決意
どんなに望まなくても朝はやって来る。ベッドから出て来ないヴィットに、マリーはゆっくりと声を掛けた。
「ヴィット、朝だよ起きなさい」
まだ夢の途中に、その声は優しくヴィットを包み込む。そして穏やかな目覚めがヴィットにやって来る、その感覚は深層に問い掛ける。
「もう朝か」
目を擦り視界を復元する。
「よく眠れた?」
「あっ、うん」
「早くご飯食べてよ」
「うん」
「着替えて顔洗うんだよ」
「分かってるって」
いつもと変わらない会話、違うのはその状況だけだった。でもその現実も、マリーの声がするだけで何とかなるって思え、ヴィットは少し笑った。
「どうしたの、何笑ってるの?」
「何でもないよ。マリー、何か母さんみたいだな」
笑いながら答えたヴィットに、少し拗ねたみたいなマリーの声が続く。
「お母さんとは何よ」
「じゃあ姉さん」
「……ばか」
マリーの声は、少し笑ってるみたいにヴィットには聞えた。
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戦闘指揮を執るゲルンハルトに誰も異存は無かった。デア・ケーニッヒスからは戦闘に対する明確は指示はなく、任せるとの返事だった。攻撃に対してはデア・ケーニッヒスを盾にすればいい訳だから、戦闘隊形も自ずと明らかになる。
そして何度か小規模の戦闘を繰り返し、マリー達はブラウン高原へと差し掛かった。
高原と言うのは昔の名残で、異常な気象はその大部分を砂漠化し、その中心にあるバンスハルの街を孤立化させていた。
『この先がブラウン高原だ、各員全周警戒、見張りを怠るな』
通信機からゲルンハルトの稟とした声が入る。
「あのう……」
ヴィットが少しすまなそうに、消えそうな声で聞いた。
『何だ?』
「マリーの索敵機能が低下してるんです」
『そうか……』
ゲルンハルトの声は沈んだ、数度の戦闘でマリーはいつも最前線で戦っていた。その弊害は少しづつマリーを蝕んでいるのは、誰の目からも明らかだった。
「大丈夫だよ、ワタシは」
マリーは心配しているヴィットを労わる様に呟く。
「大丈夫じゃない、直撃も受けてるんだぞっ」
思わずヴィットは声を荒げる。
「ワタシの電磁装甲は、ちゃんと機能してるよ」
宥める様なマリーの声。
「でも最初に比べて明らかに損傷がある」
車体の傷は、ヴィットの心までも傷付けていた。
「心配しないで……」
マリーはとても穏やかな声だった。まるで自分の事を心配してくれる事への、感謝の表現みたいな声にも聞えた。
『電磁装甲は、現時点ではあらゆる砲弾に効果があるとされているわ。新型のメタルジェット弾にも有効よ。多分、マリーの電磁装甲はジュール熱型ね。かなりの発光化現象だったもの、でも直前で逸れた砲弾があるという事は磁場型でもあるかも……最強無比だけど、弱点もあるわ』
リンジーは二人の会話にそっと入り、小さな声で呟く様に話す。
『なんや……それ?』
声が少し震えたチィコだった、握るハンドルは汗でベタついた。意味は分からなくても”弱点”という言葉には、自然とココロが反応した。そこにTDが割って入る、白衣の襟を整えるとコホンと咳をして話し始めた。
『緻密な構造は衝撃やメカの損傷により、装甲システムの稼働に問題が起こる可能性があるという事だ。それに大電流を消費する為、連続防御は不可能に近い。電力供給には限りがあるからな。それに磁場型を全開で使用したら、周囲や搭乗者にまで影響が及ぶ』
「そう、ワタシの電磁装甲はジュール熱型と磁場型の混同型よ、確かに膨大なエネルギーを消耗するの。でも、局場防御には十分有効よ……大丈夫、心配しないで……ワタシは最強戦車だよ」
マリーの明るい声が、余計にヴィットを辛くさせた。サルテンバの車内ではチィコが泣きそうな顔で、TDにあっちに行けと無線機に叫んだ。
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ブラウン高原に入った所で小休止となった。
