曲技
急降下しながらのバーティカルキューバンエイト(縦向きの八の字飛行)は短い時間でGの方向が変わり、前後左右からの圧迫がヴィットの体中の骨を軋ませた。
ミリーはエルロン・ロール、シャンデル、スライスバック、インメルマンターン、ヴァーティカルローリングシザースなどの空中戦機動を次々に披露する。
頭の中をミキサーで撹拌され、体中の体液も同じ様に掻きまわされる。ヴィットが意識を失わないでいられたのは、マリーによる超高機動の飛行を経験していた事もあるが、何より耐え抜くと決めた、強い意志にゆるものが大きかった。
「普通の人なら、とっくに失神だけど……やるね」
高機動中のミリーは、嬉しそうな声で言った。
「あたり、まえだ……」
声を途切らせヴィットは呻き声で言うが、猛烈な頭痛と吐き気は容赦なくヴィットを蝕んでいた。
「そんじゃ、行くよ」
水平飛行からミリーは大きな弧を描き、反転を開始する。今までに無い巨大な圧力は横になった状態で、物凄い数の布団を掛けられた様な感じだった。息が出来ない、なんとか目を開けた視界は色が無くなりグレーの視界を作った。
やがて意識は朦朧となり、意識が遠くに向かい歩き出す。ヴィットは物凄い力で押し付けられる腕を、神経がズタズタに引き裂かれそうな痛みに耐え動かした。
そして、なんとか胸ポケットを探るとペンを取り出した。そのまま、膝に突き刺し無くなり掛けた意識を強引に引き戻す。物理的痛みが、なんとか意識を引き戻すが混濁した意識はやがて、痛みさえ感じなくなる。
そして、視界に迫る闇は隅の方からグレーの色さえ侵食すると、目の前に僅かに残る中央の微かな明るさだけを覗いて漆黒となった。
(ヴィット……もう、いいよ)
薄れる意識の中で、確かにマリーの泣きそうな声が聞こえた。
「まだ……これからだ……」
声に出したつもりでも、自分の耳には届かない。
(もう、やめようよ……ワタシは大丈夫だから)
ヴィットはマリーの”大丈夫”という言葉に体が震えた。いつも周囲に気を使い、どんなに苦しくても、どんなに痛くてもマリーは大丈夫って言った。
「何が……大丈夫だぁ……」
消え掛けていたヴィットの意識が戻って来る。微かな光が眩しい閃光に変わった、視界には青い空と、緑の大地が確かに見えた。
「名前、聞いてなかったね」
水平飛行に戻ったミリーが聞いた。その声は、なんだか笑ってる様にも聞こえた。
「ヴィット……」
声を出しだヴィットは、今度は自分の耳に声が届くのを感じた。
「そうか、ヴィットか……本気は分かったよ」
「本当……」
胸がドキドキした。マリーを直せると思ったら、体中の痛みなんか彼方に消えた。
「着陸して、降ろしてあげたいけど……」
急にミリーの声が曇る。
「何かあったのか?」
マリーと同じ様に、ミリーは言葉を濁す。それは、相手を思い遣る優しい気持ちだとヴィットには直ぐに分かった。
「敵機が来た。機数は約、100機……」
「それじゃ、降りてる暇はないな。じぃちゃん残して逃げられないし」
「いいの?」
「ああ、ミリーの撃墜の腕を見せてもらうよ」
「わかった」
ミリーは反転すると、空を覆う敵機の大群に機首を向けた。夕暮れの太陽は、まだ暮れきれない世界を照らす。ヴィットはヘッドアップディスプレイに映る、数えきれない程の敵を少し掠れる目で睨んだ。
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「やっと、見付けた」
安堵の表情で工場に来たモスを見た途端、リンジーの胸を大きな胸騒ぎが包んだ。
「ヴィットが爺さん達と、赤い戦闘機を探しに行ったんだが……」
