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13.伯爵子息との再会

「……マックス……ペトロネラ様……」


広間から差し込む灯に乗って楽隊の音楽と人々の陽気なざわめきが届く。明るい広間の喧噪と五色のカンテラに彩られた薄暗がりの庭と挟まれたバルコニーで彼等と対峙するクラリッサには、其処だけがまるで切り取られたように違う空間に感じられた。


何とも言えない視線を投げ掛けるペトロネラと目が合い、口を閉ざす。

早鐘のように心臓が音を立て、クラリッサの鼓膜を震わせた。マクシミリアンを見ると何を考えているか分からない静かな表情で彼女を見ていた。そしてその口が開かれそうになったその時。


「二人も独占するなんて、感心しないな」


何処か下卑た嗤いを含んだ声が掛かった。

そちらを見たペトロネラが思わず「あっ」と声を上げる。

そのの男は―――以前庭園でペトロネラに迫った伯爵家の次男坊だった。


近衛騎士と言う職に就いているだけあって肩幅のガッチリした体格の良い男だった。身なりも良く柔和な表情は女性受けするように見えなくもないが、その嗤いが全てを台無しにしていた。


「両手に華で羨ましいね―――おや?その子……」


ペトロネラに気付きその男は遠慮なく踏み出して来た。ペトロネラはビクリと体を強張らせ、今まで遠慮がちにマクシミリアンの腕に添えていただけの手に力を込める。


「以前庭園でお会いしましたね―――これは運命かな?」


無遠慮に伸ばされた手を、マクシミリアンが咄嗟に跳ねのけた。

その仕草は無礼と慇懃の中間くらいの勢いがあった。思わず無言で払いのけてしまった事をマクシミリアンは内心後悔した。サラリと躱す事も出来たのに、彼の強引な態度につい苛立ってしまったのだ。

男は一瞬不快気に眉を寄せ、それから余裕を見せるように口元を緩めた。しかし目は笑っていなかったが。


「これは心外だな。運命の再会に感動してご挨拶しようとしただけなのに―――私はキストナー、伯爵家の者だ。君は……?」

「コリントと申します」


マクシミリアンは片腕を背に回し頭を下げる簡易な礼を取った。目上の者に対する一応の礼儀だが最低限のものだ。勿論気持ちは全く籠っていない。


「……ふーん、確か子爵だったよね。俺の家は伯爵―――何が言いたいか判るよね」

「今日この方のエスコート役は私です」

「ふーん……そう」


キストナーは眉を上げてむしろ面白そうな表情を作った。


「じゃあ、こっちはフリーなんだ」


そう言ってクルリとクラリッサに向き直り、一歩下がろうとした彼女の手を強引に掴んで手袋越しの指先に口付けようとした。

次の瞬間マクシミリアンは素早い動きでペトロネラから離れ、クラリッサの手を掴むキストナーの手首を掴んでいた。


「……離していただけますか?挨拶は了承を得てから行うのがマナーですよね?」


低く唸るようなマクシミリアンの声音には迫力があった。捕まれた手首からギリギリと伝わる力には、中背の年若い男のものとは思えない強さがあって思わずキストナーは怯んだ。

マクシミリアンは夜会にデビューする少年が最初に教わる基礎的なマナーを口にしたに過ぎない。しかしそれがかえって自分を侮辱しているように感じられ、キストナーは悔しそうに口の端を歪めた。


「子爵家のくせに伯爵家の俺にマナーを教えようって?」


キストナーは痛みに耐えながらクラリッサの指先から手を離した。

するとマクシミリアンは彼の手首を離し、軽く頭を下げ一歩退いた。


「滅相もございません」


不快気にマクシミリアンを見下ろした体格の良いキストナーは、クラリッサに目を移した。そして僅かに目を見開き、ニヤリと笑った。


「こちらの美女は―――アドラー家のクラリッサ様では無いですか?」

「ええ……」


男の嗤いを不快に感じ、クラリッサはバッと扇を広げて口元を隠した。貴族社会では遠回しの拒絶を示す仕草だった。

そのメッセージに気付かないのか、それとも敢えて無視したのか―――気に留めない様子で、キストナーは彼女を見下ろしながらニヤリとまた笑みを深めた。その口元が弧を描く様子に、扇の後ろでクラリッサは鳥肌を立てる。


「麗しいアドラー家の至宝、クラリッサ様。銀の薔薇と称えられますが、実物は二つ名を凌駕しますね―――私にダンスに誘う権利をお許しください。この男は、そちらのご令嬢をエスコートしているそうですから―――独り者同士、仲良くやろうではありませんか」