「ここが最大の難関ね」
皆がマリーの傍に集まると、リンジーが彼方まで見渡せる砂漠を眩しそうに見た。昼間の太陽は直上から降り注ぎ、ヴィットの背中に別の意味でも汗を流させる。
「まさに戦車戦の舞台だな」
双眼鏡で監視するゲルンハルトも、その体制のまま呟く。
「なぁ、マリー……痛くないんかぁ?」
マリーの痛んだ装甲を手で撫でたチィコが、眉を下げて情けない声で聞いた。
「そうね、ちょっと痛いかな」
意外なマリーの返事、それはチィコにココロを許した事にリンクしていた。
「そうなん、そやったらお薬塗らなあかん」
慌てたチィコは薬箱を取りに行こうとする。
「人の薬は効かないの……」
優しいマリーの声。
「どないしょう……」
俯くチィコのまん丸な目には、大きな涙が滲む。
「マリー、何か方法はないのか?」
聞いてたヴィットが声を上げた。
「大丈夫だから」
「我慢なんてするなよっ! 少しは弱音を吐けよっ!」
思わず大声を上げたヴィットだった。その目にも、涙が薄く滲んでいた。
「ありがとう……ヴィット、チィコ」
マリーの声は少し掠れていた。
「痛いって、本当?」
リンジーも声を掛ける。
「……ええ」
「どうして?……」
リンジーは拳を握りしめ、マリーはゆっくりと口を開く。
「ワタシは痛みを感じる、だから相手の痛みも分かることが出来るの」
「それって…………」
呆然と呟いたリンジーの横には、同じく唖然として立ち竦むヴィットがいた。
「マリーは痛いんやでっ! 分ってんのかっ! △※@♨~!」
ふいにチィコは泣き叫び走って行く、最後の方は言葉にならない。ヴィットは一瞬マリーを見てすぐに追いかける、そして砂丘の切れ目で何とか追い付いた。
「待てよ」
チィコの肩を取る、チィコは肩を捻り手を振り解いてヴィットに向き直る。そのまん丸な瞳からは大粒の涙が溢れ、太陽に反射していた。
「何、泣いてんだよ」
「ヴィットかて泣いてたやんか」
チィコは鼻を啜った。
「俺は……」
言葉が続かないヴィットは、チィコから目を逸らす。
「マリー……可哀そうやんか、痛いのに」
泣きながらチィコは肩を震わせる。それは純粋にマリーを心配している姿であり、ヴィットに正直な気持ちを浮かべさせた。
「そうだな……」
自然と笑みが出た、そしてチィコの肩にそっと手を置いた。
「なぁ……もうやめへん、帰ろ」
見上げたチィコは涙を浮かべる、ヴィットの胸の中には一つの選択肢が浮かんだ。
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「チィコもヴィットも……リンジーも、ワタシを心配してくれる」
ヴィット達の背中を見送りながら、マリーは呟く。
「マリー、前から気になってたんだけど……もしかして、一人で動けるの?」
少し笑ったリンジーが、そっとマリーの車体に手を置く。
「……うん」
肯定の言葉にリンジーは驚きよりも、違う感情が浮かんだ。
「ヴィットは知ってるの?」
「ううん……」
マリーの声は少し寂しそうに聞えた。
「そうね……ヴィット、子供だからすぐにイジけるもんね」
ヴィットの性格は知ってるつもりのリンジーだったが、マリーも感じてたんだと何故か微笑みが浮かんだ。湖が奇麗だと言い、ぬいぐるみが可愛いと言う、子犬に優しく問いかけ、ヴィットと本気でケンカする。
そんなマリーの様子がリンジーの脳裏に優しく浮かぶ。でもリンジーは振り払う様に、考えを凍結させて思う――まだ知りたくないと。
「ワタシは……」
「分かってる。ヴィット達のとこへ行こ……そして、ちゃんと言おう」
マリーの言葉を柔らかく遮り、リンジーは穏やかに言った。
「でも……」
「大丈夫、ヴィットは分かってくれる。それに、私がフォローするから」
「……分かった」
「さあ、モヤモヤなんて吹き飛ばそ」
リンジーは笑ってマリーの中に入ったが、そのメカニズムの前に絶句した。
「何なの……これ?」
掠れた声は、リンジーの喉の辺りで曲がり落ちた。
