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11.侯爵家次男の事情

トビアス=ゲゼルはゲゼル侯爵家の次男坊だ。


六歳年上の優秀な兄は最近いつも難しい顔をしている。特に学院の高等部に入学してから徐々に表情が険しくなり偶の長期休みに帰省したおりも、屋敷内で彼の笑顔を見る機会は殆ど無くなった。

近頃では顔を合わせる機会も格段に減って、今では兄弟だと言うのに用事が無ければ滅多に話をすることも無い。


今年十三になったトビアスももうすぐ高等部に進学する予定だ。兄の厳しい表情を思い出すと高等部の寮生活はそんなに大変なのだろうかと不安な気持ちが湧き上がらないでもない。しかしトビアスは密かに近衛騎士を目指していたので剣術や武術、傭兵の技術を学べる事を楽しみにしていた。


昔乳母に読んでもらった―――御伽噺に出て来た騎士にトビアスは憧れていた。

囚われの姫を助け、国を救った勇者。

そんな物語に憧れて騎士になるなどと口にすれば野心家の父に鼻で笑われるか、叱責を受けるかのどちらかだと知っていたので、決して口に出す事は無かった。優秀な兄ならそんな子供染みた事は決して言わないだろう。父はいつも兄と比べて発達の遅かったトビアスをあげつらっていたから、トビアスは夢見がちな自分の本心を父の前で晒すような真似は避けていたのだ。


兄に比べて凡庸なトビアスに父が望んだのは、公爵家の至宝と呼ばれる美貌の令嬢クラリッサを取り込む事。幼い頃に初めて与えられた使命を胸に彼女と顔を合わせたその時、トビアスの胸に刻まれた使命が霞むのを感じた。


祖父の望みも、父の野望も。

目の前の美しい少女の前では霞んでしまう。


垂れ目がちな物憂げな瞳に泣きボクロ、スラリとした手足に銀の瞳と銀糸の髪。三つしか違わない筈の彼女が醸し出す色気に、幼いトビアスの脳幹は侵されてしまったのかもしれない。

優雅に淑女の礼を取る彼女を見て、その時トビアスの頭には「この娘が欲しい」ただその想いしか存在しなかった。




子供達同士を親しくさせようと庭園に放置され、保護者の目の無くなる所まで来ると、彼女の口調も態度も、高貴な淑女の雛型から少女らしい屈託のないものに変わった。

そんな様子も好ましく、この美しい少女がいずれ自分の伴侶になるのだと思うと胸が高鳴った。


ところが彼女は未だ小さなトビアスを見下ろして、こう言ったのだ。


「お祖父じい様達の言いなりに婚約するなんて有り得ないわよね。私はねクロイツ兄様のお嫁さんになる事に決めているの。トビアスは未だ小さいからこういう気持ち、分からないわよね」


初恋を知ったその日の内に失恋したトビアスは、ショックを受けて茫然と立ち尽くした。


「どうしたの?トビアス」


銀色の瞳に覗き込まれて、トビアスは真っ赤になった。

グイッと彼女の一房垂らされた銀糸の髪を引っ張って―――こう言った。


「ブース!年増!―――誰がお前なんかと結婚するか!」

「いったーい!」


パッと手を離すと、痛みと怒りで真っ赤になったクラリッサが自分を睨みつけていた。




(俺を見た)




それまでクラリッサの視線は何処か遠くを見つめていた。

物理的にトビアスを見ていても、彼女の心が求めているのは此処にいない違う人物だった。


しかし怒りに震えるクラリッサの視線の先に今いるのは―――トビアスだった。

自分を初めて真正面から映したクラリッサの銀色の瞳に、彼の心は昏く踊ったのだった。







初対面の二人の顔合わせが失敗に終わり、幼いクラリッサが幼馴染のクロイツ=バルツァーへの思慕を理由に婚約を断っても―――祖父達は諦めなかった。所詮子供の他愛無い喧嘩と二人の諍いを放置し、定期的に引き合わせ続けた。トビアスの父も野望を諦めず、成果の上がらない息子に苛立ちを示しながらも彼をアドラー家に送り出した。

そのたびトビアスはクラリッサを罵倒し、趣味の悪い悪戯を仕掛けた。クラリッサが怒れば怒る程―――その行為を止められなくなっていた。




やがて彼女が社交界にデビューする事になった。

すると暫くして彼女は年に似合わない妖艶な衣装を纏うようになり―――化粧もずっと年上の女性かと見紛うほど濃くなった。


その化粧や装いは、本来の屈託のない彼女を知っているトビアスには気味悪くしか映らない。子供も参加できるレセプションなどに母に伴われて出席した時、正装した彼女を目にしてトビアスは愕然とした。


