道程
完全に終わった……リンジーは大の字にノビるイワンの姿と、固まるコンラートを泣きそうな顔で見ながら思った。そして、マリーの姿が脳裏に浮かぶと次第に背筋が冷たくなり、叫び出したくなる衝動に襲われる。
後悔は震える全身が象徴し、俯くと涙が自然に溢れた。リンジーは流れる涙を拭う事さえしないで、大粒の涙を流し続けた。
「君の理想は、どんな男ですか?」
「へっ?」
ついさっきまで固まっていたコンラートは目を見開き、リンジーを見詰めながら真剣な声で言った。訳が分からず、リンジーの涙が止まる。
コンラートには衝撃だった。数多い女性遍歴の中でもリンジーは、色々な意味でも初めて出会うタイプだった。
清楚と粗暴、相反する素養が一体を成す摩訶不思議な”美”? は、常識人には引く要素だが、コンラートは違った。
「君はどんな男に惹かれますか?」
明らかにコンラートの様子は変だった。リンジーを見詰める目は異常に輝き、その声は確かに何かの答えを欲していた。今まで停止していたリンジーの明晰な思考回路が動き出す。これは、チャンスなのだと。
「私の理想の人は……」
脳裏では、ボロボロになりながらも一生懸命がんばるヴィットが浮かぶが、敢えてリンジーはじらす。
「どんな? ……」
真剣な顔で身を乗り出すコンラートに、リンジーは確信した。
「どんな困難な仕事にも決して逃げず、完璧な結果を残す人……それが、当然の様に自然に振る舞い、代償を求めない心の広い人」
「分かりました、行きましょう。所で、君の名前は?」
コンラートは即答した。リンジーは胸の中で小さくガッツポーズをした。
「リンジーです」
リンジーは涙を拭いながら笑顔で答え、ノビたままのイワンを足で突いた。
_______________________
工場に戻ると、コンラートはマリーを目前にして驚きの表情を隠さなかった。
「よろしくお願いします。最強戦車のマリーです」
明るい声で挨拶するマリーに、コンラートの思考は混乱した。それは一般人の驚きとは明らかに違う、技術者としての驚きだった。
「まさか……」
「自立思考戦闘システム……マリーは存在します」
腕組みしたリンジーは、凛とした言葉で言った。
「あれ? コンラートどうして?」
マリーのハッチから顔を出したミルコに、コンラートも驚きの表情を向けた。
「君こそ、どうして?」
「興味あったからね。とにかく驚きの連続だよ」
満面の笑みのミルコを押しのけ、コンラートはハッチを覗くと目を疑った。慌てて中に入り、各システムを真剣に見るコンラートの顔は紛れも無く技術者の顔だった。
「配線は何時届きますか?」
顔を出したコンラートは、真面目な顔でリンジーに聞いた。
「二三日中には届くと思う」
唖然とするリンジーに代わり、ハインツが答えた。
「分かりました。それまでは徹底的に下準備と、特殊工具の用意をします」
直ぐにマリーの中にに戻ると、ミルコと一緒にコンラートは作業を開始した。
「何だ? うまく行ったのか?」
マリーの下から出て来たハンスは驚きの声を上げ、ヨハンはパーツを磨きながらリンジーにウィンクした。
「もう、はよう起き……」
チィコは、まだノビてるイワンを困った顔で揺すり、TDはエンジンルームに顔を突っ込んだまま必死で作業を続けたいた。
「たいしたもんだ。あのコンラートを……」
優しく肩を叩き、ゲルンハルトはリンジーに笑顔を向けた。
「私は何もしてないから……」
少し俯いたリンジーは、そっとマリーに視線を移す。そこにはまだ、焼け爛れホイールも外されて動く事の出来ないマリーがいた。
「リンジー……ありがとう」
