表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/17

2.女神様と王様

「それはあの―――」


言い淀むなんて、常に率直なクラリッサにしては珍しい。

マクシミリアンは短く揃えた赤茶色の頭を傾げて彼女の瞳を見ていたが、言い籠る様子を慮ってこう言った。


「クラリッサ、無理して言う必要はありません。言い辛い事なら口に出さなくとも大丈夫です―――それより、駒役は何番目ですか?そろそろ会場に向かわなくてはいけないのでは?」

「あ、そうでしたわ。私三番目だから―――」


その時バサっと薔薇園の生垣が揺れた。


「待て!クラリッサ!」


強い口調と共にクラリッサの目の前に金髪の青年が飛び出して来た。王冠を頭に頂き、豪奢な衣装を身に着けている男だった。クラリッサの瞳が見開かれて、驚きの色を宿している。

ちょうどクラリッサに対面し、彼女とマクシミリアンの間に偶然割り込む形となった。


金髪の青年が、彼女に向けて無遠慮に手を伸ばすのが見えた。

クラリッサの危機に、咄嗟に体が動いた。


青年の背後に瞬時に詰め寄り、伸ばされた手首を持って後ろ手に捻り上げる。と同時にコンっと前のめりになった青年の足元を、片足で軽く蹴った。

ドサッと豪奢な衣装と共に、青年が地面に屈服し「ぐぅっ」と呻いた。


(あ、ヤバい)


と気付いた時には遅かった。背中から体重を掛けた仕組みが上手く嵌り、倒された少年がそのまま意識を手放した。

クラリッサに手を上げようとした悪漢を前に、つい頭に血が上ってしまった。

手加減が中途半端になってしまい、腕を取って諭すだけで事足りたのに失神させてしまったのだ。


「……マックス……」


クラリッサが呆気に取られていた。

マクシミリアンの鮮やかな、流れるような体術を初めて目にしたのだ。

溜息を吐きつつ抑えつけた悪漢を仰向かせ、マクシミリアンは心臓に耳を当てた。脈を取り手早く現状確認を行う彼を、クラリッサは茫然と見つめていた。


「咄嗟の事で手加減出来ませんでした。クラリッサ―――この乱暴な男は貴女のお知り合いですか?」


マクシミリアンに声を掛けられて、クラリッサは我に還った。

申し訳無さそうに眉を寄せ、倒れた男の素性を打ち明けた。


「あの…その子、ゲゼル侯爵家の次男で…」

「えっ!」


思わず手を放し、マクシミリアンはすっかり伸びてしまった男の体から距離を取った。今更遅いとは判っているが、たかが子爵家の次男坊が名乗らずに後ろから襲って良い相手では無い。


「無事なら大丈夫。トビアスはそこに寝かせて置きましょう。この衣装は…ああ『王様』役なのね…幸いマックスの顔は見られてはいないわ。見られたとしても、私を守る為にやってくれた事なのだから公爵家でちゃんと申し開きするから心配しないでね。……でもね、この子とんでもなく面倒な子なの。だから今は、とりあえずこのまま逃げちゃいましょう」


淑女の鏡のようなクラリッサから、このようなお転婆な提案がされると予想もしていなかったマクシミリアンは呆気に取られて彼女の顔を凝視した。

するとクラリッサは頬を朱くして、拗ねるように口を尖らせた。


「私だってトビアスじゃ無ければこんな事は言わないわ。すぐに従者に連絡して客室に運んで貰いましょう。何があったか聞かれたら上手くとぼけておくわ。どうせ私が何を言っても彼は気に入らないし、何をやってもイチャモンを付けるんだから」


小悪魔的な表情に、彼は一瞬眩暈を覚えて瞬きを繰り返した。その為彼女の言っている事をよく理解できなかったのだが、旧知らしい口振りなので対応を任せる事にした。どちらにせよマクシミリアンにこれ以上、出来る事は無さそうだ。








従者に処置を任せた後、マクシミリアンはクラリッサを盤上遊戯の開催場所までエスコートしようと手を伸ばした。クラリッサは頷いて、優雅に華奢な指先を彼の手に添えて立ち上がった。


「ゲゼル侯爵のトビアス様とは…いつから親しくされているのですか?」


親しいと言う穏やかな関係には見えなかったが、間柄が気になったマクシミリアンは、歩き出しつつそう切り出した。


「彼が小さな頃からね。彼、私の婚約者候補なの」

「…え…」


余りの事に血の気が引いた。

奇しくも鬼姉達の予言が的中してしまい、マクシミリアンは二の句を継げずに口を噤んでしまう。

そんなマクシミリアンの表情の変化を見て取ったクラリッサは、慌てて否定の言葉を発した。


「候補よ…『候補』!」

「でも…」

「クロイツ兄様が好きだったから、ずっと断っていたの。それがこの間クロイツ兄様がレオノーラ様と婚姻を結ばれたじゃない?そしたらお爺さまが、幼馴染のあの子と今度こそちゃんと婚約しなさいって言い出したのよ。……お爺さまは元々、前ゲゼル侯爵と仲が良かったから縁戚関係を結びたがっていたの」


