしいです。彼女と一緒に次の駒役をする予定なので、ベンチで休んで貰っているのですが―――」
「あ……そ、そうなの。ごめんなさいね、引き留めてしまって……」
少し顔を曇らせて殊勝な表情で謝るクラリッサを見、マクシミリアンはクスリと笑った。
(本当に―――最初に出会った頃と別人だな。本当はこんなに素直で可愛らしい人なのに)
衝撃的な出会いを、彼は少し懐かしく振り返った。
背一杯虚勢を張って、周囲を威嚇していた少女。
初恋を貫こうと、無理に妖艶に装って―――目の前に現れた彼女の色香に中てられたマクシミリアンは、彼女の事を年上だと勘違いしてしまった。
(あの豊満なスタイルで……まさか年下だなんて想像できなかったよなぁ……)
出会いの衝撃を思い出すついでに、見事なドレスで強調された彼女の体のラインも思い起こしてしまい……胸が一瞬ざわめいた。しかしできるだけ平静を装い、彼はニコリと笑顔を作った。
「―――今日の夜会でまたお会いしましょう。……では失礼します」
簡素なお辞儀をして、立ち去ろうとした背中に―――「待って!」と、クラリッサの声が追い縋った。
マクシミリアンが振り向くと……クラリッサが気拙そうに両手を握り合わせていた。
「あの……私も……付いて行って良い?」
「あ、ああ……はい」
(そういえば、クラリッサには女性の友人がいないのだったな)
以前夜会で行動を共にしていたイレーネとエマは、クラリッサの兄『薔薇の騎士』ことカー=アドラー少尉目当てで彼女の後に付いて回っていただけで―――彼女の友人では無いのだと言っていた。
デビューして1年かそこらの少女が、あんな派手なナリをして恋敵になりそうな女性達を威嚇して回っていたのだ。気心の知れた女性の友人など出来なかったに違いない。
マクシミリアンの従妹、レオノーラと何もかも正反対に見える彼女だったが、女性の親しい友人を持たず孤立していると言う点については―――ある意味似ていると言えるのかもしれなかった。
レオノーラは研究材料さえ与えておけば友人などいらないだろうが―――クラリッサは一皮剥けば普通の無邪気で夢見がちな少女だった。きっと彼女は年の近い女性と知合いになりたいのだろう……と、マクシミリアンはクラリッサの申し出をそう、受け取った。
「大丈夫ですよ。すごく優しくて気さくなご令嬢ですから」
「……そ、そう?良かった……嬉しいわ……」
彼女はぎこちなく、微笑んだのだった。