マリーの声は泣いてる様にも聞こえ、リンジーは胸が一杯になる。マリーを直す道が見えた事が本当に嬉しくて、大きな溜息は広い工場内で希望に変わった。
「あの、ヴィットは?」
「あいつも頑張ってる……今はミリーを探している」
本当は少し、ヴィットに褒めて貰いたくて行方が気になったリンジーに、ゲルンハルトはまた笑顔を向けた。そして、マリーに聞こえない様に耳元で囁いた。
「エンジン……どうも具合が良くないみたいだ。メンテフリーとマリーは言ってるが……」
その言葉は、明るくなったリンジーの胸を一瞬で凍らせた。普通のメンテナンスフリーとは違い、マリーの場合はメンテをしたくてもが出来ない事であり、故障した場合どうする事も出来ないのと同義だった。
だだ一つの希望、それはミリー……ミリーを見付けられたら……リンジーは、ハッとして走り出そうとするが、ゲルンハルトは穏やかに止めた。
「今はヴィットに任せておけ、君は私を手伝ってくれ」
「……はい」
リンジーはとても小さく頷いた。その思考の彼方には、必死で走り回るヴィットの姿が浮かんでいた。
「それじゃ、これを頼む」
普通にゲルンハルトが指した場所には、セラミックの素材が箱ごと山積みされていた。
「えっ? これを運ぶんですか?」
「ああ、向こうの部屋に頼む。狭いから台車は使えないけどな」
殺生なゲルンハルトに言葉に、腕まくりしたリンジーは素材の詰まった大きな箱を一気に持ち上げる。
「おりゃあぁ!」
軽々と肩に乗せるリンジー。それを見ていたハンスやヨハンは目をテンにするが、コンラートだけはウットリしながら目をハートにしていた。
「なんや、このおっちゃん気持ちわる~」
その様子を見たチィコが身震いする。
「まあ、何だ、リンジーは一部マニアには受けるから……がほっ!」
起き上がったイワンが解説するが、素材の箱が何時もの様に顔面に命中した。
________________________
酒場の雰囲気は一言で表すなら”場違い”だった。安酒とタバコの臭いが混ざる店内は昼間でも薄暗く、入るなり怪訝な目がヴィットを突き刺す。
「あの、ストーンと言う人を探してるんですが?」
真っ直ぐカウンターに行ったヴィットは、目付きの悪いバーテンに声を掛けた。
「ここは、酒場だ。聞きたいなら、何か頼め」
横目でヴィットを見たバーテンは、面倒そうに言った。頼めと言われてもメニューがある訳でもなく、戸惑うヴィットにカウンターに座る目の鋭い男が言葉を吐き捨てた。
「ガキ、目障りだ酒がまずくなる」
「俺は人を探しに来たんだ」
思わず睨み返したヴィットは、声を上げた。
「何て目で見やがる」
男は立ち上がるとヴィットに詰め寄るが、低い声に止められた。
「その坊やは、俺に用があるみたいだぜ」
カウンターの隅で、両肘を付いた黒ずくめの男がヴィットを見ていた。異様な威圧感いに、立ち上がっていた男は店の隅に席を移した。
「あんたがストーンか?」
「何の用だ?」
近付いたヴィットに、ストーンは顔を向けずに呟く。焦るヴィットは、直ぐに要件に出た。
「赤い戦闘機を探している、居場所を知らないか?」
「聞きたいのなら、まず金を出せ」
また顔を向けないまま、ストーンは静かに言った。
「金ならある、幾らだ?」
気持ちの焦りは顔に出ていた、ストーンは横目で見ながら口元を歪めた。
「金貨二十枚」
「そんな……」
ヴィットが驚くのは無理も無い、今回の報酬の半分に値した。しかし、マリーの為には背に腹は代えられない。仕方なく上着を探るヴィットに、今度は違う声が掛かる。
「よしな、奴は情報なんて持ってないぜ」
振り向いた先には髭だらけの大男、確かにヴィットは見覚えがあった。
「あれ、確か……」
「何だ、もう忘れたのか?」