それならば婚約はスムーズに進むのでは無いだろうか。

いや、降格になるとしても今宮廷でも勢いをつけつつあるゲゼル侯爵家の次男なら、伝統と格式のあるバルツァー家の嫡男には劣るかもしれないが、アドラー公爵家の令嬢を娶る相手として不適格と迄は言えない。……少なくとも子爵家の取るに足らない次男坊よりは、十分資格があると言えるだろう―――マクシミリアンは暗い気持ちになった。


「…それは、おめでとうございます」

「違うのっ!あんな子供、御免よ!私が嫌なの!」

「…子供?」


クラリッサの剣幕に自虐的に地面にめり込みそうになっていたマクシミリアンの自我が、少し浮上した。


「とても立派な青年でしたが…?」


その立派な青年は、マクシミリアンに一瞬で気絶させられたが。


「子供よ、子供!会う度私が嫌がるような事ばかりするし、意地悪な事を言って怒らせようとするの。私が婚約を断った事を、今でも根に持って会う度にヒドイ事ばかり言うのよ」

「それは……」


つまり、トビアスという青年はクラリッサの事を好いている―――というメッセージなのではないか。成人した青年としては子供っぽ過ぎる行動だとは思うが。


「彼がクラリッサを気に入っているという気持ちの裏返しなのでは無いですか?」

「そうだとしても、嫌!私はあんな我儘な子供の面倒を一生見るのは御免なの」

「子供って―――まあちょっと嫉妬の裏返しにしては、行動が子供っぽいかもしれませんが、もう成人されているのでしょう?」

「あの子はまだ十三歳よ、悪戯ばっかり考えている子供が婚約者なんて、絶対に―――きゃっ!」


思わずマクシミリアンが足を止めた為、彼の肘に手を預けていたクラリッサがつんのめって彼の体にぶつかりそうになる。直ぐに我に還ったマクシミリアンは、クラリッサの体を支えた。


(あっ、近い……)


クラリッサの細い二の腕の感触が、マクシミリアンの両手に伝わって来る。

体が傾いだ拍子に揺れる銀糸の髪から、爽やかな花の香が漂って来るのが分かった。


「す、すいません……」

「私もごめんなさい」


二人は向き合って見つめ合う体勢になっていた。


男性の平均より少し高いくらいのマクシミリアンと女性としては比較的背の高い部類に入るクラリッサだから、顔の距離が自然と近くなる。

ドキドキと高鳴る胸にすっかり動揺してしまったマクシミリアンを見上げ、クラリッサはふわりと微笑んだ。


「ありがとう。今も―――さっきも助けてくれて、嬉しかった。…マックスって強いのね、ビックリしちゃった」


垂れ目がちの、泣きボクロがあしらわれた美しい目元を綻ばせ、はにかむ表情に目を奪われる。上の空でマクシミリアンは返事をした。


「ああ―――うちは道場を経営しているので、小さい頃から体術を鍛えているんです。でも親族の中ではそれほど強い方では無いですよ、俺は」


嘘では無いが、正確な表現と言う訳でも無い。

コリント家の親族は強い。確かにマクシミリアンより強い人間はコリント家には沢山いるが、コリント流道場に現役で師事している者達に限定すればマクシミリアンは五指に入る強さだ。王立軍、近衛騎士団に所属する騎士達と手合わせしたとして、彼に匹敵する能力を持つ者は余程の手練れと言えるだろう。


静謐な道場を思い出すとすっと頭が冷えて、心が落ち着いた。

マクシミリアンはふうっと息を吐き出して、笑った。


(そうか。十三歳か。随分体格は良かったが…)


名高いアドラー家の公爵令嬢のお相手としては、あの落ち着きの無さと年齢では即婚約という訳にはいかないのだろう、と少し冷静になった頭で判断できた。

何よりクラリッサが「嫌だ」と言っているものを、孫娘を目の中に入れても痛く無いほど可愛がっていると評判の前公爵が、今すぐ無理強いするとは考えにくい。


「急ぎましょう。間に合わなくなる」

「ええ。ありがとう」


マクシミリアンの緊張が解れたのを感じたクラリッサは、安堵したように微笑んで差し出された硬い掌にその細い指を差し出したのだった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