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「ヴィット、チィコ、作戦が始まるよ」
マリーの砲塔のハッチから乗り出した、リンジーが言う。
「誰が操縦してんだ?」
驚いた様にヴィットが呟く。
「マリーよ」
「えっ?」
ヴィットの思考は一瞬混乱した、でもその事に対する気持ちはリンジーの笑顔の向こうに霞んで消えた。
「マリー、一人で動けるん?」
大きな目を更に丸くしたチィコが、呆然と呟く。
「うん……」
マリーの小さな声。
「そう、なんだ……」
ヴィットの声も限りなく小さかった。
「ちょっとは成長したね」
「何だとっ」
リンジーの笑いを含んだ言葉に、ヴィットは反応した。
「マリーの気持ちが、少しは分かるって事」
”気持ち”……リンジーの言葉が、ヴィットの胸に被さる。もしマリーに表情があるなら、きっと頬を染めてただろうとヴィットは想像した。
「それより、マリー……もう止めないか」
思ってたより言葉は意外と素直に出た。
「どういう事?」
マリーの声は小さく掠れる。
「だからぁ、怖くなってきたし……まだ死にたくないし」
最後の言葉は本音に近かった、そして本音はマリーをこれ以上傷付けたくないとココロで呟いた。
「……ヴィット、そっちは前じゃないよ」
「えっ?」
マリーの悲しそうな言葉が胸に突き刺さる、自分でも後ろ向きなのは分かり切っていたから。
「ワタシはヴィットを守る。まだ、信じられない?……」
「そんな事ない、信じてる」
「なら」
「俺は……」
言葉の余韻はマリーを暖かく包んだ。本当の気持ちが、ココロの根幹にある気持ちが胸の中で巨大化する……ヴィットは拳を握り締めた。
「残念だけど逃げ道はないの。さっき離脱した人達、やられちゃったよ」
リンジーが途中で悲しそうに告げた。
「ホンマ……なら、どうするん?」
チィコがヴィットの肩を揺らす。もう後戻りは出来ないと誰の目にも明らかだった、ヴィットは拳を握りしめて丘の彼方を見詰めた。
「行くしかないの」
リンジーも彼方に視線を移す。
「でも、マリーが可哀そうや」
またチィコが悲しい顔をする。
「大丈夫だよワタシは最強戦車だから……ありがと、チィコ」
限りない優しい声が、そっとチィコを包む。静かに目を閉じたチィコは小さく、小さく頷いた。
「行くしか……ないんだな」
暫く考えた後、呟いたヴィットはマリーに視線を返す、胸に刺さった言葉を自分で抜いた。それなら、今度は自分がマリーを守るとココロで誓った。
まだ高い日差しは、マリーの車体を未来に向かって輝かせた。
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「後方からも戦車隊が迫ってるみたいだぜ」
ハンスはデア・ケーニッヒスからの通信に、呆れた様に頭を掻く。
「後戻りも面倒だな」
イワンは大きな腹を擦って大きな欠伸をする。
「前にも大軍だ」
シュワルツ・ティーガーのハッチから、ゲルンハルトは双眼鏡で見つめて呟く。
「襲撃機も団体で迫ってるってさ」
人事みたいに付け加えたヨハンが空を見上げた。
「作戦はあるのか?」
あまり期待してなさそうに、ハンスはまた頭を掻く。
「作戦か……逃げ道を探していたが、それも無いな」
ニヤリとゲルンハルトは笑う。
「マリー次第……ってことだな」
笑いながらイワンは言う、汗が額を伝うのもお構い無しに。
「そうだな……」
ゲルンハルトも双眼鏡から目を外し、溜息と供に呟きハンスも頷いていた。
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「かなりの数ですね」
デア・ケーニッヒスの艦橋では、ミューラーが双眼鏡を覗いていた。クルー達も緊張した面持ちで、各種計器などを点検していた。誰も口には出さないが、素人でも分かる状況は緊迫した雰囲気で艦橋を包む。
