真意
ミリーのコクピットは、初めてマリーに乗った時の衝撃と重なった。アナログ計器の存在しない空間は、不思議な感覚を抱かせた。
「ミリー、操縦桿が無いよ?」
「あなたが操縦する訳じゃないけど……操縦桿は右のやつよ」
右側の壁面には短いステッィク状の操縦桿があり、トリガーの他にも色々なスイッチが付いていた。触ってみると感触はダイレクトで、直ぐに機体の動きを想像出来た。
ミリーの返答に納得はしたが、今度は目前のデジタル計器がヴィットを圧迫した。照準器に該当するだろう場所には、透明のガラス板状のモノが鎮座し数値や矢印の様な記号が映し出されていた。
「それは、ヘッドアップディスプレイ。計器に目を移さなくても、速度や高度、残弾や燃料とか全ての数値が一目瞭然よ。勿論、照準も完璧」
素材の匂いが残るコクピット、肩幅と変わらない狭い空間、透明の高い涙滴型キャノピーが閉じると外の音が遮断され、が自分の心臓の音を脳裏に響かせた。
「何か……落ち着く」
「えっ?」
呟いたヴィットの言葉が、ミリーに不思議な感覚をもたらせた。
「んじゃ、行くよ」
タキシングはヴィットの鼓動と同期して、滑走路なんて見えないのに目前には確かに一本の道が見えた。加速で身体かシートに押し付けられる、キャノピーは閉じてるのに顔に風圧を感じた。
ミリーは機体が浮くのと同時に車輪を引っ込め、そのまま加速する。そして、十分にスピードが乗った瞬間、急上昇した。まるで大空に吸い込まれる感覚と比例して、強大なGがヴィットを容赦なく襲った。
見えない何かが、猛烈な勢いで身体を押し付ける。圧迫された肺は、呼吸を困難にして、内臓さえ押し潰そうとする。
「ぐっ……」
呻き声を上げたヴィットは、両足を踏ん張り歯を食いしばって耐える。ミリーは水平飛行に移った瞬間、アウトサイドループで急降下しながらの宙返りをする。
たちまちマイナスのGがヴィットを襲い、眼球に集中した血が視界を真っ赤に染めた。眼球が痛い、目を強く閉じても赤さは消えず、脳が破裂しそうな痛みが全方向から襲った。
だが、ヴィットは目を見開くと前方のヘッドアップディスプレイを凝視する。目玉をくり抜かれる様な痛みも、肋骨を内側から破壊する様な痛みにもヴィットは耐えた。
「失明するかもしれないよ……」
超急旋回の途中でミリーの心配そうな声が、ヴィットの耳に届く。息を吸い込むのさえ苦しいが、ヴィットは少しだけでも空気を吸うと言葉を絞り出した。
「見たいんだろ……俺の本気を」
「……そうね、見たい」
溜息と一緒に呟くと、ミリーは反転した。今度は横方向からの強烈はGが、ヴィットを殴打する。機体側面に押し付けられた腕や脚に、固い側面の突起物がメリ込み、物理的痛みが麻痺しそうな思考を現実に引き戻した。
マリーと一緒に見た大空と違う蒼空が、ヴィットの視界を支配した。何処までも高く続くと思っていた空は、高さの頂点では群青色になり、その先は漆黒へと染まっていた。
「……あの先が、宇宙なのか……」
「そうよ、そこのマスクをして」
ミリーに促され、コクピットの横にあったマスクをする。直ぐに新鮮な酸素が供給され、ヴィットのボヤけていた頭の霧は嘘みたいに晴れた。ミリーはヴィットがマスクをしたのを確認すると急上昇した。
「色々な説があるけど、だいたい地上から100Km以上が宇宙かな」
水平飛行に移ったミリーは、静かに言った。
「今の高度は?」
「現在1万5千メートル。私のエンジンは超電導モーターとのハイブリットだから、モーター駆動なら3万は上がれるよ。でも、与圧電熱服がないと人は無理だよ」
確かにミリーの言う通り、ヴィットは鼻水さえ凍りそうな寒さに震えていた。
「でも……凄い景色……」
コクピットの外には壮大な景色が広がる。雲さえも遥か下方で、自分達の住む場所が大陸と言うより、巨大な島に見えた。大き過ぎる大地と、小さ過ぎる自分も含めた人の存在は、ヴィットに不安定な思考を抱かせた。
「どうして……見せたの?」
意図が分からなかった、理由が知りたかった。ヴィットは、正直に聞いた。
「見て欲しかったの……あなたに、世界を……」
ミリーは静かに言った。
「世界……」
声に出したつもりでも、ヴィットの声は掠れた。
「どう感じたかは、言わなくていいよ……さてと、ウォーミングアップは終わり。本番を開始するよ」
そっと呟いたミリーは急降下の態勢に入る。ヴィットは小さく息を吐くと、頬を叩いて気合を入れる。どう感じたかなんて今のヴィットは言葉に出来ないが、握り締めた拳が物語っていた……マリーと一緒に、この素晴らしい世界が見たいと。
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「赤い戦車は健在です」
部屋に入って来るなり、副官は嬉しそうに報告した。
「嬉しそうだな?」
指揮官の男は、髭を触りながら表情を変えずに呟いた。
「いえ、そんな事は……」
副官は少し照れたみたいにも見えたが、指揮官は詮索しなかった。
「まあ、いい……場所も特定出来たのか?」
「はい、居場所も確認しました。エルレンです、そこで修理を行ってるようです」
「修理? そこが本拠地なのか?」
「そこまでは……」
指揮官の男は制服の襟を緩めると、命令を伝えた。
「修理の完了を待ち、交換されたパーツやデータを奪取する」
「交換されたパーツ? 壊れた部品をですか?」
副官は何時もの鋭い目で、指揮官を見た。
「データが欲しとの要望だ、部品も壊れて外した部品をと言われている」
呆れた様な口調で指揮官は言うが、副官は不思議そうに聞き返した。
「どうしてですか? 戦車を奪取すれば早いのでは?」
「命令は、あくまで気付かれない様にだ。戦車は泳がせ、データの収集に当たる」
「機密部品なら、直ぐに完全破棄されるのでは?」
納得出来ない副官は食い下がるが、指揮官は面倒そうに言った。
「だから、その前に手に入れるんだ」
「しかし……」
それでも納得出来ない副官は、不満そうな顔をした。大きく息を吐いた指揮官は、真っ直ぐに副官を見た。
「例え戦車を奪取出来ても、我々にはデータを取る事は出来ないだろう。何故なら、赤い戦車は自立思考戦闘システムで動いているらしい。我々の言う事など聞かないだろうさ」
「まさか……」
副官の顔色が変わり、赤い戦車の戦闘が脳裏を駆け巡った。その動きや様子は機械を超え、最早意志を持つ何かに変わっていた。
「全く、何て化物を相手にしたんだろうな」
指揮官は吐き捨てる様に言ったが、副官には違和感があった”化物”という言葉に。




