実戦
ゲルンハルト達も艦砲相手では、逃げるので精一杯だった。途中でマリーの言葉に閃き、周囲の戦車にデア・ケーニッヒスの影に隠れる様に指示した後に、小さく呟いた。
「まさか戦艦とやり合うとはな……」
「艦砲の前じゃ、戦車砲なんて花火みたいなもんだ」
イワンは周囲の惨状に顔をしかめる。
「あいつら、何をやる気なんだ?」
少し笑って、ハンスはマリーの背中をペリスコープ越しに見ていた。
「さあな。戦艦はマリーに任せて、前方、敵の右翼を突く」
言葉の後半は凛としたゲルンハルトだったが、感じた事があった。戦闘開始から時間は経つが、デア・ケーニッヒスは被弾どころか至近弾も無い。狙えないのか、狙わないのか……と。
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マリーは微速ながら敵戦艦に近付いていた。相変わらずの至近弾に大きく揺られながら。
「何とかならないのか? このままじゃ脳みそがグチャグチャだっ」
あまりの揺れに、ヴィットは泣きそうな声を出す。
「当たるよりましでしょ」
マリーは距離と詰めようと、必至でもがいていた。穏やかな水面なら、なんとか速度を出す事も出来る。しかし砲弾の爆発で沸騰した鍋の中みたいな大荒れの水面では、推進力も適切には伝わらない。
それでもなんとか射程内にたどり着いた。しかし、その一瞬の安堵に戦艦の副砲が照準を付ける。
刹那っ! マリーは車輪のホイール部分からロケット噴射する。
「ぐぇっ!」
ヴィットは呻きと叫びの混ざった悲鳴を上げる、ハンマーでブッ叩かれた様な横方向への強烈なGが襲い掛かる。次の瞬間、砲弾がマリーの横スレスレで炸裂し破片の衝撃や轟音がマリーの車体に激突する。
「何だっ?!」
コンマ数秒後にヴィットが叫ぶ。
「奥の手よっ!」
マリーが大声で答える。
「体に悪いなぁ~」
首を素早く振って、ヴィットはボヤける視界の回復を目指す。
「お返しだっ!」
マリーはロケット榴弾を発射する。戦艦の舷側に命中、爆発するが大した効果は見られない。戦車なら一発で大破だろうが、あまりにも相手が大き過ぎ致命傷にはならない。
「効かないぞっ!」
「主砲をなんとかしないと、チィコ達が危ない!」
ヴィットの叫びを越えて、マリーはロケット榴弾を発射しながら叫ぶ。
「戦艦の装甲だ、俺達の武器なんて無力だよ」
泣きそうな声のヴィットだったが、マリーの声には”張りが”があった。
「そうね、でも」
「何か、方法があるのか?」
「ひとつだけ……身体は丈夫だよね?」
マリーの言葉にヴィットは肩をすぼめる、嫌な予感はしても後戻りなんて出来ない。
「もう、何でも驚かないよ」
「それじゃっ、シートベルト!」
「わぁ、待って待って」
ヴィットは急いでシートベルトを締める、慌てた手が交差する。
「行くよっ、トップアタック!」
大声と同時に、マリーは底面からのロケット噴射。同時に車体後部より、発煙弾を全弾発射する。マリーは打ち上げ花火みたいに上昇した。ヴィットの受ける衝撃は想像を絶する。
掛るGは全身を爆発的に圧迫、しかし弾道飛行の様に軌道の頂点でヴィットは一瞬無重力を体験する。
マリーは軌道の頂点で四隅のホイールのロケット噴射、見事に姿勢を制御する。煙幕に惑わされ、戦艦からの猛烈な弾幕も的を絞れない。それでも流れ弾の対空弾がマリーの装甲を、ギンっとかカンっとかガンっとかの音で叩く。
そして今度は空中で下を向き、主砲塔の天蓋をロケット榴弾で攻撃する。あっと言う間に三基の主砲を撃破、しかし、マリーも水上に巨大な水柱を上げて落下した。
落ちる感覚はヴィットの内臓を強烈に圧迫し、浮き上がる時には猛烈な吐き気と闘った。
「凄い技……だけど、最後が、間抜けだなぁ」
身体の屈伸をし、言葉を途切れさせたヴィットは苦笑いする。
「間抜けとは何よっ、ちゃんとやっつけたでしょ」
ゆっくりと浮上するマリーは、一面の泡の中で少し怒った声で呟いた。
「また喧嘩してるわ……」
「確かに凄い攻撃ね」
「そやな……墜落はブ様やけど」
チィコとリンジーは、望遠鏡の最大望遠で状況を見ながら大きな溜息を付いた。
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「しかし、何てぇ攻撃だぁ。空中で照準なんて出来るのかぁ?」
双眼鏡から視線を外し、イワンは開いた口が塞がらない。
「滅茶苦茶だ……」
「大丈夫か乗ってる奴?……」
同じく、双眼鏡で見ていたハンスやヨハンも呆れる。