索敵レーダーに映る無数の機影と、肉眼でも微かに見える敵の大軍が無言で周囲を圧迫し続けた。
「敵も必死さ。だが、あれを渡す訳にはいかん」
ガランダルは、艦橋の下にある保管庫に思いを寄せた。
「そうですね、あれだけは……」
ガランダルの言葉に被せミューラーも決意した様に呟く、他のクルー達も黙って頷く。
「希望はある」
「パンドラ……ですか?」
ガランダルの声にはまだ力があり、ミューラーは展開する戦車の中に赤い車体を探した。
「ああ、不思議だが期待させてくる」
ガランダルの声は、艦橋の中に静かに響いた。
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デア・ケーニッヒスを先頭に、砂丘に横一列に並んだ各車輌にマリーの声が飛ぶ。
『作戦は一つ、ワタシが航空戦力を叩く。後は各個撃破しかないの、戦力は倍だから味方一輌で敵二輌を倒せばいい計算よ』
「まあ、そうだけど……」
呆れた様にリンジーは呟く。
「そうやん、大丈夫や」
明るい声のチィコが叫ぶ。
「襲撃機がいなければ、何とかなるかもな」
ゲルンハルトは独り言みたいに呟き、そして続けた。
「また斜めになって撃つのか?」
『今度は数が多すぎるね、奥の手使うしかないよ』
「まだあるの……」
明るいマリーの声に、溜息混じりのヴィットの声が重なる。その”奥の手”って言葉に、ヴィットの嫌な予感は最高潮に達した。
「今度はどんな技なんやっ?」
ヴィットの沈む声とは対照的にチィコの声は弾み、リンジーにも笑顔が出た。
『それは見てのお楽しみ』
自信に満ちたマリーの言葉は、そこに居る皆の気持ちを楽にさせた。まるで遊んでいる子供みたいな明るい声は、周囲の雰囲気をポジティブに牽引する。
『マリーちゃんの軽業もいいが、ハルダウンせんと簡単に全滅じゃ』
突然、笑いながらのオットーの声が各自の通信機に入る。
「なんや、そのハルノカダンとかって?」
まん丸い目をパチクリさせるチィコ。
「ハルダウンよ。戦車壕や窪地に入る事」
「そんなもん、どこにあんねん」
リンジーの説明だったが、確かに見渡す砂漠にはありそうもない。
『十時と二時の方向、十二時の場所には対戦車地雷帯もある』
得意そうなオットーの声に目を凝らすと、確かに前方には壕らしき窪みが確認出来た。
「いつの間に……」
呆れた様にゲルンハルトが呟く。
『年寄りは眠れんからのぅ』
またオットーはカッカッカと笑う。
「昨日の夜……」
ヴィットとリンジーは、昨日の夜の赤い光が脳裏を過る。
『少年よ、戦車乗りは工兵でもなきゃならん。そして力持ちじゃないと生き残れん、戦車なんて鉄の塊じゃからの。オマケに穴の掘れない奴ぁ、早死にじゃ』
オットーはまた笑いながら言った。
『各車輌、前方の壕にハルダウン。マリーとサルテンバはその場で待機。それから各車両、一発撃ったら直ぐに移動する事を忘れるな』
大きく息を吐いて、ゲルンハルトは各自に指示を送った。
「何でなんや?」
「最初の一発で敵に位置がばれる、移動しないと的になるだけよ」
まん丸い目を大きく開き、ポカンとするチィコにリンジーが説明した。
「じぃちゃん達が、せっかく掘った穴も一発分か……」
『一発必中で一輌撃破出来るのなら儲けもんじゃ。嬢ちゃんの言う通り、撃破出来る砲撃力は敵も同じなんじゃからな、逃げ足こそ生き残る常套手段なんじぁよ』
戦車壕を見て呟くヴィットに、オットーの笑い声が通信機から届く。先に見付け、先に攻撃し、先に逃げる……プリラーの言葉がヴィットの耳に木霊した。
「ヴィット、安心して。逃げ脚は誰にも負けないから」
「そうだね」
マリーの優しい声が、ヴィットの高鳴る胸を優しく包み込んだ。
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戦いの戦端は、デア・ケーニッヒスが切った。主砲の斉射で敵前衛の重戦車を先制攻撃する、双方が四つに組んだ砲撃戦が始まった。
『各自稜線射撃だ、敵の先頭集団を狙えっ!』
