噴射剤
医務室に着いて直ぐ、ヴィットは目を覚ました……と、言うより飛び起きた。
「そら、起きるわなぁ~」
頬杖を付いたチィコは、目を細めた。原因は”注射”であり、ヴィット最大の弱点だったから。
「どわぁあ~いっ痛てぇ!……まっ、マリーは?!」
最大の弱点よりも、目を覚ましたヴィットにはマリーだった。
「大丈夫、コンラートとTDが修理を始めてるから」
医務室に戻ったリンジーは、小さく微笑んだ。
「そうか……」
ドスンとベッツドに倒れたヴィットは、大きな大きな安堵の溜息を付いた。注射器を持ったまま、苦笑いのガーデマンはリンジー達に説明した。
「ほら、おでこのタンコブ。咄嗟に自ら失神して仮死状態になったんだ……それで酸欠の状態でも助かった」
「何や、違うと思うなぁ~ヴィット、ただの慌てん坊やで……」
「……多分、チィコが正解。マリーが急上昇したんで車内を転げただけですよ。大体、この無鉄砲でスットコドッコイで、ノー天気のウンコたれに、そんな芸当なんて無理ですから」
腕組みしたリンジーは、溜息交じりに言った。
「”遠慮”と言う言葉は、陸に置いて来たみたいだな……ちっとは怪我人に優しくしろよな」
苦笑いのヴィットは、そのままベッドを出ようとした。
「ヴィット、まだ寝てなきゃ」
流石に慌ててリンジーが止めようとするが、ヴィットの頭は既にマリーの事で一杯だった。
「噴射剤さえあれば、こんな事は起こらないんだ!」
大きく胸を張るヴィットの言葉に、リンジーの目がテンになった。
「えっ?」
「だから、浮上出来なくてもロケット噴射で、はいっ! 生還! だっ!」
鼻息も全開! ヴィットの笑顔も全開だった。
「確かにそうだけど……」
ほんの少しだが、リンジーは嫉妬した。ヴィットの目には、マリーしか映ってないのか? と。
「噴射剤なら、補給出来るかもしれない」
「本当ですか?!」
ガーデマンの言葉はヴィットにとって、思考の最優先事項だった。
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「ヴィット! 寝て無くて大丈夫なの?」
格納庫に来たヴィットを見付けると、マリーが声を上げた。だが、リンジーとチィコが微笑んで付き添っているのを見ると、少し安心したマリーだった。乗員とゲルンハルト達が総出でエレベーターを元に戻し、格納庫に移動したマリーの修理は既に始まっていた。
「大丈夫だよ! TD! 超長距離通信出来る?!」
ヴィットは元気全開でマリーに答えるが、ハッチから顔を出したTDは少し元気が無かった。
「済まなかった……」
「何、謝ってるんだ?」
満面の笑顔のヴィットには、TDの謝る理由が分からなかった。
「私の責任でマリーと君に……」
「コンラート! 噴射剤が手に入るんだよ!」
続けて出て来たコンラートが俯き加減で謝るが、ヴィットは途中で遮って思い切り笑顔を向けた。
「ヴィットは少しも気にしてないよ……あなた達のせい、なんて微塵も思ってないから」
マリーの優しい言葉は、TDとコンラートを救った。
「だから、TD! 長距離の通信出来るの?!」
「何だよ、マリーの通信機なら、外部アンテナさえあれば地球の裏側でも大丈夫だよ」
満面の笑みのままヴィットが叫ぶと、TDは困惑しながら答えた。
「直ぐに頼むよっ!」
「全く……」
苦笑いのTDは、艦橋からマストまで伸びる空中線にコードを繋ぐ作業に入った。
「何だ、嬉しそうな顔で?」
満面の笑みを浮かべるヴィットを、ゲルンハルトも笑みを浮かべて見た。
「噴射剤を補給出来るかもしれないんです」
「ほんとか?!」
かなり遠くにいたイワンが、脱兎の如く走って来た。
「ああ、ガーデマンさんが教えてくれた。海賊で持ってる奴がいるんだ」
”なんて地獄耳だ”と言う言葉を飲み込んで、ヴィットは笑顔で言った。
「海賊?……頂戴って言って、くれるのか?」
ハンスは笑いながら聞くが、ヴィットは真顔で答えた。会話には入って来ないが、当然ヨハンは聞き耳を立てていた。
「くれなきゃ、もらうさ!」
「……これだからな」
何時もの見切り発車、ヴィットに作戦や下準備など存在しない事は、付き合いの長くなったゲルンハルトには分かり、大きな溜息を付いた。
「ヴィット、無理しないで……」
「何が無理だよ! マリーの為なら、何でもやるさ!」
心配声のマリーに、ヴィットは満面の笑顔を向けた。リンジーは、マリーの車体にそっと、手を置くと聞こえない位に小さく呟いた。
「……マリー……よかったね」
マリーには聞こえたが、敢えて何も言わなかった。
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「出来たよ。で、何処に通信するんだ?」
微調整を終わらせたTDが、マイクをヴィットに手渡した。
「ミネルバ! 出来る?」
「何ですと!? 周波数もコールサインも分からないんだぞっ!」
「天才TDなら出来るだろ?!」
「まぁ、出来るけど」
「ホンマ、単純やな……」
照れるTDの横でチィコが溜息を付くが、リンジーは胸の片隅に痛みを感じた。
『何の用だ?』
通信に出たミネルバは、ぶっきらぼうに言った。
「噴射剤がいるんだ! アンタなら持ってる海賊を知ってると思って」
『海賊? 通信にノイズが混ざるが、今どこにいる?』
「海の上だ、ルーテシアに向かってる」
『ルーテシア? 確かに、あの海域は海賊の巣だ……まんまるの為か?』
ミネルバの声は笑ってる様に聞こえた。
「船には積んでないんだ! 敵はフリゲートや潜水艦なんだ、飛ばないと戦えないんだ!」
思わずツバを飛ばすヴィットに、溜息交じりのミネルバが答えた。
『ったく……現在地は?』
直ぐにリンジーが海図を見て、正確な位置を知らせた。
『その位置なら、ルティーだな。新進気鋭の海賊だ。”超”の付く新しい物好きだから高確率で噴射剤は持ってる』
ミネルバからの位置情報では、近くはないが行けない距離でもなかった。
「ありがとう! 恩に着るよ!」
『それは、噴射剤を手に入れてから言え。ルティーは変人だ、一筋縄ではいかないぞ……それじゃ、まんまるに宜しくな』
通信を切った後のヴィットの目は、キラキラ★を団体で浮かべていた。
「ヴィット……あのね……”まんまる”って言ったのに……スルーなの?」
「えっ? 何?」
モジモジとするマリーの言葉は、今のヴィットには通じなかった。
「ところで、じいちゃん達は?」
一段落したヴィットは、オットー達の姿が見えない事に気付いた。
「あれでも一応は、お尋ね者だからな……君とマリーが助かったのを見届けると、忽然と消えたよ」
「本物の妖怪じじぃだな……」
溜息交じりのゲルンハルトの言葉に、更に大きな溜息のイワンが被せた。