「戦艦主砲の弱点は天蓋しかない。さて、敵の地上部隊も後退を始めた。油断するな全周警戒、もうひと押しだ」
腕組みしたゲルンハルトは、もう一度双眼鏡で見てニヤりと笑った。
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「戦艦の主砲を撃破しました」
副官のミューラーは双眼鏡から外した顔をガランダルに向け、唖然と呟いた。
「見てたよ」
ガランダルも苦笑いで呟く。
「戦艦、三時方向、向かって来ますっ!」
「九時の方向っ! 距離一万七千っ! 機影三機っ! 襲撃機ですっ!」
各索敵員から声が飛ぶ、その顔々は怯えを隠さない。
「対空戦闘用意。対空機銃は狙わなくていい、撃ちまくって下さい。主砲は射程に入り次第、戦艦の司令塔を斉射」
ミューラーの指示は的確で、各クルーに安心感を与える。
「さあ、パンドラはどうするか?」
ガランダルは遠くの空と遥か沖合を、少し笑みを漏らし交互に見詰めた。
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地上戦はどうにか味方に有利に傾き始めていた。奇襲により一時は混乱したが体制さえ整えば各個撃破を得意とする味方戦車達は、その戦闘能力を発揮し始める。
被弾して動けない戦車に、マチルダはヨタヨタと近付く。よっこらと降りたオットーは、ニコやかにペリスコープを覗き込む。
「ほれ、早よ脱出せんと爆発するぞ」
「ハッチが開かない! 助けてくれ!」
中の乗員が泣き叫んで助けを求める。
「どれ、下がりなさい」
オットーはハンマーでハッチをブッ叩く。至近弾ですぐ傍に爆煙が上がるが、そんなものはお構いなしに叩き続ける。
ベルガーやポールマンも、付近の立ち往生した戦車にハンマーを振る。キュルシュナーだけはマチルダの上で、優雅に葉巻を燻らせていた。
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『聞いたな? 空からのお客さんだ』
ゲルンハルトはリンジーに連絡を入れた。
「やばいね」
リンジーは身を固くした。戦車の最大の敵は飛行機であり、襲撃機は全身を装甲で覆い対空機銃なんて意味を成さない。
「あかん、サルテンバ・Kには対空装備なんて無いねん」
チィコも少し震えながら空を見上げた。
『デア・ケーニッヒスの弾幕に隠れろっ! 合図で発煙弾、ありったけ発射だっ!』
ゲルンハルトは他の戦車にも退避を叫ぶと、全速でデア・ケーニッヒスから距離を取る。
「逃げよったで……」
「あれしかないの。戦車の主砲なんて最大仰角は知れてるから真上は最大の弱点、迎撃には距離を取るしかないのよ」
リンジーはチィコのボヤキに、少し寂しい声で答えた。
「でも、シュワルツ・ティーガー狙い撃ちされるで」
「そうね……」
リンジーの声はペリスコープの彼方に沈んだ。
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「怒ったみたいだぞ」
全力で陸地に向うマリーを火災と煙に覆われた戦艦が追う、ヴィットの声が震える。
「そうみたいね」
マリーは人事みたいに言う。
「追いつかれるよぉ、追う前に火ぃ消せよう」
ヴィットは焦っていた、背後からは物凄い勢いで迫る戦艦。その炎と黒煙は、怒髪天を突く戦艦の怒りを象徴しているみたいだった。
「いくらワタシが遅くても、戦艦なんかに負けない。それに正面向いてるから、副砲もあまり使えないよ」
確かに砲撃は少なく、マリーの声は落ち着きを取り戻していた。
「それに、もうすぐ完全射程。下手でも当たるから」
続けてマリーは言う。
「何だとっ?」
意味の分らないヴィットだったが、数秒後に戦艦の司令塔が大爆発した。
「ほらね」
マリーの嬉しそうな声、戦艦は速度を落とし追撃を断念した。
「死ぬかと思った……」
ヴィットは大きく長い溜息で、身体中の恐怖とプレッシャーを吐きだした。砲撃の治まった湖面は鏡面の落ち着きを取り戻し、マリーはスピードを上げる事が出来た。
そして、マリーは襲撃機の飛来を探知し、加速を続けていた。やがて陸地がすぐそこに見えた時、煙幕に急降下する機体がヴィットの視野に飛び込む。
「襲撃機だっ! また飛べよっ!」
ヴィットが叫ぶ。治まりかけていたアドレナリンは、また全開で湧き出す。
「ダメっ! もう噴射剤が無いのっ!」
叫ぶマリーは対空機銃を連射する、射程ギリギリで効果はなくても攻撃の妨害にはなる。襲撃機の攻撃で厄介なの機関砲の掃射だった、超低高度からの三十七ミリ対戦車機関砲は、装甲の薄い戦車の上部構造を簡単に貫通撃破出来るのだ。