ゲルンハルトが他の車輌に指揮を飛ばす、サルテンバ・Kもマリーの援護に的確に動く。
「チィコ、回り込んでっ! 左翼の戦車の横に出るっ!」
「たっくっ、忙しいでっ!」
リンジーの的確な指示に、暴れるステアリングと格闘するチィコが叫ぶ。砲弾や銃弾は四方を飛び交い、爆音と硝煙が高原を支配する。
塹壕の中ではオットー達は宴会をしていた。
「ワシらの出番はまだかの?」
オットーはペリスコープから、周囲の様子を伺う。
「なぁ、あんたらマリーの内部、見た事あるか?」
同じ塹壕に入ったTDが、情けない顔で聞く。
「うんにゃ」
「見たくないのか?」
「ああ、べつに見たくないのぅ」
オットーはニヤリと笑う、その顔はTDに不思議な感覚をもたらせる。
「マリーちゃんの動きはたいしたもんじゃ」
葉巻を燻らせ、キュルシュナーが横で微笑む。
「全くじゃ……」
ベルガーもポールマンも杯を上げる。
「あれは…………天使じゃ」
笑顔のオットーが酒瓶を煽った、その言葉がTDの胸をそっと撫ぜた。
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「右前方、パンドラ高機動中。三輌目撃破……でも、まただ」
ミューラーはマリーの実況をするが、疑問もまた脳裏を包む。
「どうした?」
ガランダルは敏感に察知する。
「撃破はしたんですが、乗員が……」
マリーは撃破したが、それは敵戦車の行動不能と同義であり、乗員は暫くすると車輌から出てきた。ミューラーは首を傾げ、少し不思議そうに呟く。
「襲撃機の時も、前の戦闘でもパンドラは人の命を奪わなかったな」
ニヤリと笑ったガランダルが、マリーの後ろ姿に視線を送る。
「そうみたいですね、援護しますか?」
ミューラーは頭を掻くと、マリーに視線を向ける。
「放っておけ、それより対空監視、怠るな」
ガランダルはまだ遠い攻撃機の動向を案じた。一時の優勢など、一発で逆転されるのは必至だからだ。
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「ヴィットっ! 右っ! 端の奴っ!」
マリーからの指示が飛ぶ。
「そんな事言ったって!」
アクセルを蹴飛ばすヴィットも叫ぶ。
「あと五分っ! 襲撃機が来るよっ!」
「奥の手、凄いのかっ?!」
「死なないでねっ!」
マリーの叫びに、ヴィットの顔色が青くなる。次の瞬間、ヴィットの視界に巨大な戦車が飛び込む。車体からはみ出す巨大な砲塔、これでもかと長い砲身、メガマウスに匹敵する超重戦車スターリングだった。
「スターリングだ! 相手が悪い!」
「ヴィット! 突っ込んで!」
ヴィットの叫びにマリーが被せる。
「気は確かかっ?!」
「勿論!」
「知らないからなっ!」
半泣きのヴィットは、床も抜けよとアクセルを踏む。マリーはスターリングの砲撃など、ヒョイと超信地旋回でかわす。
「軽業師かっあっ!」
回転する車内で、またヴィットの悲鳴が轟いた。
「すれ違い様に一撃やるよっ!」
マリーの叫びに、ヴィットはハンドルとアクセルをブッ飛ばす。電光石火、マリーはスターリングの死角から一気に距離を詰めた。
そのまま至近距離からスターリングの砲身にロケット榴弾を叩き込み、対空機銃で転輪を掃射する。主砲を破壊され、履帯も大破したスターリングはただのオブジェとなった。
「あっと言う間にやっつけちゃった……」
開いた口が塞がらず、ヴィットは魂の抜けた様な顔で呟く。
「あんなのチョロイよっ」
マリーの元気な声は、驚くヴィットに千倍の勇気を与えた。そして五分後、襲撃機の第一波の急降下攻撃が始まった。
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「攻撃体制の機に砲撃を集中! 全砲門、狙うなよ! 数を撃つのが優先だ!」
ガランダルは対空砲に指示を投げる。
『止まるなっ! 動き回れっ!』
ゲルンハルトの声も各車輌に響く。