全然似合っていないと思った。


だから更に辛辣に彼女を論い、口汚く批判するようになった。


その似合わない装いがただクロイツの気を惹くためであると気付いて―――益々腹が立った。取り巻きを引き連れて気位の高い公爵令嬢を気取るクラリッサの愚かさにも、更に苛立ちが募る。


どうしてそのままのクラリッサで居てくれないのか?好きな男の為に馬鹿な女に成り下がる彼女を目にすると身の内に怒りがこみあげて来る。―――その視線が自分に向いていないという事実を突き付けられるようで、胸が痛んだ。







クロイツ=バルツァー少尉がアンガーマン侯爵家の令嬢と婚姻式を挙げてから、彼女の様子はガラリと変わった。

トビアスの記憶にある彼女が緩やかに成長したように、表情は朗らかになり、装いも年相応の可愛らしいものに変化した。

以前夜会で取り巻きを連れて行っていた馬鹿な振る舞いも封印され、親しみやすくなったと其処彼処そこかしこで噂されるようになった。


トビアスはホッと胸を撫で下ろした。

無駄な努力をして自棄になっているような、あんな彼女を見ていたく無かったから。

昔の屈託のない笑顔を見せる、トビアスを一瞬で虜にしたあの頃の彼女に戻って欲しかったから。




ところがそう思っていたのはトビアスだけでは無かった。

彼女を憎からず思っている男性は山のようにいたのだ。

元々血統も素晴らしく所作も優雅で素晴らしい。そしてスタイルの良い見目麗しい彼女は超人気物件なのだ。言動や態度が落ち着いた現在いま、彼女に群がる輩が急増した。


妙齢の貴族男性達が彼女を囲み競ってダンスに誘い、彼女を笑わせようと躍起になるようになった。その噂はすぐに彼の耳にも届いた。

催しに出席する機会に恵まれれば、噂通り彼女が男性陣に囲まれている現実を目にしてしまう。


腹が立ってついまた嫌味を言ってしまった。


けれども彼は気付き始めていた。

もうそんな風に自分の羞恥心に負けて八つ当たりしていては―――何時いつまで経っても彼女から子ども扱いされる立場から抜け出せないと。


兄と比べて凡庸な自分に期待されているのは、クラリッサを射止める事だけ。父の期待もうっとうしかった。自分の意志では無く父に言われて彼女に言い寄るのは癪だったし、父の希望に添えず彼女の関心を惹けない自分がもどかしくもあった。だけどそんな風に外野の言葉に惑わされ、自分の気持ちを疎かにする事は―――子供のやる事だ。




だから彼は決めたのだ。




クラリッサに対して素直になる事を。

そしてこれまでの行いを謝り、改めて婚約者となって欲しい事を真摯に伝えようと。




しかしクラリッサは彼が彼女をひと気の無い場所へ連れて行こうとすると警戒して逃げてしまう。何か悪戯を仕掛けられると思い込んでいるようだ。もうトビアスはそんな子供では無いと言うのに。


これまでの自分の行いと浅はかさを呪いながらトビアスを辛抱強く機会を待った。

そしてこのヴァイス邸の催しにクラリッサが参加すると聞き及び、兄の代理としてこの催しに参加する権利を得たのだ。デビュー前であるがそうする事で夜会にまで参加する事ができた。


昼間はクラリッサに避けられ、庭園でやっと追い付いたと思ったら……何故か気を失ってしまった。気付けば客室に横たわっており、クラリッサの従者から躓いて胸を打った衝撃で昏倒したのだと説明された。

そんな事があり得るのだろうかと訝しみながらも、一応侍医の診察を受け何とか駒役の交代のタイミングに間に合い盤上遊戯に参加する事ができた。神官役で参加するクラリッサの美しい姿を見つめながら、夜会ではきっと彼女に本心を打ち明けようと心に決めていた。


カーに呼び止められ、クラリッサへの同伴を頼まれた時はあまりのタイミングの良さに耳を疑ったが―――。






そしてトビアスは今、幻想的な五色の光を眺めながらクラリッサの隣でバルコニーに寄り掛かっている。ゴクリと唾を呑み込み意を決して彼女に思いを告げようと決心した時―――彼女がバルコニーの直ぐ下に陣取っているご令嬢達を見つけ小さく声を上げた。


見覚えのあるそのご令嬢達は確か―――以前クラリッサの取り巻きとして夜会をうろついていた―――イレーネとエマという貴族女性だった。




「本当にクラリッサ様って、お子様よね。クロイツ様に袖にされて当然だわ」

「ふふ、いい気味よね……でも最近男性陣にちやほやされて喜んでいるらしいわよね。ホント、切り替えがお早いこと」



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