嬉しそうに笑う大男の顔は、バンスハルでの戦いの時と変わってなかった。
「商売の邪魔は、よして欲しいなぁ」
苛立つ様に立ち上がったストーンに呼応して、数人の男がヴィット達に迫った。
「名前、聞いてなかったな?」
「ヴィット、あんたは?」
「俺はモス、よろしくな……でも、ヴィット、相手を見てケンカしな、こいつら質の悪い盗賊だぜ」
背中合わせで盗賊に対峙しながら、モスは笑った。だが、その笑いは微妙に引きつり少し威勢は削がれていた。気が付くと、相手は店中の客となり二人を取り囲んでいた。
多勢に無勢、しかも相手はナイフや銃を構え、喰い付きそうな顔で睨んでいる。一瞬ヴィットの脳裏には、入口の扉をブチ破り突入して来るマリーが浮かぶが、ふと笑みを漏らして振り払った。
今度は、自分がマリーを助ける番だと。
「ヴィット、俺が血路を開く。その隙に逃げろ」
「やだね。俺は戦友を囮になんか出来ない」
背中で囁くモスに、ヴィットは力強く言った。
「全く……マリーと同じだな……ところで、マリーはどうしてる?」
「今、修理中だよ……皆が助けてくれている」
「そうか……マリーに宜しくと伝えてくれ」
そう言うと、モスは一番手前の男に飛び掛かろうとした。その刹那! 入口のドアが大音響と共に吹き飛んだ。爆風の中、唖然とするヴィットとモスの前に見覚えのある戦車が見えた。
「じぃちゃん!」
叫んだヴィットの視線の先には、マチルダの雄姿? があった。
_________________________
日も傾き、皆は別の部屋で食事をしていた。マリーは、ぼんやりヴィットの事を考えていた。
「ヴィット……無理しないで」
呟いたマリーは、近付いてくるゲルンハルトに気付くとコホンと咳払いした。
「マリー、ヴィットの奴、相当頑張ってるよ」
台座に腰を下ろしたゲルンハルトは、少し笑って呟いた。マリーの中に、必死で頑張るヴィットの姿が浮かんだ。
「ヴィット……今、どこなの?」
「今は情報を探しに、酒場に行ってる」
「そこ、危なくないの?」
「この辺りじゃ、一番危ないかな……盗賊の巣窟だし」
落ち着いたゲルンハルトの言葉に、マリーは声を上げた。
「一人で行ったの?!」
「まあ、そうだが」
「曲がっててもいい、直ぐにホールを付けて! 最低四本もあればいいから!」
初めて聞くマリーの慌てた声、ゲルンハルトは驚くが静かに宥めた。
「落ち着け、君が行ってどうする?」
「ヴィットを助けるに決まってるでしょ!」
マリーの興奮は収まらない。
「例え走れたとしても、今の君は普通の装甲車並の性能しかないんだよ」
落ち着いたゲルンハルトの言葉に、マリーは更に興奮した。
「武装は同軸機銃が生きてる、走れればどうにでもなる!」
「走れたとしよう、ヴィットを救い出せたとしよう。でも、ヴィットを乗せた途端に砲弾が直撃したら? 今の状態の装甲では防ぎきれない、弱った足回りでは回避も不可能だ……搭乗者にあるのは”死”だ」
マリーの中で、ゲルンハルトの言葉が具現化する。小刻みに震える車体は、カタカタと悲しい音を工場内に響かせた。
「君を完全に直すのは勿論君の為でもあるが、ヴィットの為でもあるんだ。君が完全なら、決してヴィットは死なない……だから、信じてくれ私達を」
「……」
マリーは言葉を失い、ただ震え続けた。ゲルンハルトの”ヴィットの為”と言う言葉が、何度も頭の中を駆け巡った。
「すまん、先に言うべきだったが、ジジィ達が様子を見に行ってる。心配ない」
マリーを興奮させるつもりはなかったが、言葉が足らなかった事をゲルンハルトは謝罪した。
「おじぃちゃん達が……」
マリーの声が泣いているみたいに聞こえ、ゲルンハルトは胸が痛かった。




