離陸
「ほれ、全員武器を捨てなさい」
硝煙と埃が張れると、ハッチから顔を出したオットーが煙に咽ながら言った。グルグル眼鏡をキラリと光らせながら。
「なんだとジジィ、そんな骨董品で!」
埃まみれの男達は、なんとか立ち上がると凄い形相で叫んだ。
「仕方ないのぉ」
今度は同軸機銃と前方機銃が同時に火を噴く、半壊の居酒屋は全壊した。
「少しは手加減してよぉ~」
瓦礫の中から這い出したヴィットは、苦笑いでオットーを見た。同じ様に瓦礫から顔を出すモスは、目がテンになっている。
「少年よ、探してるのは赤い飛行機か?」
オットーの言葉はヴィットに違う衝撃を与えた。
「何でそれを?」
「弟子のゲルンハルトから聞いたんじゃ。お前さんが、ここにいる事もな」
ゲルンハルトの顔が浮んだヴィットは、自然と笑顔になった。そして、さっきの気に掛かる言葉を聞き返した。
「じぃちゃん、赤い戦闘機の事、知ってるの?」
「伊達に歳は取っとらん、ワシの情報網はセンスレイ湖並じゃ……どうする? 直ぐに行くか?」
「勿論!」
瓦礫を跳ね除けヴィットは勢いよく立ち上がると、笑顔でモスに振り返った。
「ありがとう、助かったよ」
「いいって事よ、早く行きな」
照れた様なモスも、笑顔で手を振った。
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「まさか、これで行くの?」
牛並の速度でヨタヨタ走る? マチルダの上で、ヴィットは冷や汗を流しながらオットーに聞いた。
「まあ、マチルダで行けば来年ぐらいになりそうじゃからな」
グルグル眼鏡をキラリと輝かせ、オットーはニヤリと笑った。
「へっ?」
呆れるヴィットに、操縦席から顔を出したベルガーが髭を風になびかせながら言う。
「心配いらん、飛行機を用意しておる」
額の汗を拭い何か言おうとしたポールマンの背中を、葉巻に火を付けたキュルシュナーが無言で蹴飛ばした。
「そうなんだ……」
大きな安堵の溜息を付いたヴィットだったが、数十分後には本当の溜息に変わった。
「飛ぶの? ……これ」
そこには巨大な輸送機が鎮座していたが、垂直尾翼には大穴が空き、外装はボロボロ、四発あるエンジンのうち、二つにはプロペラさえなかった。
「当然じゃ」
胸を張るオットーだったが、中に入ると更にヴィットは固まった。胴体はドンガラで、あちこちにはガムテープや針金の情けない補修の跡、イスと呼ぶにも憚る傾いたパイプイスが操縦席に二脚鎮座? していた。
「あれ、他のじいちゃんは乗らないの?」
何やら操縦席のスイッチを触りまくるオットーに、首を傾げたヴィットが聞いた。
「奴らは留守番じゃ、重量オーバーじゃからな」
「これ、輸送機でしょ? 何にも乗ってないし、俺達二人だけじゃん」
唖然とするヴィットに、平然とオットーは言った。
「これは、二人乗りじゃ」
少し離れた場所に止まったマチルダの上で、ポールマンは巨体を屈めて憐れむ様な視線を送った。
「やれやれ、あの機体が最後に跳んだのは何時だったのぅ?」
「さあ、ワシゃ覚えとらん」
葉巻を燻らせたキュルシュナーは、他人事みたいに呟いた。
「多分、飛ぶじゃろ……昔は飛んでたんじゃから」
髭を摩りながら、ベルガーも他人事みたいに言った。
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何度も咳き込み、黒々とした煙を吐いてエンジンは始動した。地震並に揺れるコクピットで、ヴィットは嫌な予感が全開だった。
かなり曇ったキャノピーから見た主翼は、エンジンの咳き込みに合わせて鳥みたいに羽ばたいていた。
「何か、主翼が凄いんですけど……」
顔面蒼白のヴィットがオットーを見る、丁度何かのレバーを触っていた時だった。嫌な音と共にレバーは折れ、オットーはそっと懐に仕舞った。
「今、何か折れたよね、ねっ! 隠したよねっ! ねっ!」
「気のせいじゃ」
今度は赤くなったヴィットが詰め寄るが、オットーはまるで意に介さずスロットルレバーを強引に押し込む。かなりの間を開け、エンジンが豪快に吹けた。更に酷い振動と爆音で耳を抑えたヴィットが叫んだ。
「ほんとに飛ぶのっ?!」
「……多分」
その声はヴィットには聞こえなかった。巨大な輸送機は、穴だらけの滑走路に出る。車輪が穴に落ちる度に、ヴィットは天井まで飛び上がる。
やがて離陸体制に入った機体は犬のブルブルみたいな振動を伴い、情けない加速を始める。それでも次第に速度を増し、ヴィットが大きな溜息を付いたのも束の間、目前に滑走路の終点が迫った。
「じぃちゃん! もう道が無いっ!」
