スツーカ大佐
艦尾から真っ直ぐに侵入してきた黒い機体は、急に高度を落とした。そして、飛行甲板と平行になるほど高度を下げると、突然エンジンを切る。
当然、重くて翼面荷重の大きな機体は失速する。だが、殆どゼロ高度であり、二三回の軽いバウンドで機体は簡単に着艦した。
「アレスティング・フックは付いてるみたいだけど、必要ねぇな」
「ああ、あれなら何処でも降りられる」
唖然とハンスは呟き、頷くゲルンハルトも唸った。
漆黒の機体の垂直尾翼には牡牛の髑髏が輝き、風防を開け出た来たのは精悍な顔つきの男だった。鍛えれた上半身、鋭い眼光、だが機体から降りた男の右足は義足の様だった。
「スツーカ大佐……」
「知ってるんですか?」
顔色を変えるゲルンハルトに、ポカンとヴィットが聞いた。
「戦車乗りにとっては悪魔みたいな男だ。撃破車両は、おそらく千台を超えてる」
「ハインス・リーデル……空の魔王、世界一のタンクキラーさ」
真剣な顔のゲルンハルトに続き、ハンスも顔を曇らせ補足する。
「牛乳好きの、体操好きだって聞いたぜ」
「その情報はいらん」
嬉しそうに付け加えるイワンに、溜息交じりのヨハンが呟いた。
「君かな? あの赤い戦車の操縦者は」
リーデルは真っ直ぐヴィットの方に向かった。
「あっ、はい」
「噂は聞いている……正直、複雑だよ……出来れば戦場で会いたかった……敵、としてね……そうだ、名前を聞いておこう」
言葉の間に余韻を挟み、迫力のある声はヴィットの背筋を伸ばさせた。
「あっ、はい、ヴィットです。こっちはマリーです」
そんなヴィットを見て、リーデルの鋭い眼光が一瞬穏やかになった。
「こんにちは、リーデルさん。最強戦車のマリーです、宜しくお願いします」
緊張気味のヴィットとは関係なく、マリーは明るく挨拶した。
「最強戦車か……こちらこそ宜しく」
少し微笑んだリーデルは、一礼すると艦橋の方に去っていった。
「ゴメンね、大佐は嬉しんだよ」
眼鏡で細面、優しい表情の男が機体の後部座席から降りて来た。
「はあ、そうですか……」
頭を掻くヴィットだった。
「私は後席のガーデマンです。一応医者です、怪我した時は言ってね。あっ、宜しくね、マリー」
緊張するヴィットに微笑み、マリーに手を振るとガーデマンも艦橋の方に去って行った。
「エルンスト・ガーデマン……旋回機銃の神様だ」
ハンスが解説するがヴィットは、まだリーデルの迫力に圧倒されていた。
「何、如何に空の魔王でも、天使のマリーちゃんには敵わんわい」
そんなヴィットの背中を、オットーが叩いた。振り返るとそこには、海からの光を乱反射させた、輝くマリーの”おしゃれ迷彩”があった。
「大丈夫! ワタシは最強戦車だよ」
マリーの嬉しそうな声は、ヴィットに勇気をもたらせる。世界一のタンクキラーが、マリーの事を知っている……そして、そのマリーと自分は一緒に戦って来たのだ。
”自信”は時として、自分以外から授けられる……今、ヴィットの視界は頼もしいマリーで一杯だった。
そんなヴィットの様子を心配顔で見詰めたいたリンジーも、マリーに視線を移すと心配なんて大空に溶けた。
「さて、私の部屋は何処?」
マリーの砲塔に仁王立ちになったタチアナが、周囲の余韻なんて関係無しに聞いた。
「はい、それでは艦長室をお使い下さい」
いきなり高飛車のタチアナにも、ハイデマンは丁重に対応した。
「掃除は出来てるんでしょうね?」
「もちろんですよ」
タチアナの後ろから付いてハイデマンは艦橋に向かい、慌ててセルゲイが付いて行った。そんなタチアナの背中に、チィコとリンジーが”ベー”と舌を出し、その様子はヴィットを笑顔にさせた。
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ヴィット達はオペレーションルームに集められていた。何故か艦長の椅子にはタチアナが座り、気に入らないリンジーがヴィットの腰を突く。
「何だよ?」
「見てよあれ」
「仕方ないさ、依頼主様だからな」