対空戦車やデア・ケーニッヒスは全力応戦していたが、航空機の前では明らかに劣っていた。
「当たれっ!」
「ありゃプロだっ!」
イワンとヨハンは対空機銃を乱射しながら叫ぶ。
「嫌な感じだぜ!」
全速で回避運動しつつ、ハンスも叫ぶ。歴戦の勇士ゲルンハルトでも、襲撃機相手の戦闘では分が悪い。
対戦車砲は低高度では目標が速すぎて照準が追い付かない、直上に回り込まれたら砲の仰角が届かない。対空機銃で弾幕を張り、防戦するのが精一杯だった。
「あんなヘロヘロ弾、当たらんわな~」
回避運動をしながら、対空戦車の攻撃を鼻の穴を膨らませてチィコが罵る。見越し射撃など程遠い、低速のレシプロ襲撃機にさえ弾道は遥か彼方だった。
「砲塔旋回遅すぎっ、それに光学照準じゃねっ! 下手な鉄砲も期待薄ね!」
リンジーも叫んで撃ちまくる。が、その手は冷や汗で溺れていた。
後ろから押したくなる衝動を耐え、マリーはなんとか上陸する。そこは水を得た魚、丘に上がった最強戦車。ヴィットはアクセルを蹴り飛ばし、マリーは全力加速で砂の爆煙を上げて突進した。
『生きてるかっ! チィコ! リンジー!』
ヴィットとマリーの叫び声に、リンジーとチィコが何故か落ち着いた声で答える。
「何とか……」
「まだ生きとるで」
『そのまま動かないでっ! ヴィット! サルテンバに乗り上げてっ!』
マリーの叫びに、チィコは思い切りブレーキを蹴飛ばす!
「今度は何だっ!」
ヴィットは叫びながらサルテンバに乗り上げる。視界は天を向き、マリーはその状態で車体を固定した。
「だぁっ!」
ヴィットが後方に転げ落ちる。
『敵機直上! 二機急降下!』
リンジーの声が飛ぶ。
「いただきっ!」
マリーのロケット榴弾が火を噴く、二機は上空で爆発炎上した。パラパラと残骸が落ちて来て、襲撃機から脱出したパラシュートは風に乗って空を舞う。
「もう一機は?」
リンジーが空を見上げる。
『あそこ……』
マリーが示した方向には、デア・ケーニッヒスの弾幕に傷つ付いた機体にシュワルツ・ティーガーの主砲が命中する所だった。
「当てるなんて、さすがね」
リンジーはニヤリと笑う。
『そうね、空中移動目標に完璧な照準』
マリーも声を和らげる。煙幕の晴れた周囲には生き残った味方戦車と、残骸や砲弾の炸裂した新しい地面、そしてまだ残る燃えかすの煙がゆっくりと漂っていた。前方の敵も味方戦車に押し戻され退却し、戦闘は終結した。
「これまた凄い技ね……」
ゆっくりとサルテンバから降りるマリーに、振動の中ハッチから顔を出したリンジーが呆れた様に呟く。
「ワタシの仰角も精々四十五度だもん。これならリンジーにも出来るよ」
マリーは笑い声だったが、リンジーは溜息を付く。
「垂直に近い角度で、どうやって次弾を装填するのよ?」
「あは、そうか。ワタシの装填装置、砲身角度は関係ないのよね」
「全く……サルテンバ・Kも自動装填だけど、レベルが違うよ。でも、ローテクだね撃ち方は」
リンジーは大きな溜息で言う。
「そうだね」
マリーは笑い声だった。
「ヴィットの声がせえへんけど」
操縦席のハッチから顔を出したチィコが呟く。
「忘れてた……」
チィコの声にマリーはやっと気付いた。ヴィットは垂直になった拍子に、車内を転げ気を失っていたのだ。そして、やっと起きたヴィットは慌てて周囲を見回す。
「何だっ! どうなった、状況はっ!」
「終わったよ。それと、最後までシートベルト外さないでね」
マリーの穏やかな言葉、タンコブを擦りヴィットも笑った。
「さすが最強戦車だな、マリー」
近付いてきたシュワルツ・ティーガーのハッチで、ゲルンハルトが笑った。
「あなたの射撃も噂通りね」
マリーも答える。
「あんた、凄いよ。俺はハンスだ」
降りてきたハンスも笑顔で言う。
「俺はイワン、どこであんな戦法習った?」
イワンもハッチから顔を出し、笑いながら言う。
「俺はヨハンあんた、戦艦や襲撃機とか怖くないのか?」
呆れ顔のヨハンも呟いた。
「はじめまして、マリーです。怖いですけど、最強戦車ですから。その、戦法は……教則本で」
マリーのジョークに皆の笑いが激戦の後が残る荒野に響いたが、ヴィットの脳裏に急な不安が襲った。
「じいちゃん達はっ?!」
「あそこよ」
マリーの穏やかな声は、遠く健在なマチルダに繋がっていた。ヴィットの初めての実戦は終わった。感想を聞かれても多分ヴィットはきちんと答えられないだろう。
行き成り始まり、行き成り終わっただけ。正直な感想なんて分るはずないって、ヴィットはぼんやり思っていた。