「ありゃ、そうじゃの」
落ち着いたオットーは、どっこらと操縦桿を引くが機体は鼻を上げない。慌てたヴィットがコパイ席の操縦桿を千切れる程に引くと、なんとか機体は離陸した。当然、千切れる程に引いた操縦桿は、本当に千切れてヴィットの手の中にあった。
「取れちゃった……」
顔面蒼白のヴィットを尻目に、オットーは豪快に笑った。
「なぁに、もう一つある。心配ない」
見送るポールマンは安堵の溜息を付くが、呆気らかんとキュルシュナーが葉巻の煙を鼻から出す。
「離陸は出来たが、着陸は無理そうじゃ」
「何でじゃ?」
あまり慌てて無いベルガーが聞くと、ほれとキュルシュナーが指差した。そこには輸送機の車輪が落ちていた。
「そら、早う知らせんと」
慌ててポールマンが無線機を触るが、例によってキュルシュナーは平然と言った。
「軽量化で外したわい」
「へっ?」
ポールマンの目はテンになり、ベルガーは平然と髭を触っていた。
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「死ぬかと思った……」
なんとか水平飛行に移ると、ヴィットはイスにへたり込んだ。オットーは鼻歌交じりで操縦しているが、ヴィットにはその横顔に不穏な雰囲気を感じた。
「一応聞くけど、行先は分かってるんだよね?」
「無論じゃ、そこの地図を取ってくれ」
平然としたオットーの様子に一応安堵するが、地図を手に取るとヴィットの顔色が変わった。
「これ、世界地図じゃん……」
「大は小を兼ねる、カッカッカ」
当たり前のように胸を張るオットーは、豪快に笑った。それよりも、ふと見た計器の方がヴィットには重要だった。高度計の数値は2mを差し、燃料計の針はEを示していた。
「じぃちゃん……燃料が……」
「それは壊れとる、気にせんでいい」
気にしなくていいと言われれば余計に気になり、一応聞いてみる。
「入ってるんだよね、燃料」
「多分……」
オットーの言葉は、ある程度予想はしていたが、ヴィットは泣きそうな顔で計器を指でトントンと叩いた。すると、警告音と共に赤いランプが点滅する。万国共通、赤いランプが示すのは”警告か危険”最悪は”オシャカ” ……ヴィットは赤いランプを見ながら青くなった。
「……こっ、これ、何?」
ヴィットの声は思い切り震えた。
「電探に何か引っ掛かったんじゃろ」
オットーは平然とレーダーを指差すが、その画面は真っ暗のままだった。
「何も映って無いけど……」
「画面は映らんが、警戒機能は生きておる。何かが近付いてるんじゃろう……多分」
慌ててキャノピーの外を見たヴィットが叫ぶ。
「前方二時に機影! 接近して来る!」
「国境からは離れておる、軍の哨戒区域でもない……」
「だから?」
落ち着いたオットーに、溜息交じりにヴィットが聞いた。
「この近くに盗賊のアジトがある。最近は戦闘機を使って偵察してる奴らもおる」
「偵察って、威力偵察?」
ヴィットの中では索敵攻撃の可能性も否定出来ないが、敢えて”偵察”と言う言葉に縋った。
「威力偵察はのぅ、敵方の勢力や装備などを把握する為に、実際に敵と交戦してみる事じゃよ。つまり、仕掛けて来るみたいじゃのぅ」
「仕掛けるって、こっちは丸腰どころか……」
ヴィットの話が終わらないうちに、敵の戦闘機の機銃弾が機体を霞めた。当然、回避運動なんかすれば空中分解は必至、輸送機はそのままヨタヨタ飛ぶしかない。まさに、空飛ぶ的であり、祭りの射的状態だった。
機体の内部を貫通した機銃弾が交差する、姿勢を低くしたヴィットが叫ぶ。
「輸送機に装甲なんて無い! 強行着陸しかないよ!」
「降りる場所が無いのじゃ」
確かに前方に広がる視界には山岳地帯の荒れた山々が続き、平坦な場所なんて見当たらない。このまま、撃墜を待つだけしか出来ないのか……だだ、ヴィットは諦めない。
「俺はミリーに会うんだ……」
呟いたヴィットは機体の中を探す。何を探すのか自分でも分からないが、何も出来ないで撃墜されるのは嫌だった。そんなヴィットの様子を、オットーは薄笑みを浮かべながら見ていた。
「少年よ、敵はこちらが丸腰なのに気付いてるはずじゃ。そんな時の心理はどうじゃ? 簡単に落せるの分かってる、その余裕で接近して来るはずじゃ」
「それからどうするの?」
「燃料をブチ撒け、こいつで点火じゃ」
懐から取り出した信号拳銃をヴィットに手渡したオットーは、グルグル眼鏡をキラリと光らせ、所々歯の抜けた口元で笑った。
燃料を投棄するなら、後ろに付かれないと効果はないだろうが、やるしかないとヴィットは手にした信号拳銃を握り締めた。