「まぁた、仕方ない、か……」
文字通り仕方なさそうなヴィットの態度を見て、リンジーは溜息を交え小さく呟いた。
「今回のミッションは、タチアナ嬢を無事にルーテシアに送り届ける事だ。航海は七日間を予定している。そして、艦内ではタンクハンター諸君も一応は、お客様だ。海上での戦闘は我々に任せて、よい船旅を……」
「私達も一応護衛です、何かお手伝いさせて下さい」
艦長席で薄笑みを浮かべるタチアナに腹が立ったリンジーが、立ち上がってハイデマンに迫った……当然、頭の上からは湯気を出している。
「よせよ……」
ヴィットが止めようとするが、イワンが青い顔で止めた。
「お前こそ、よせ……ひっ……」
そんなイワンをリンジーが鬼の様な形相で見た。
「ほう、戦車が海上で何が出来るのかな?」
少し笑ったハイデマンがリンジーを見た。ヴィットは前に巡洋艦と戦った事を思い出すが、同時にTDの言葉も思い出す。それは、乗艦して直ぐにTDから聞いた事だった。
(この艦には航空燃料はあるが、マリーの噴射剤は積んでない様だ。空中戦は最後の手段だよ……補給は港に着くまで出来ないからね)
「飛行甲板に固定して頂ければ砲台になります。イワンは、ああ見えても射撃は超一流ですし、私達のサルテンバの主砲も最大仰角45度で対空射撃が出来ます」
「ああ見えてもって……」
直ぐにリンジーが答え、イワンが苦笑いする。だが、ハイデマンは笑顔のまま返答した。
「お嬢さん、海賊の場合、兵器はフリゲートや潜水艦なのです……流石に戦車砲では」
「でも……」
本当はリンジーにだって分かっていたが、タチアナの手前黙っていられなかった。
「海賊が根城にしている島々には滑走路があり、航空機での攻撃もあると聞いてます」
「対空兵器は数が勝負じゃ。お飾りの高角砲なんて当たらんと、船乗りが一番知っておろう……戦車砲の速射能力はのぅ……ウップ……」
俯くリンジーを見てゲルンハルトが助け舟を出し、オットーも眼鏡を光らせるが突然青褪めるとマリー並のスピードで部屋を出て行った。
「他のじいさんと同じく船酔いだとさ……殆ど揺れてないけど……」
「……さっき、格納庫で宴会してたし……」
呆れ顔のハンスだったが、ヴィットも呆れ顔になった。
「固定砲台とは良い意見だ。せっかくの戦車を格納庫の置物にするのは勿体ない」
腕組みしたリーデルが、リンジーの意見に賛成した。
「まあ、小型艦艇の海賊もいますし、その時はお願いします」
リーデルに言われ、ハイデマンは愛想笑いで頭を掻いた。
「所で君は飛行機を撃墜した事はあるかね?」
急にリーデルがヴィットに話を振るが、ヴィットは直ぐに答えた。
「はい……と言っても、俺は操縦で火器管制はマリーですけど」
少し視線を落としたヴィットの手首には、マリーのレシーバーが赤いランプを点滅させていた。
「マリーは凄いんやでぇ! あのシュルシュル何とか言う攻撃機とかな、タココロスとかもやっつけたんや!」
それまで黙っていたチィコが、マリーの名前を聞いたとたん、鼻息も荒く立ち上がった。
「タココロスって……何か、違うやつみたいに思える……シェトルモビクにイカロスです……」
苦笑いのヴィットが訂正すると、リーデルの顔色が変わった。
「あのイカロスを墜したのか?」
「まあ、正確には墜したのはミリーですけど」
照れる様にヴィットは頭を掻いた。
「ミリー……?」
『妹です。最強戦闘機なんですよ』
今度はヴィットのレシーバーからマリーの声がした。
「まさか、赤い戦闘機か?」
『はい』
「そうだったのか……」
納得した様に頷くリーデルは、もう一度ハイデマンに向き直った。
「艦長、面白くなってきたぞ」
「あんまり、面白くして欲しくないなぁ……」
ハイデマンは苦笑いで頭を掻いた。その場はなんとなく和んだが、ヴィットはタチアナの視線が気になっていた。どうせ途中で口を挟むんだろうと思っていたが、何も言わずに、なんとなく穏やかな視線で、ずっと自分を見てた様な気がしたから。