「止まれったって止まらんわっ!」
チィコが泣きそうな声を上げる。敵戦車の撃破なんてどうでもいい、逃げるのに精一杯の味方は混乱していた。
「早くやれよっ!」
ヴィットは奥の手を催促した。爆発と硝煙、煙幕が味方の陣地を覆っていた。
「まだっ! 集まってからっ!」
対空機銃を乱射しながらマリーは叫んだ。
「俺っ! どうすればいいっ?!」
「ベルトしてっ! 味方の中心に向って!」
マリーの叫びに、ヴィットは味方の集まる中心へと向かった。頭の中では、また飛ぶんだろって呟く。空の敵機は十数機に及び、次第に全貌を見せて来る。
「そんじゃ行くよっ! CFキャンセラー全開っ!」
マリーは車体の底からロケット噴射!百メートル程急上昇した所で、今度は四隅のホイールからもロケットを噴射する。四隅の噴射角度を微妙に変えると、マリーの車体は空中で姿勢を維持したまま回転を始める。
「ヴィット……ホンマに死ぬんやない?」
あんぐり口を開けたチィコが呟く。
「あの中は想像を絶するわね……」
リンジーはヴィットの為に、胸の前で十字を切る。
「人間ミキサーだな……」
冷や汗を流しながらのヨハンは呟く。
「ガ〇ラか?」
「エッ?」
ヨハンの言葉に一同が一斉に振り向く。
「何でもない……忘れてくれ」
ヨハンの言葉に、ハンスもゲルンハルトも青い顔で頷く。イワンは両手で耳を塞いだ。
次第に回転数が上がる、マリーは横方向へも動き出す。その飛行状態は、空力や重力を無視した機動で空を駆けた。
「ギャアァァ!!」
ヴィットの言えるのはそれだけだった。遠心力制御システムを全開にしても、中和しきれないGが容赦なくヴィットの体をシートに押しつける。ヨダレや涙が宙を舞う、同時にマリーの車体も各部で悲鳴を上げ、警告音とランプがトランス状態のヴィットの脳を瞬間に交差する。
コンマ数秒も掛からず三百六十度回転する主砲は、周囲から襲いかかる襲撃機をあっという間に殲滅する。逃げる敵機も、前後左右おまけに上下の三次元的超機動で簡単に追い詰めてしまう。その動きは鳥類ではなく、まさに昆虫類の動きだった。
全機撃墜には数分と掛らなかったが、ヴィットにとっては薄れて行く意識の中で永遠の時間との融合に感じた。もっとも時間を意識する前に、高速で振り回され全方向から押し寄せるGにヴィットは簡単に気絶したが……。
マリーは回転を緩めると静かに着地した。周囲の空には黒煙の中、パラシュートの花が咲いて、速い展開の途中にのんびりした風景を構築していた。
『ヴィット……生きとる?』
チィコの通信も、目を回したヴィットには届かない。
『敵は怯んでる! チャンスよ!』
マリーの声に皆、我に帰る。
「確かにな」
呆然と呟いたゲルンハルトの目前では、これまた唖然と空を見上げ攻撃を止めた敵戦車の姿があった。ノビてるヴィットを乗せたまま、マリーは直ぐに攻撃を開始した。
チィコやゲルンハルトも素早く敵を殲滅する。そして敵の数も味方の数の半数になり、戦況は俄然有利になったと思われた頃、リンジーの叫びが通信機に炸裂した。
『何っ?! あれっ!』
「新手かっ!」
ゲルンハルトは、ペリスコープの先に奇妙な影を見た。それは戦車の車体に人の上半身みたいな四角い体、顔の部分に相当する場所には砲身の短いマリーの様な主砲、胸と背中の部分には四つづつの機関砲があった。
胴体には両腕があり片方には盾、もう片方の腕の先には四本の銃口が自由な角度で機関砲弾を発射する姿があった。
『対地対空殲滅戦車、JSU―5047……通称ケンタウロス』
マリーの真剣な言葉に、息を呑んだゲルンハルトは呟く。
「全身が武器だな」
「動きも良さそうだ」
ハンスもペリスコープから目を放さない。
「デザインした奴の顔が見たいね」
人事みたいにイワンは言ったが、笑顔は無かった。
「ガンタ〇ク……」
「えっ?」
ヨハンの呟きに、また一同が一斉に振り向く。
「度々すまん……」
ヨハンは耳まで真っ赤になり、一同も虚ろな目で知らん顔をした。