急に相好を崩して擦り寄ろうとするキストナーの美辞麗句の中に、若干慇懃無礼な気配が混じっているのを感じて、クラリッサは微かに眉を顰めた。


「―――傷心、私がお慰めしますよ」


と囁くように言われ、クラリッサの顔から色が消えた。


「……おい……」


殺気を纏ったマクシミリアンが、低い声を出して一歩踏み出そうとした。




「ちょっと待った」




歌うような優雅な声が其処に割り込んでくる。


その場にいる皆の視線が、その声の主に集まった。


暗闇から徐々に輪郭を現したのはカーだった。傍らにはトビアスが控えている。

トビアスはクラリッサと二人でいる事に耐えきれなくなって飛び出したのだが、直ぐにカーに彼女を頼まれていた事を思い出した。慌ててカーを探し出し、強引に一緒にバルコニーへと戻るように急かしたのだった。




「キストナ―。君は随分経験豊富のようだね。俺の可愛い妹を―――慰められる自信があるんだから」


経験豊富が服を着て歩いているようなカーの台詞に、クラリッサとマクシミリアンはつい目を細めてジットリとした視線を送ってしまう。


当のキストナーには、心の内だけでもそんな突っ込みを入れる余裕は無い。

近衛騎士とはいえ平騎士のキストナーにとって、例え年下であっても少尉であるカーは上役である。まして身分制度を事ある毎に笠に着るキストナーには公爵家の者は頭を垂れるべき格上の存在だ。男尊傾向が高いこの国に置いて、年下のクラリッサに思い切った態度を取れたキストナーも権力も地位も実力も兼ね備えたカーを前に背筋を震わせて冷や汗を掻いた。


「え…あっ、はい、あの……」


思わず出た返事は、肯定とも否定とも取れない曖昧な物。

あからさまに怖気づき、大きな体を縮こまらせる男を楽しそうに一瞥して、カーはにんまりと笑った。


「じゃあ、しょうがないね。今日この後のクラリッサのエスコート役はキストナ―に譲ろうかな……?俺もお嬢様方に呼ばれているから、妹の相手ばかりしてられないし」

「え……?お、お兄様?」


クラリッサは目を見開いて、カーを凝視した。

キストナ―を振り返ると、先ほどまでのビクビクした態度を途端に引っ込めて、上機嫌なニヤニヤ嗤いで彼女を見下ろしている。思わず背筋をゾゾゾ……と悪寒が走り抜け、実の兄を睨みつけた。しかしカーは涼しい顔で笑顔を維持している。


「アドラー少尉……!」


マクシミリアンが非難の声を上げると、クルリとカーは彼に向き直り楽しそうに首を傾げた。


「マクシミリアン、君には今日、エスコートの相手がいるでしょ?」

「じゃあ、俺が……」


とカーの後ろに控えていたトビアスが言い掛けた台詞を無視して、カーは張りのある朗々とした声でこう、宣言した。


「そうだね、エスコートを託すその前に―――君の自信のほどを知りたいね。アドラー家の至宝と呼ばれる我が妹クラリッサをエスコートする資格があるのか……試させて貰っても良いかな?」

「は……な、なんなりと…」


キストナ―は少し嫌な予感がしたが、胸に拳を当てて頭を垂れる騎士の礼を取った。

王家の血脈アドラー公爵家の令息、近衛騎士団で上役に当たる少尉のカーには逆らうべくもない。キストナ―は何処までも身分と地位に重きを置き、長い物に巻かれる男であった。


「俺と手合わせ―――はハードルが高過ぎるから……そうだなぁ」


クスリと笑って、カーはマクシミリアンを一瞥した。


「マクシミリアン、俺の名代としてこの男と手合わせしてくんない?キストナ―、君はこのコリントに勝つだけで良い。彼は剣術に覚えがあるようだが未だ学生だからね。近衛騎士の君には造作もない事だろう?勝ちさえすれば実力を認めて―――エスコート役は譲ってあげるよ」


カーの申し出に、得たりとキストナ―は嗤った。


体格差を見れば、キストナーがマクシミリアンに負けるなどとは考えられない。

ましてやまだデビューしたての少年は騎士団に所属さえしていない。学院で心得として剣術を嗜んではいるだろうが―――毎日鍛錬を重ねている近衛騎士団の敵では無い。

キストナ―はそう考えた。


そして爵位の低い男が不敬にも彼を打ち負かそうと考える筈が無い。先ほどは女の前で粋がって見せたが、貴族社会で生きていこうと考えているなら必ずキストナ―に花を持たせようと配慮する筈だと、大きな体の近衛騎士はそこまで計算して、鷹揚な態度で頷いて見せた。


「少尉……」


マクシミリアンは、溜息を吐いて悪戯好きな美しい男を見上げた。


「カー!俺がコイツの相手をするぞ!」


トビアスが鼻息荒く前に出るが、カーは「また今度お願いするよ」と笑って彼を退けた。うっかりキストナーが高等部進学前の侯爵家子息に怪我でもさせてしまったら只事では済まされないだろう。まだ其処まで頭の回らない直情的なトビアスにこの場を任せる訳には行かないのだ。


「頼んだよ」


改めて言い含めるようにカーはマクシミリアンを見た。

その含み笑いを見て―――コリント家の次男坊は諦めたように頷いたのだった。



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