急にモスは言葉を濁し、傷付いたマリーを見て更に視線を落とした。
「私は大丈夫だよ、ヴィットは何処に行ったの?」
マリーの声は、少し不安そうに揺れた。
「分からないが……さっき、爺さん達を見付けて聞き出した。オットーとか言う爺さんと二人で、輸送機で出て行ったらしい……盗賊の多い地域に……あそこら辺は、盗賊の戦闘機も多く出るんだ」
言葉を選ぶ様にモスは答えるが、見詰めるリンジーとは目を合わさなかった。
「リンジー、無線はまだ不調なの。アンテナを繋いで」
マリーの言葉に慌ててリンジーはアンテナと導線を探す、ゲルンハルトやTDも急いで手伝い、チィコが泣きそうな顔で見守っていた。
「線をくれ、接続はこちらで行う」
「アンテナの先を屋根に持って行ける?」
ミルコとコンラートの指示で、ヨハンやハンスが的確に動きイワンは黙ってリンジーの肩を抱いた。
「ヴィット! 何処なの? 返事して!」
アンテナが繋がると、マリーは大声で呼び掛けるが返事は雑音が妨げる。
「アンテナの方向を変えて!」
ミルコは屋根のヨハンとハンスに叫ぶ。ヨハン達は電波を拾おうと、少しづつアンテナの方向を変えた。かなりの時間、マリーは叫び続けたが、応答は無い。
マリーの声が泣き叫んでいるみたいに聞こえたリンジーは、身体が震えるのを我慢で出来ずにいたが、泣きそうな顔のチィコがそっと手を握ると無理して微笑んだ。
『……今、ミリーと……敵機と……交戦中……』
マリーの通信機にヴィットの声が急に入った。
「ヴィット! 無事なの?!」
『今の所は……だも、敵機は……100……ミリーも……』
交信の途中でマリーの通信機が火花を散らし、ショートした。
「ホイールを付けて! 噴射剤と燃料をお願い! 機銃弾の装填も!」
マリーの叫びにゲルンハルトが真剣な声で言う。
「無理だ……例え跳べても武装は同軸機銃だけだ。装弾数は700発しかないし、火器管制システムも不調のままだ」
「お願い! 行かせてっ!」
マリーの叫びが空間に木霊すると、イワンが噴射剤の入った容器と燃料缶を手押し車で運んで来た。
「サブタンクは修理中だ、メインだけで何分飛べる?」
「二十分は大丈夫」
マリーは声を煌めかせる。
「機銃弾の装填に五分くれ」
「タイヤは中古を付けてある、ホイールの取り付けは十分だ」
機銃弾を装填しながらヨハンは笑い、ジャキアップしながらハンスも笑った。
「アライメントの調整は抜きだ、真っ直ぐは走らんよ」
足回りの調整をしながら、TDも笑う。
「火器管制は不調だけど、なんとか調整するよ。コンンラート、手伝って」
ハッチから顔を出したミルコがコンラートを呼び、直ぐに調整を始めた。
「お前達……」
唖然とするゲルンハルトの背中を、ポンと叩いたハインツが言った。
「早くしろ、せめて全面装甲だけでも取り付ける」
「分かったよ……」
苦笑いしたゲルンハルトも、直ぐにハインツを手伝った。ものの十数分で応急処置は終わり、マリーはエンジンに火を入れると、お構い無しに豪快に吹かした。
外見の塗装は直された訳ではないが、その勇ましい姿にリンジーの胸は熱くなった。
「リンジー、チィコ心配しないで。ワタシは最強戦車、ヴィットは必ず連れて帰るから」
見送る二人に、マリーは優しく声を掛けた。
「マリー……お願い」
「マリーも、気ぃ付けてな……」
リンジーもチィコも声が震えたが、マリーの姿は二人に言葉に出来ない勇気と希望を与えた。
道路に出たマリーは、ホイールスピンでダッシュして行った。ゲルンハルト達も見送っていたが、見送る全員の心にはリンジーやチィコと共通するものが溢れていた。




